先に、死ぬのが怖い理由として、「死んだらどうなるか判らないから」と

 

結論付けさせていただきました。

 

これに不服のあるタナトフォビアの方はおられるでしょうか?

 

「死んだら無と帰す」

 

「死んだら恐ろしいところに行く気がする」

 

というのは、あくまで個人個人の思い込みであって、

 

どちらも死が怖い理由として必ずしも正しいとは言い難いのでは、

 

とわたしは言いました。

 

ナーガールジュナというインドの高僧は、

 

断見(死んだら無に帰す)ということも

 

常見(死んでもわたしという実体は消えず、ずっとそのまま永続する)という見方も

 

どちらも否定しました。

 

ここで。

 

会者定離とかナーガールジュナとか、仏教の言葉、仏教の人じゃないの?

 

これ、仏教の話?

 

なに、宗教? 結局。

んなことかと思ったよ。

 

と、気付く方も多いのではと思います。

 

確かにわたしの考えは、ものすごく仏教的です。

 

少なくともキリスト教的、イスラム教的、ユダヤ教的、ヒンズー教的、

 

儒教的、老荘思想的、ではけしてありません。

 

でもね、できればこの後もお話に付いてきてほしいのです。

 

死の解決の糸口は、仏教に限りなく有ると、わたしは考えています。

 

なぜなら、

 

仏教って、死の解決をすることが

 

第一義的であるからです。

 

このことに気付かれている方って、どのくらいいるでしょうか。

 

他のどの宗教も、

 

・どうしたら幸せになれるか ⇐とりわけコレ

 

・どうすれば世界(日本)が平和になるか

 

・どうすれば世界(日本)が自由・平等になるか

 

・どうしたら環境問題が解決するか

 

・どうしたら健康でいられるか、長生きできるか

 

・どうしたら経済的に豊かになれるか

 

・どうしたら成績が伸びるか

 

・どうしたら愛が成就するか

 

・・・などのことを、当面の目的にしているとわたしは思います。

 

もちろん、こういった願いを否定しているのではありませんよ。

 

ただ、死の解決を、問題の最初には持ってきていない、

 

というのがわたしの見解です。

 

しかし、仏教は、少なくともその原初的な本質は、死の解決を目指すものです。

 

だから、わたしは仏教を拠り所にしているのです。

 

でも、仏教も、しょせんは宗教でしょ? と

 

極度の宗教アレルギーの方とは、

 

ここでサヨナラしなければいけないかもしれません。

 

それでも、なんとなくでも、気が向いた時にでも、

 

読み返してくれるとうれしいのですが。

 

今日は、だいぶぶっちゃけました。

 

ここまで読んでくれて、どうもありがとうございます。