天皇の徳仁くん 61歳の誕生日オメデトウ それにしても とっちゃん坊やの風貌は相変わらずだな | わたしの意見

天皇の徳仁くん 61歳の誕生日オメデトウ それにしても とっちゃん坊やの風貌は相変わらずだな

 

 

 

この天皇徳仁くんを見ているといつも思う。 やはり天皇なんてものは、日本の精神的支柱でも伝統文化でもない。
総理大臣の任命や法律の公布など国事行為は全て形式的儀礼なので、国権の最高機関たる国会がやればよい。 そうなると天皇など必要ない。

実際、この天皇徳仁くんがいなくとも、日本の政治・経済・社会・文化は何の支障もなく回る。そのことは誰の目にも明らかです。

 

 

「国民に寄り添う」、彼がよく発する言葉です。 父親(明仁)から引き継いだようだが、彼もこの言葉がよほど気に入っているのでしょう。

といっても、せいぜい被災地を見舞ったりするぐらいのこと。 しかもやたら寄り添われても、むしろありがた迷惑なのが実態です。

 

 

現在そして未来の日本に、天皇は必要ない。温存する方がむしろ危険。早く廃絶してしまうべきです。

85年前(1936年)の2月26日、天皇親政を実現し、それによって当時の社会問題(農村の疲弊や貧困・経済格差など)の解決を目指した陸軍青年将校らがクーデタに決起し多数の政治家が殺傷された(二・二六事件)。 それ以後政治家は怖気づき、軍部が政治を主導するようになる。そして日本は悲惨な結末を迎えたアジア太平洋戦争への道を歩むことになった。 この戦争では多くの国民が「天皇のために戦い死ぬ」ことを強要されたのです。

 

 

前回書いたことを再度しつこく述べます。

日本では、明治維新以降、「天皇は日本古来の伝統文化だ」という、でっち上げに近い物語が急速に強調されるようになりました。

理由は薩長中心の反徳川勢力が、天皇を神輿に担いで政権奪取に成功したからに他なりません。担いだ神輿をそのまま使おうということになったわけです。

 

そこで「日本は天皇を中心とする神の国」であり続けているという「誇大妄想」的思想を、義務教育や教育勅語などを通して全国民に徹底して叩き込んだ。 それをてこに国家としての統治を推し進めました。

その結果が「天皇のために戦い死ぬ」ことであり、きょうの祝日「天皇誕生日」ともなっています。

 

 

もういい加減そんな「誇大妄想」から抜け出すべき時期に来ているのではないでしょうか。 みなさんも、徳仁くんの誕生日を機に一度考えてみてください。

 

 

© 2021 HIRAI HIROAKI    

                                                                  

 

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