あいにくの雨で本日予定していたイベント参加が延期になったため、
静岡市で上映されている『ニューヨーク公共図書館』を観てきました!
実は・・・。このドキュメンタリー映画の舞台になっているニューヨーク公共図書館は、ワタシを含む『とある作品のマニア』にとっては、超が付くホドの聖地なんです。
その作品とは『BANANA FISH』と言う、少女漫画ながらハードボイルドな骨太作品。(先ごろ、何と完結から24年の歳月を経て悲願のアニメ化に至りました)
ワタシがこのBANANA FISHに出会ったのは高校生の頃、学友に薦められて読んでみたら一気にハマってしまい、その後の人格形成にも少なからず影響を及ぼしたホド。
いささか「自分にも、そして他人にも厳しい」傾向にあるのも、この作品を読んだからこそでしょうし、好きな作家の1人として必ず名前を挙げているアーネスト・ヘミングウェイも、やはりこの漫画の影響です。
このBANANA FISHという作品の中で、非常に印象的なシーンとして描かれたのが、この「ニューヨーク公共図書館」。
いずれ1度は訪れてみたいと願っている聖地です。(若い頃は新婚旅行で!と考えていましたがムリでしたw あと他にも新婚旅行はイタリアに行って、オペラ「フィガロの結婚」を観るんだ!とも夢見ていましたが、やはりそちらもムリですw)
能書きはこれくらいにして・・・(笑)
ネタバレにならない程度に、映画の感想を!
上映時間3時間26分という長丁場の作品なため、冗長すぎるきらいがないワケではありませんが、全てが示唆的で本当にためになる作品でした。
図書館は言うまでもなく「知の拠点」であり、そこには今までに積み上げられてきた「人類の叡智」が収蔵されています。
どんな「為政者」も「民衆」も、そして「宗教家」も、人類の進化の過渡期を生きているとすれば、『天賦人権説』などという言葉を用いずとも、目指すゴールとしての理想は皆の心の内にあるワケで、それらをしっかりと言語化したものが図書館には収められているというコトです。
作品内では
【孤立を生まない都市を目指す。1人も取り残さない。そのための役割を担うのが図書館だ】
というニュアンスの言葉がありました。
例えば高齢者など「インターネット」に詳しくない人、パソコンを扱えない人等をそのままにせずに、知識・情報を得るためのツールを使いこなせるように手助けをする。
【図書館には未来がないと言う人がいる。がしかし図書館はただの書庫ではない。(蔵書が主役なのではなく)知識を得たいと訪れる市民が主役なのだ】
これです。この考え方をしっかりと理解しているかどうか??
行政も、そして政治家もここを違えてはなりません!
「ただの書庫」だと勘違いしていれば、図書館を「無料貸し本屋という名のコスト負担増」としか捉えるコトができません。だからこそ、優先度が低くなる・・・。
共同体という枠組みの中でしか生きていくすべを持たない我々ヒトという生物は、相互扶助という考え方から逃れることはできません。
だからこそ、その時々、場面々々によって、「持つ者は持たざる者に対し、施していかねばならない」のです!
それは「富(の再分配)」だったり、「教養」だったり、あるいは「技術」、「知識」だったりします。
そして、「思いやり」を持たざる者には、やはり持つ者が「思いやり」を施す。
それを「図書館だって、ただの数ある行政サービスの1つでしかない」し、このサービスを提供しないと市民がうるさいからなぁ・・・などという浅慮な考えで軽んじるコトがあっては、決してならないのです!
牧之原市の人口は、今46000人ほど・・・。そのウチの10000人程度が必要と欲している施設・・・、ではないのですよ!
46000人全ての市民が必要とする(されるべき)施設なのです!
なぜって?? そこでは我々が学ぶべき「人類の叡智の全て」が閲覧、参照、利用できるようになっているからです。
今日より明日、明日より明後日、我々がより賢く生きていくために!
いま思い悩み、あるいは苦しみ、生活できずにいる人が足を運び、学ぶ場所でもあるのです。
図書館の主役が「蔵書」ではなく「人」であることを教えてくれる映画、素敵な作品でした!
ぶっちゃけるとワタシ、「牧之原市以外のコト」に関しては、実はかなりどうでもいいんですね、正直言って。申し訳ないですが。国のコトとか県のコトとか2の次、3の次・・・。「牧之原市は必ず変える」ケド、国なんてさすがに変えられないしねぇ・・・って。
でも今日、「あ~、なんか世界、変えないとマズくないか??」って、この映画を観て思ってしまいました。
牧之原市立図書館長は勿論、できるだけ多くの一般の方にもご覧いただきたいですし、何より地方議員の皆さんにもぜひ観ていただきたいですね。(ただ本当に長いですっ 汗)