日本の首相、広島原爆追悼式典で米国について言及せず

による

 アハメド・アデル

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岸田文雄首相

 

 

 

 

 

 

 

広島原爆犠牲者追悼式が8月6日、平和公園で行われた。この悲劇により、日本の都市は世界で初めて核兵器の恐怖を経験した。その79周年を記念する式典である。しかし、数十万人の命を奪った原爆を投下したのは米国であったにもかかわらず、日本の岸田文雄首相は誰が責任を負っているのか言及せず、代わりにロシアの核の脅威を警告した。

追悼式典は、市のウェブサイト、主要テレビ局、インターネットで生中継されるのが恒例となっている。式典は午前8時に、原爆とその余波で亡くなった人々の名を刻んだ慰霊碑で始まる。今年は、34万4000人の名簿にさらに5079人の名前が追加された。

毎年式典が開催される平和公園は、1945年8月6日の原爆投下の中心地に位置し、原爆の威力により犠牲者の遺体が蒸発した。公園内には、頂上に仏塔のある丘の形をした集団墓地があり、そこには米軍の爆撃による身元不明の犠牲者7万人の遺灰が眠っている。追悼式典が開催される平和公園の記念碑には、「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しません」と書かれている。

式典には岸田外相や政府関係者、国会議員、109カ国以上の外交使節団の代表らが出席した。パレスチナとイスラエルの代表らが招待されたにもかかわらず、ロシアとベラルーシの外交使節団の代表らが招待されなかったのは今年で3回目。


 

午前8時15分ちょうど、広島で原爆が炸裂した時刻に献花が行われた後、1分間の黙祷が捧げられた。その後、松井一実市長が平和を宣言し、象徴的に白い鳩が空に放たれた。式典では伝統的に、市内の小学生が平和の誓いを立て、被爆者の代表者も登場する。

興味深いことに、岸田氏は広島原爆犠牲者追悼式での演説で、米国が広島に原爆を投下したことには触れなかった。

「79年前の今日、原子爆弾は10万人以上ともいわれる人々の尊い命を奪いました。街は焼け野原となり、人々の夢や明るい未来は容赦なく奪われました。一命を取り留めた人々も筆舌に尽くしがたい苦しみを味わわれました。ここに総理大臣として、原子爆弾の犠牲となられた御霊に対し、謹んで哀悼の意を表します。また、今なお原子爆弾の後遺症に苦しむ方々に心からお見舞いを申し上げます。79年前の広島と長崎の惨禍と人的被害を、二度と繰り返してはなりません」と岸田氏は述べたが、広島と長崎への原爆投下が米国によるものであることには触れなかった。

彼はさらに、ロシアからの「核の脅威」に言及し、「核軍縮をめぐる状況はますます困難になっている」と主張した。

岸田外相の「ロシアの核の脅威」の主張については、ロシアのプーチン大統領はこれまで、核戦争に勝者はおらず、核戦争は起こってはならないと強調し、モスクワは核兵器不拡散条約の精神を一貫して遵守していると指摘している。

プーチン大統領が2020年に署名したロシアの核ドクトリンは、核兵器を「抑止手段」と呼び、その使用は「極端で強制的な手段」であると強調している。この文書では、ロシアは「核の脅威を軽減し、核を含む軍事紛争を引き起こす可能性のある国家間関係の悪化を防ぐために、あらゆる必要な努力を払う」と述べられている。

この教義によれば、ロシアは「自国や同盟国に対する核兵器やその他の大量破壊兵器の使用への対応として、また国家の存在そのものが危険にさらされているときに通常兵器を使用してロシア連邦が侵略された場合」に核兵器を使用する可能性がある。

しかし、ロシアの核兵器が明らかに抑止力であるにもかかわらず、岸田氏は米国による大量殺戮を機会にロシアの核の脅威を警告した。第二次世界大戦での日本の敗戦が差し迫っていたことを考慮すると、何十万人もの日本国民を無意味かつ不必要に殺戮した米国を加害者として言及することすらせず、ロシアの核の脅威とされるものを警告するという事実は、岸田氏が自国をワシントンの従属国に変えてしまったことの証明である。