『相良保育園』さんの「生活発表会」を観てきました!

 

もはや、ひかり組さん〔年長〕のページェントを観ねば、年は越せません♪

 

 

モチロン、0歳児さんから〔年中〕のまこと組さんまで、どのクラスのお友だちもみな、頑張りを見せてくれましたよ!

 

 

 

もうずっと顔がにやけちゃってました(笑)

 

園児さんの笑顔や頑張る姿はホントいいですよねぇ~、心が洗われるようです♡

 

また会場の「総合センターい~ら」に飾られたクリスマスツリーの横には、インスタグラムボードが!

 

 

皆さんも是非。い~らにお越しの際には「ハッシュタグ」をつけてアップしてみてくださいね♪

 

午後からは、東京大学名誉教授、藤田 覚 先生による講演

 

『田沼意次遺訓と田沼時代』

 

を拝聴してまいりました!

 

 

教授も仰られていたのですが、実は江戸時代はモチロン、日本全史を通じて、『田沼時代』のように個人の名がそのまま時代の名前になっているのは稀有なコトなんです!

 

信長と秀吉が活躍した安土桃山時代=織豊時代というのはありますが、あれだって個人名単体ではなく頭文字をとってつくられてますからね!

 

しかも、平安時代や鎌倉時代などのように「後世の歴史家が学術的な分類をするために付けた名」ではなく、当時の人々も『田沼時代』と言っていたとのコトです!

 

凄くないですか!? いかに殿の権勢が強大であったかの証左ですよね!

 

(ちなみに江戸時代に生きていた人々だって、よもや自分たちの時代を江戸時代とは言ってないハズですよね!もっと言うと、鎌倉や室町、江戸などの後ろについている「幕府」という言葉すらも、徳川将軍家の末期(つまりは幕末)に初めてできた言葉だったりします!そして明治以降、学校教育によって広く定着するようになりました。政治的意図が多分に含まれているというワケです)

 

また先生のお話の中では、田沼意次侯が寒い朝に登城する際、同行する供回りの者に対し、決して不作法はせぬように注意を払った上で、酒を飲ませ、下戸(飲めない人)には温かい食事を取らせるといった、細やかな気遣いのできる人だったともご紹介くださいました!

 

 

他にも、『田沼時代』は「宝暦天明文化」といって、大いに発展し、栄えに栄えた時代でもあったコトなどが紹介されました。それは「田沼遺訓」の中の

 

『第5条 藩(田沼家)の家臣は、武芸によくよく励んだ上で、余暇に遊芸を嗜むことは自由である』

 

といった趣旨からもわかるように、意次侯の意向が当時の価値観や文化芸能に色濃く反映されたとも言えるでしょうね!

 

そういえばこの地域は、今でも生涯学習の盛んなエリアといわれています!芸事や習い事への関心度の高さは、江戸から続くモノなのかもしれませんね!