本日は静岡県建築士会さん主催の

『相良城下のいまむかし』に参加してきました!(サブタイトルが『ブラタヌマ』でした)

わが愛しの牧之原シティは、旧相良町旧榛原町の2町が約10年前に合併しできた街で、市場町だった榛原(はいばら)と城下町だった相良(さがら)は歴史的にも興味深い点が多いのです!

そんな中でも、郷土の有名人といえば歴史の教科書にも燦然と名前が記されている

『田沼意次侯』


世間的には贈収賄(悪評は反対派によって政治的に作られた説も!)など、ネガティブでダークヒーロー的イメージも強いのですが、重商主義政策など開明的な政策で「よほどの豪傑」、「正直者の豪傑」などと評されるように間違いなく一時代を築いた超大物です!

なんかwikiで調べたら外国の大学の偉い人に「近代日本の先駆者」と賛辞されているみたいです!

なんか地元民としては嬉しいですね♪

イベントでは、まず史料館にて相良っ子でさえ知らないカルトネタを40分ほど聞き、そのあと城下だった界隈を『江戸時代の古地図』、『明治時代の地図』、『現代の地図』あと1975、1990、2014の航空写真などのほか豊富な資料とともに市内外の歴史ファン総勢20名余と散策いたしました!!

仙台河岸~大和神社(甘酸っぱい思い出しかないのは同級生だけが知ってればいいですw)へ。



そのあと新町通りと福岡通りの分岐を越えて金比羅山。

その昔、この山の向こうは浜だったようです。ここで相良(さがら)の名前の由来が市の学芸員さんから語られました。

『サガラ』の語源は、『砂河原』もしくは『沢河原』からきてるのだそう!

いやいや、ワタシ今年43歳だよ!? 途中あいだは空いているとはいえ相良歴43年だよ!
知らんかったよ!(笑)


そのあとは『根上がり松』へ。金比羅山(通称:陣代山)から『値上がり松』、またそれ以降に続く地帯は少し高くなっているのは幼少から当然知っていたのですが、ここは元々松林だったそうです。そして、ここでも興味深いハナシが語られました!


ここ相良にも何度か津波が押し寄せてきた史実はあるのですが、記録上ではナント!
犠牲者が1人も確認されていないそうです!!

それはこの松林が天然の要害となり、地域を守ってくれていたとのコト。すごい!すごいよ!『根上り松』!! いま登ると怒られるみたいだけど、小さい頃よく登ってた!ゴメンね。

その後は御荒神通りを行き、古地図にも記されている『荒神社』へ!

ワタシは『新町の御荒神の子』なので、江戸時代の地図に載ってるのが妙に誇らしかったり♪


母の逝去からもうすぐ、3年。
ようやくこの通りに来ても、涙を堪えれるようになった自分がいますね…

一向はその後も、浄心寺や大澤寺など『江戸-現代』の比較だけでなく、訪れた通りや場所ごとに明治や大正、昭和の写真を紹介して貰いながら、相良を堪能致しました!

ホント、いままで知ることのなかった町の魅力に気付くことのできた至極の時間でした!

夕方からは、ほぼ同時刻に『榛原総合福祉センター さざんか』にて行われた福島県郡山市から富士宮へ自主避難してきている長谷川克己さんのお話を聞く会に、だいぶ遅れて伺いました。

こちらもやはり貴重なお話をお聞きできましたね。


『さざんか』をおいとまし、さらに次の予定に伺うとそこでも津波のハナシがでました。
総じて今日は津波の話題が多かったように思いますが、

歴史上(記録上)、津波被害者が出ていないのであればこれからもその記録を更新するのみ!!

と決意を新たにした1日でもありました!!