1945年の夏、「玉音放送」をめぐる出来事 | わたしの意見

1945年の夏、「玉音放送」をめぐる出来事

「大東亜戦争終結ノ詔書」(終戦の詔書)原本
終戦の詔書2改2

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戦争\終戦の詔書7ノ1

  

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8月14日に天皇裕仁氏自身が終戦の詔書を読み上げものが録音されたいわゆる玉音盤」。 徹底抗戦を主張する一部陸軍青年将校がクーデターを計画し、これを奪取し放送を妨害しようとしたが失敗に終わる。戦争\玉音放送3                   


1945年8月15日の新聞
戦争\終戦圧縮


「玉音放送」に耳を傾ける人々。 1945年8月15日正午過ぎ

戦争\玉音放送6

(8月15日の記事 http://ameblo.jp/hirai-h/entry-11910014202.html のつづき)


大東亜戦争(アジア・太平洋戦争)は、サイパン島陥落(1944年7月)、硫黄島陥落(1945年3月)、沖縄戦敗退(1945年6月)により、1945年の夏には、日本の敗北が決定的になります。

          

ただそれ以前から、政府・軍部首脳は終戦処理を探っていました。 その一つとして、日ソ中立条約の期間中だったソ連に和平交渉の仲介を要請し、それに強い期待を寄せていました。 ところが、まったく進展しません (ソ連は2月のヤルタ会談で、中立条約を破棄し日本に宣戦布告する密約を米英と交わしていたため)。

そこで、「一億総玉砕、一億総特攻」による徹底抗戦を訴える強硬論や、もう一度戦果をあげてから有利に講和に持ち込もうとの考え天皇裕仁氏自身、近衛文麿元首相からの早期終戦すべきとの奏上に対し、この考えを語っている、極力早期講和を目指すべきとの主張など、さまざまな意見が対立し、膠着状態のまま時だけが流れます。

          

そんな状況下、1945年7月26日、米英中ソ4か国(実質は米のみ)の起案による降伏勧告「ポツダム宣言」が発表され、翌27日には日本政府に伝えられました。

しかし、ソ連の仲介による和平工作に期待していたこともあり、当初はこれを黙殺することになります。

        

この頃、政府・軍部首脳が最も懸念し受諾をためらわせたのは、「ポツダム宣言」受諾によって国体(=天皇を中心に国家統治する政治体制)が護持できるか否かです。

要は、天皇制を維持することが彼らにとって最大の関心事であり、その確証を得られなかったのです

         

このため、受諾を躊躇逡巡する時間が長く続きます。 そしてそれ故その間に、8月6日・9日の原爆投下と8月9日のソ連の対日参戦を招いてしまいます。
この期に及んで、国民の生命財産を守ることより 「国体の護持」(天皇制を守ること)に固執したため受諾が遅れ、さらに膨大な犠牲を生んでしまったのです。(米国にとっては、そうなることを予期し折り込んだ上での降伏勧告だったようですが。)

                

原爆投下とソ連参戦を受け、ようやく8月10日と14日に御前会議を開きポツダム宣言受諾を決定、直ちに正式に連合国側に通告します。 そして、国民と軍隊にそれを知らせるための「終戦の詔書」をその日に閣議で決定します(その閣議は詔書の文面をめぐって紛糾し何度も修正が行なわれます)。

同日、天皇裕仁氏自身がその詔書を読み上げ録音した録音盤を、翌8月15日に放送局で再生してラジオ放送する段取りが組まれました。

     

ところが、8月14日のポツダム宣言受諾を知った一部陸軍青年将校が、クーデターによってその放送を中止させ「本土決戦内閣」を樹立しようとします。 しかし、8月15日未明に宮城(皇居)の一部や日本放送協会(NHK)などを占拠したものの、陸軍首脳部の同意を得られず失敗に終わります。

       

こうした緊迫した情勢を経て、予定通り、8月15日正午過ぎ、「終戦の詔書」を読み上げる天皇裕仁氏の肉声が、録音盤で再生されラジオを通じ流されました。


なお最近、宮内庁編纂による「昭和天皇実録」が完成し、9月に公開されることになりました。 大東亜戦争(アジア・太平洋戦争)に関する新たな事実が明らかになることが期待されます。 ただ当然皇室やその関係者にとって「不都合な真実」は伏せられる可能性が高いので、その点は注意が必要です。

       
ポツダム宣言の受諾(戦争終結)を知らせるラジオ放送いわゆる「玉音放送」

http://www.youtube.com/watch?v=LSD9sOMkfOo (現代語訳付き。ただしあまり適切な訳ではないのでご注意ください。

          

(参考)


「大東亜戦争終結ノ詔書」(終戦の詔書)全文 (一部新字体にしています。)


 朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク


 朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ


 抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遣範ニシテ朕ノ拳拳措カサル所 曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス 加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ


 朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ 惟フニ今後帝国ノ受クヘキ困難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル 然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所耐ヘ難キヲ耐ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス


 朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム 宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克く朕カ意ヲ体セヨ  ※注


読み方は以下のとおり。 (読みやすくするため句読点と濁点を付しました。)

 

 朕(ちん)深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑(かんが)み、非常の措置を以(もっ)て時局を収拾せんと欲(ほっ)し、茲(ここ)に忠良なる爾(なんじ)臣民に告ぐ。


 朕(ちん)は帝国政府をして米英支蘇(べい、えい、し、そ)四国(しこく)に対し、其(そ)の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり。


 抑々(そもそも)帝国臣民の康寧(こうねい)を図(はか)り、万邦共栄(ばんぽうきょうえい)の楽(たのしみ)を偕(とも)にするは皇祖皇宗(こうそこうそう)の遺範(いはん)にして、朕(ちん)の拳々(けんけん)()かさる所、(さき)に米英二国に宣戦(せんせん)せる所以(ゆえん)も亦(また)実に帝国の自存(じそん)と東亜の安定とを庶幾(しょき)するに出(いで)て、他国の主権を排し領土を侵(おか)すが如(ごと)きは固(もと)より朕(ちん)が志(こころざし)にあらず。 然(しか)るに交戦(こうせん)己(すで)に四歳(しさい)を閲(けみ)し、朕(ちん)が陸海将兵の勇戦(ゆうせん)、朕(ちん)が百僚(ひゃくりょう)有司(ゆうし)の励精(れいせい)、朕(ちん)が一億衆庶(しゅうしょ)の奉公(ほうこう)、各々最善を尽せるに拘(かかわ)らず、戦局必ずしも好転せず世界の大勢亦(また)我(われ)に利(り)あらず、加之(しかのみならず)敵は新(あらた)に残虐なる爆弾を使用して頻(しきり)に無辜(むこ)を殺傷し、惨害(さんがい)の及ぶ所眞(しん)に測(はか)るべからざるに至る。(しか)も尚(なお)交戦を継続せんか、終(つい)に我が民族の滅亡を招来(しょうらい)するのみならず、延(ひい)て人類の文明をも破却(はきゃく)すべし。 斯(かく)の如(ごと)くんば、朕(ちん)何を以(もっ)てか億兆(おくちょう)の赤子(せきし)を保(ほ)し、皇祖皇宗(こうそこうそう)の神霊(しんれい)に謝(しゃ)せんや。 是(こ)れ朕(ちん)が帝国政府をして共同宣言に応ぜしむるに至れる所以(ゆえん)なり。


 朕(ちん)は帝国と共に終始東亜の解放に協力せる諸盟邦(しょめいほう)に対し、遺憾の意を表せざるを得ず。 帝国臣民にして戦陣(せんじん)に死し職域(しょくいき)に殉(じゅん)じ、非命(ひめい)に斃(たお)れたる者、及(および)其(そ)の遺族に想(おもい)を致(いた)せば、五内(ごない、?ごだい)爲(ため)に裂(さ)く。 且(かつ)戦傷を負い災禍(さいか)を蒙(こうむ)り家業(かぎょう)を失いたる者の厚生(こうせい)に至りては、朕(ちん)の深く軫念(しんねん)する所なり。 惟(おも)うに今後帝国の受くべき苦難は固(もと)より尋常(じんじょう)にあらず。 爾(なんじ)臣民の衷情(ちゅうじょう)も朕(ちん)善(よ)く之(これ)を知る。 然(しか)れども朕(ちん)は時運(じうん)の趨(おもむ)く所、堪(た)え難(がた)きを堪(た)え、忍(しの)び難(がた)きを忍(しの)び、以(もっ)て万世(ばんせい)の爲に太平を開かんと欲(ほっ)す。


 朕(ちん)は茲(ここ)に国体を護持し得て忠良なる爾(なんじ)臣民の赤誠(せきせい)に信倚(しんい)し、常に爾(なんじ)臣民と共に在(あ)り。 若(も)し夫(そ)れ情の激(げき)する所、濫(みだり)に事端(じたん)を滋(しげ)くし、或(あるい)は同胞排擠(はいせい)互に時局を亂(みだ)り、爲(ため)に大道(だいどう)を誤まり信義を世界に失うが如(ごと)きは、朕(ちん)最も之(これ)を戒(いまし)む。 宜(よろ)しく挙国(きょこく)一家(いっか)子孫相(あい)伝え、確(かた)く神州(しんしゅう)の不滅を信じ、任(にん)重くして道遠きを念(おも)い、総力を将来の建設に傾け、道義を篤(あつ)くし志操(しそう)を鞏(かた)くし、誓(ちかっ)て国体の精華(せいか)を発揚し、世界の進運(しんうん)に後れざらんことを期すべし。爾(なんじ)臣民其(そ)れ克(よ)く朕(ちん)が意を体(たい)せよ。

     

これを天皇裕仁氏が読み上げ録音したものを再生して放送したものが、いわゆる「玉音放送」です。 堅苦しい文語体の文章のうえ難しい漢語が多用されていたため、最初にこれを聞いて、戦争に負けたらしいとは分かったものの、内容を正確に理解できた国民は非常に少なく、多くは後で放送された解説でようやく意味を把握できたというのが実情だったようです。

     

※注この「終戦の詔書」の内容は、天皇裕仁氏自身が考えたものではありません。 内閣書記官長が概要を決定、漢学者川田瑞穂氏が起草、陽明学者安岡正篤氏が推敲したものを閣議に諮り、議論の上修正後天皇が裁可したものです。 よって天皇は読んだだけとも言えます。

あくまで推測ですが、天皇も文章の意味を十分理解できないまま読んでいるようです。 だからあんな変な読み方になってしまったのでしょう。

      

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