今月の1日、昭和・戦後の名横綱、「若乃花」さんの逝去が報じられました。
最近は殆んど、マスコミなどの紙面の場では、接する機会はありませんでしたが、お具合が悪かったのですね。
お年82歳で、お相撲さんとしては、ご長命だとお聞きします。
時は、戦後間もない昭和の20年代になります。
私が小学校5,6年生の頃でしたか。
当時の男の子の遊びと云えば、ゴムまりを使っての草野球か、学校の校庭の片隅での相撲取りくらいでした。
私は、相撲が好きでした。
決まってと言って、昼休みや、放課後には、仲間を集めての相撲です。
クラスでは、上位何番目かで強かったんです。
” 東~ 若の花、西~ 若葉山 "の呼び出しの声。
アナウンサーが、熱狂しての若・若戦の放送です。
本日の好取組です。
皆さんは、「栃・若」は、よくお聞きになると思いますが、それは、栃錦・若乃花が、横綱・大関になってからのことです。
ここで云う「若・若」は、若の花、若葉山の双方が、小結の時です。
当時の小結若の花は、横綱・大関に真っ向からの勝負です。
巨漢の大内山がいましたね。
まわしを引きつけての、豪快な上手投げで、大内山を土俵上に叩きつけます。
小さな体で、強かった。
もうどうしょうもなく、強いです。
上り調子で関脇・大関、そして横綱に上り詰めます。
皆さんの中に、当時の番付を知っておられる方いますか・・・・・・。
横綱は、「羽黒山、東富士、照国、千代の山」の4横綱
大関は、「吉葉山、鏡里、佐賀の花、琴ケ浜」です。
関脇、「栃錦、大内山」
そして、小結、「若の花、若葉山」です。
その他、前頭・十両には、その後、横綱・大関、三役に上った人気の力士がいっぱいいました。
因みに、小結若の花は、横綱になって、「若乃花」と改名しています。
テレビ放送は未だでしたので、学校から帰るとラジオにくびったけにして、相撲放送を聞いていたものです。
勉強どころではありませんでした。
「若の花、頑張れ!」
「いけ、いけ、押せ、押せ、若の花!」
千代の山の「突っ張り」、東富士の「怒涛の寄り」は、凄かった。
琴ケ浜の「内掛け」、栃錦の「二枚蹴り」は、格好良かったです。
清水川の「上手投げ」も、綺麗でした。
どれも、脳裏に焼き付いていますよ。
懐かしいなあ・・・・・。
楽しかった。
とっても、楽しかった。
私ら少年に " 夢 "をくれました。
何物にも代えられない "夢 " をくれました。
決して、忘れられません。
沢山のお相撲さん! ありがとうございます。
そして、小結若の花! 横綱・若乃花!
ありがとうございます・・・・・・・・・・。
行政書士 平 野 達 夫