先月の初めにオヤジが他界して葬儀を済ませた私です。上記リンクの記事の事実の羅列は現代の縮図を見ているようで考えさせられました。
通夜に見知らぬ女性の遺体が届いた遺族の反応は想像の範疇です。しかしその前に間違った男性の遺体の火葬を済ませた遺族は火葬の前に故人の顔すら見なかったか身寄りもいなかったのでしょうか?
4年前にオヤジの叔父と叔母が立て続けに他界した時の葬儀はうちの両親とアネキと私と親戚が数人というひっそりとした葬儀でした。残された叔母も1週間とあけずに亡くなりましたが、それでも葬儀社が遺体を迎えに来る時間には私も立ち会っていました。決して近い距離ではありません。
立て続けに葬儀を済ませていろんな意味で寂しい気持ちになりましたが、見送る人の数ではなく内容が大切だなぁと再認識しました。
うちのオヤジは出来れば大勢の人に見送ってもらいたい人でした。何十年か先には私も死にます。私は幸い2人の息子がいます。息子たちがせめて私の顔を確認して見送ってくれたらいいなあって人生の折り返し地点を過ぎてしみじみ考えてしまいました。