交差点の歩行者用対面信号が、青色信号に変わりました。
一人のお年寄りが、杖を頼りに横断歩道を渡り始めめます。
一歩一歩、懸命に足を運びますが、歩幅も短くなかなか思うように先に歩めません。
時折体が右・左に揺れ動くようです。
四斜線ある幅員の道路で、渡り切るまでは相当の距離があります。
今私は、横断歩道の反対赤色信号待ちで、この様子を見ております。
「おじいさん、早く渡らないと信号が赤になって車両が発進してしまいます。早くして・・・・・」と心の中で言います。でも中々、おじいさんの足先が伸びません。
そして信号が、黄色に・・・、赤色に変わりました。
車両が発進します。
「危ない・・・・」声を発してしまいます。
しかし交差点相互で停止していた車両は、発進しません。
車両の運転手さん方は、横断歩道上のおじいさんに目をやり、歩行の様子じっと見守っています。
警音などしません。5,6秒近く過ぎましたか、おじいさんがやっと横断歩道を渡りきり、反対側歩道に辿り着きました。
あぁ、良かった、胸を撫で下ろすところです。
車両は、何も無かったかのように、一斉に発進します。
そして元の運行に戻ります。
先日、名鉄線踏切での老婦夫事故死がありました。
近隣の住民だけでなく、テレビ・新聞の報道に接した全国の方々が、嘆き悲しんだことでしょう。
そんな事故なんてありますか。
余りに惨過ぎます。
91歳と84歳の老夫婦のお二人は、近くの医院で診察を受けて帰宅途中だったとみられます。
電車の運転手によると、どちらかが踏切内で倒れ、もう一人が助けようとしていたと言っています。
夫は目が不自由で、妻は足腰が弱くいつも手押し車で歩く日々の生活でした。
現場には二人の靴や手押し車があったそうです。
戦後日本は、経済・技術などの飛躍的な発展により、人々の生活は豊になり、国民皆に幸せをもたらしたかのように思われがちです。
もちろん否定はしませんが、そこでは、多くは利益中心・企業偏重で進み動く社会構造が作られて来たように思われます。
社会の歪みと不均衡が存在しましょう。
人間一人一人への思いやりや、心配りに欠くものがないでしょうか。
今回の事故で名鉄は、警報機と遮断機は正常に作動していたと言っていますが、お年寄りが、体の不自由な方が踏切内で倒れたら、即座に渡り切るなり引き返すことが出来るでしょうか。
直近に誰か人か居れば、手を引くなり、合図で電車を止める方法も取れたかも知れません。
しかし緊急時、それはとても無理です。
あらゆる面で私達社会の技術は進歩しています。
例えば電車進行する踏切内に人や物があったら、それをキャッチ探知するくらいの器機の設置などは容易と思います。
電車衝突を回避は可能です。
「その設置にお金がかります」
そんなこと言わないで下さい。
人が安心して渡れる事故のない踏切を作るんです。
電車のダイヤどおりの安全運行が確保出来ます。
たとえ電車運賃を上げても誰も文句言いません。
運行会社が予算を取って下さい。
あなたの会社が出来なければ、国や自治体の行政がやってもいいんです。
それがために、少しくらい税金が上がってもいいじゃあないですか。
国民の利便と安全を考えた適正な歳出は、皆がキッと賛成します。
全国の電車踏切の安全確保を願うところです。
ところでこの度の事故は、大変悲しいことでしたが、お二人は電車が突入する最後の最後の際まで、一方が一方を労わり、その場を離れず助けることに専念し、回避につとめたことです。
素晴らしい「夫婦愛」ではないですか。
互いに年老いた夫が、妻が共にとった姿には、本当に絶句します。
これこそ、「温かな夫婦の絆」と申しましょう。
本当に羨ましいです。
私もそうなりたいです。
二人はキッと赤い糸で結ばれていたのでしょう。
皆さん、若し間違っていたら、ごめんなさい。
お二人は、互いに労わり合い、最後の際まで介護につとめたのでしょう。
これで本当は、幸せだったのではないでしょうか・・・・・・・・・。