もう随分も前から何本も「どう在りたいか」というテーマでブログを書いてきましたが、これとても分かりづらい言い回しよなーと書きながらいつも思っていました。

 

一時、

あなたは

何に心込めて、何に手をかけていたいのか。

何を大切に過ごしていくのか、どんな自分でいたいのか。

 

と言い換えていたのですが、もっと簡単に書けるなと思って再度筆をとった次第です。

 

というのも、

「どう在りたいか」とは「どんな自分でいる時が好きか」と言い換えることで全て片付くなと気づいたからです。

 

これね、

私はいつもついこんな反応をしてしまうけれど、本当はどうしたいだろう?と思いを巡らせてみるってことが「どう在りたいか」なんだよね。

 

「どんな振る舞いや声掛けができていたら、私は私をもっと好きになれるだろうか」

こんな風に自分を観てみることが「どう在りたいか」なんだよね。

 

要は会社にいて「早く終わんねーかな」と思って、何度も時計を見ている自分が好きかどうかってことよ。色んな時間の使い方をしている自分がいるけど、どういう時間をあなたは過ごしたいのかってことに目を向けようぜってこと。

 

毎日「良い時間を過ごしたな」って思えていたら、「どう在りたいか」なんてそもそも必要ないわけ。「本当はこうなってたらいいのにな」って思っているのに「やってない」ってことが問題なの。「できない」じゃなくて「やってない」ね。

 

自分は

どんな感情をいだきたいのか、

どんな行動を起こしていたいのか、

どんな風に人と接していたいのか、

どんな感じで世界を見ていたいのか、

 

設定すんのよ。

言語化しておくの。

 

嫌な時間を過ごした時こそ言語化のチャンス到来よ!

私は本当はこんな時間を過ごしたい!って言葉にできるでしょう。

 

良い時間を過ごした時もチャンスよ!

私はこんな時間をもっと増やしたい!って言語化できるでしょう。

 

感情を、振る舞いを、まなざしを、態度を、表情を、発するエネルギーを言語化するの。

それが「どう在りたいか」だよね。

 

どうなっていたら私は私をもっと好きでいられる?

そしてそれが例えできていなくても私は私を好きでいられる?

 

ちゃんと願う。

そして何も持ってなくてもちゃんと自分を好きでいる。

 

相反することを同時にやってみると、設定が活きてくるんだよね。

キモいこといっぱい書いたのでこの辺で!では。