Iのたね~自己肯定感を求めて三千里

Iのたね~自己肯定感を求めて三千里

摂食障害(拒食・過食)・家庭内暴力・水商売・援助交際・家出・自殺未遂・うつ病・不倫・中絶を経て知った”たった一つだけ”伝えたい、この世の真実。

Amebaでブログを始めよう!
自分を愛することに疲れたあなたへ。


これ以上、世間の「自分ラブ」「セルフラブ」に振り回されることなんてないし、

心や身体にむち打って、自分を愛そうとしなくてもいいんだよ。

自分を愛することって苦行じゃないんだよ。








自分を愛することについて思うこと

近頃はやりの「自分ラブ」「セルフラブ」。

ここでは、「自分を愛する」って言葉を使うね。



「自分を愛する」ことについて、たとえばこんなふうに言われてる。


・自分を受け入れること。
・自分を許すこと
・自分を満たすこと。
・自分を大事にすること。
・自分の心の声を聞くこと。

そして、

◎自分を愛せば世界が変わる!
◎まずは自分が変わることで、世界が平和になる!
◎自分を愛せば人を愛せる!
◎生かされている命を愛さないなんて失礼!
◎ただ生きているだけで、自分を愛していい!
◎まずは自分が自分を愛することで、みんなから愛される!
◎そして周りも幸せになっていく!幸せに循環が生まれる!



そんなふうに

「自分を愛する」ってすごくポジティブなイメージがあるんじゃないかと思う。

すごく大切で、本当に素晴らしいことだし、もっと広まれば良いと思ってる




でも私は・・


自分を愛そうとしてるのに

愛せない人がいることを知っている。


そんな人が自分を愛せない自分を責め続けているのも知っている。

そしてそれが、苦しくて仕方ないって知ってる。

自分を愛することに疲れ果てたあなたにこそ、

もしも私の想いが届いたら、これ以上に喜びはないっておもってる。






【自分を愛することが全てじゃない】

だからこそ、

「自分を愛する」ことに、違和感を感じる。


もちろん「自分を愛すること」が本当にその人自身の喜びであり、


そうし続けることで、生きる気力がわいてくることもある。


それも、真実だと思う。



でもね、


本当に大事なものって、空気みたいにもっと当たり前にあるんじゃないかって思う。



どこか言葉だけが先行して

「愛すること」が善となり、「愛さないこと」が悪になってしまってる。

「自分を愛することって素晴らしい」が「自分を愛せない自分はダメなんだ」という否定を生んでしまってる。




そんな気がしてならない。




もし今、あなたが「自分を愛すること」に満足してるのだとすれば、残念だけど必要がないだろうから、そっと画面を閉じてほしいと思う。





私は、対立や争いを生みたいわけじゃない。

一つだけお願いがあるとすれば、

自分を愛したいのにそうすることが難しい人がいることだけでも知ってほしいって思ってる。










【世間の真逆を貫くということ】


「自分を愛するって素晴らしいよ!

なんでやらないの?私は変われたよ!

だからきっとあなたもできる…!」



って言えちゃう人がいるのも知ってる。


自分を愛する素晴らしさを伝える多くの人は、

伝えたいからそうしてる。

きっと幸せでいたくて、大事な人に心から笑顔でいてほしいから、そうしてる。


言葉一つで、笑顔になる人がいれば、苦痛に変わる人もいる。

言葉一つで人を救うことも在れば、悲劇に変わることもある。


良いと思った情報を発信しているだけなのに、

それが一方で誰かを苦しめてしまう。



そこに、良いも悪いも、正しさも存在してない。


ならば、

世間や一般常識と真逆をいったとしても


たとえそのことで批判を生むのだとしても、


私は、自分の想いを伝え続けたい。





【自分を愛し続けて、壊れていった過去】

えっと、ここ4~5年間くらいかな。

愛せないなりに、愛そうとした。



上でも書いたけど、今でも自分を愛することって、すごく大事だと思ってる。

それなのに、自分を愛そうとするほど苦しかった。

おかしくなっていった。



これは自慢になってしまうけど、

時間もお金もエネルギーもかけて学ぶことをに意識していたし、

できたかどうかは別に、実践したと思う。


潜在意識の書き換え
エンプティチェア
ビリーフチェンジ
インナーチャイルドの癒し
過去生の解放やヒーリング
女性性開花ワーク
フォーカシング
アートセラピー
誘導瞑想
ファミリーコンステレーション
etc


それらセラピー以外にも、頼ることが大切ときいて、思い切ってどんどん人の力を借りた。

こんな自分に手を差し伸べてくれる人がいることを知って、すごく嬉しかった。


そうする中で、自分と向き合うことが多かった。


そのために努力したら変わった。変われた。

少しずつ、自分の素晴らしさを感じることができるようになった。




あのね。


けして、努力は報われるんだってことを言いたいんじゃない。


そうじゃなくて、


何かがおかしいと気づいた。



あるとき、



どこまでやったら、

どこまでいったら、

終わりなんだろう。と思った。


”時間もお金もエネルギーもかけてる”はずなのに、なんかおかしい。


効果はずっと続かなかった。




何度自分を癒しても、

潜在意識を書き換えても、

何度自分の枠を外しても、

消えることのない無価値観。



いつしか、自分を愛することに疲れてしまっていた。


永遠と生まれ変わる魂(私たち)に終わりを求めること自体がナンセンスなのかもしれないけれど、

私の自我は、満足を知ることが無かった。




そして・・


またなじみ深い虚無感や絶望感に襲われる。



死にたい。


あんなに変われたはずなのに



いくら満たしても、

いくら愛しても

いくら大事にしても

やっぱり振り出しに戻るんだ。



何度もそんなはずはない。きっと、謙虚さや努力が足りないだけ。私の考え方が違うだけ。って思おうとした。





そんな心と裏腹に、益々心はすり減って行く。





みんなは変われてるのに、なんで私だけ変われないんだろう?

いつまでたっても私の心の闇は消えそうにない。

何がいけないんだろう?



責めたくないのに、責めてしまう。


ある日、ベッドから起き上がることすら出来なくなった。


そして、その答えを知った。










【なぜ自分を愛することができないのか】

だからさ、もし私と同じような人がいたら、こうきいてみたいなって。





ちょっと、いやかなり、キツいかもしれないから心してきいてね。





きっと・・


どこかで・・


あなたがあなたのこと、




・愛さなきゃって思ってるんじゃないかな。


・愛そうとしない自分には価値がないって思ってるんじゃないかな。


・愛せない自分はダメだって思ってるんじゃないかな。


・愛そうと力が入って、心からリラックスできないんじゃないかな。


・本当はやめたいのにできなくて、心が悲鳴をあげているんじゃないかな。



だから苦しいんだよね。


愛そうとするたびに、愛せない自分を否定しちゃうんだよね。


もし今・・

心が痛むと感じるならなら、

無理しなくて良い。



今から、あなたのこと突き放すから

これ以上先に進まない方がいい。







本当に楽になりたいって思ったら、先に進んでね。








本当に?














じゃあ、2回深呼吸しようか。



すってー。




はいてー。




すってー。



はいてー。













準備は良い?







あのね。

もう、いいじゃない。





いいんだよ。自分を愛せなくたって。




いいんだよ。これ以上自分を愛そうとしなくたって。






ごめんだけど、はっきり言う。



それ以上頑張ったら、それ以上無理したら、あなたが可哀相だよ。




これ以上、世間の「自分ラブ」「セルフラブ」に振り回されることなんてないし、

自分にむち打って、自分を愛そうとしなくてもいいんだよ。

本当に自分を愛することって苦行じゃないんだよ。



うん。



傷つけたなら、ごめん。


こんなに今までがんばってきたのに、否定された気分になった?


そんなことわかってるけど、できないから困ってるのに!




って思う?



うん、誤解されてもいいんだ。

聞きたいくないなら、聞かなくていいよ。

あなたを苦しめたいわけじゃない。

ききたいと思ってもらえる時にだけきいてほしい。










ききたい?














できないから、困ってる。悩んでる。


そうだよね。



愛したいのに愛せないって、本当に苦しいよね。

いっそのこと、愛そうとすることをやめられたら苦しまずにすむのにね。

本当に苦しいのに、愛そうとすることをやめれないんだよね。


それって、

”自分を愛せないけど、それでも愛したいから”なんだよ。



そこは譲れないじゃないかな。






逆の見方をすると、



あなたは自分に対してこんなにも懸命に悩めるってことなんだよ。

あきらめないでいる強さを持ってるってことなんだよ。

愛したいと思う純粋な心を持ってるんだよ。




愛そうとすること事体が、”もう既に”自分を愛してるってことなんだよ。




じゃないと、こんなめんどくさくて長い文章なんて読まないし、そのことで悩まない。


そう。

あなたは、本当の…本当は・・

自分を愛してるんだよ。



だからこそ、苦しむんだよね。


自分への愛をもってるからこそ、悩める。


そうじゃない状態が苦しいし、


できない自分のことを責めちゃって、さらに苦しいんだよね。



心はいつも戦場みたいで、ひとときも休まらないのに、今までよく生きてきたよね。





私は、今あなたが自分を愛せないことが、あなたの本望でないことを知ってるよ。


あなたは、愛せなくても、愛そうとしていることが、もうあなたがあなたを愛している証拠だって、知ってるよ。



もう一度言う。


あなたは、本当は、もう既に自分への愛をもってるんだよ。



あなたが自分を愛せないことすら、自分を愛しているということ。



だからこそ、

私は、自分を愛せなくていいじゃないって思う。





だって、


自分を愛せない自分を愛することなんて、親や先生に教えてもらえなかったんだから。


それくらい辛い過去があったんだから。


もう十分、頑張ってきたよ。




もう、自分を愛そうとすることから、自由になっていいんだよ。




自分を愛せなくたって愛されるんだよ。

愛そうとしなくたって、愛されるんだよ。

愛することをやめたって、愛されるんだよ。






だから、ゆっくり進むことを許してあげてね。

時には立ち止まることをゆるしてあげてね。


私はそんなあなたを大歓迎するよ。



おかえりなさい。

1からの続きです。

この、アイテムをどう使いこなすかは、あなたの次第。

まずアイテムの存在に気づいた時、自分はどうしたいのか。どっちを選びたいのか。ということを自分で決めることができるということ。


当たり前かもしれないけれど、これに気づくことって、すごく大事なんだ。



一番大事なのは、あなたの気持ちなんだ。


それがどんなにネガティブな感情であったとしても。




つまり、それがどんなにネガティブな感情であってもあなたの気持ちが一番大事ということは、

(過去記事や、この記事の冒頭で要約したブログのメッセージともつながってくるんだけど、)

この、

”苦しみには価値がある。その苦しみは、あなたへのギフトなんだ。だから、無理して手放さなくていいんだよ”



というメッセージの意味は、つまるところ、




どんなネガティブな感情にも価値があって、ネガティブだからという理由で、誰かに否定されたり、タブー視されたり、排除されたりすべき感情なんてひとつもない。


ということなんだ。



だから、私は、あなたの苦しみに寄り添いたい。

ただただ、寄り添いたい。


寄り添うことで、「その苦しみがあってもいいんだよ」って伝えたい。






ちなみに、「ネガティブな感情なんて価値がない」という感情にも価値があるんだけど、


実は、その苦しみの感情はあなたにある大切なメッセージを伝えようとしている。


あなたのそのネガティブな感情が強いほど、あなたのその苦しみが大きいほど、素晴らしいギフトがたくさん詰まっている。



(言い換えるならば、その大切なメッセージ(ギフト)を受け取るまで、悲しいけれどそ
の苦しみは続いてしまうこともありえると思ってる。)






ーーー

あなたは、ここまで読んできて何を感じただろう?



過去の私のように「ネガティブな感情に価値があるわけがない」と思うかもしれない。



でも、もし苦しみから解放され、楽になりたいのだとしたら、

まずは、○○って本当に価値がないのだろうか?と疑ってかかる、ということから始めてみてもいいかもしれないって思う。


そもそも価値ってなんだろう?とか。




ただ、きっと、当時の自分なら、「ネガティブな感情に価値があると思えない私はなんてダメ人間」なんだろうと、自分をめちゃくちゃ責めてしまっていたと思う。

自分を責められているように感じてしまって、この先の文章も読むのをやめていたと思う。きっと、布団をかぶってベットに引きこもっていたと思う。

そうなったら、自己否定スパイラルに入って、もう体が鉛のように重くなって、起き上が
ることもできなかった。



でもね。


できない自分を責めてしまっても大丈夫だから、



これだけは知っておいてほしいことがあるんだ。

自分の苦しみに価値があるかは、自分で決めることができる。ということを。

もし、その苦しみの中に押し込められた本当の自分の価値を見出すことができたら、その苦しみは価値があると言うことができると思う。

誰が何を言おうと、価値があるって思う。

だから、もし、あなたが抱える苦しみを否定してしまうなら、

その苦しみを否定しないでいいんだよ。

苦しんでしまう自分を否定しないでいいんだよ。

苦しみは必ずしも手放さなくてもいいんだよ。

苦しみを手放せなくても大丈夫なんだよ。

って伝えたいんだ。



たとえばネガティブな感情の一つである苦しみや憎しみについて。

「苦しみや憎しみからは何も生まれない」って言葉を一度は一度は耳にしたことがあるかもしれない。

ほかにも、悲しみ、恨み、否定、怒り、痛み…etcからくる苦しみ。

でも、本当にそういった苦しみや憎しみからは何も生まれないのかな?

本当に?


私はね、そんなことないって思う。



そんなことはないんだよ。



絶対にない。


苦しみからは何も生まれないなんてことは、ありえない。



ーーー

たとえば、あなたが生まれたときだってそうだと思うんだ。


あなたを生んだお母さんは、あなたを生むとき、一秒たりとも苦しまなかったかな?


きっと、陣痛の時なんてもう、痛みのまっただ中だったんじゃないかな。


出産のつらさは、鼻からスイカがでるくらいの痛みとも喩えられるほどで、中には24時間以上痛みと戦ったお母さんもいてる。




で、あなたのお母さんの苦しみからは何も生まれなかった?



ううん、そんなことないよね。


生まれたよ?

あなたって人が^^



もっと言うと、お母さん(お父さん)はきっと、あなたの誕生を喜ばれたんじゃないかな。たとえ今どんなに拒絶されていようとも、最初の最初は歓迎されていたと思う。


そうじゃないと、1週間もしないうちにあなたは餓死して死んでたはずなんだ。


赤ちゃんのときに死んでないってことは、たとえ片親であったとしても、親に捨てられたとしても、この世に生を受けた瞬間、あなたは家族に歓迎されたんだよ。

なんとなくでも、言いたいこと、伝わるかな?

そう、見方次第なんだよ。



苦しみからは何も生まれないなんてことはありえない。


とはいえ、苦しみから苦しみが生んでしまうこともあると思う。


でも、どんだけ苦しんでも、その苦しみから何を生むかは、自分で選択できる。


苦しみから苦しみを生み出すこともできれば、喜びを生み出すこともできる。





出産の例でいくと、苦しみの渦中にいるとき、あなたのお母さんは、あなたが生まれることを知っていたから耐えることができたのだと思う。

自分の痛みの先に、あなたが生まれる喜びを信じていたから、「痛いからもう子供を生むのやめよう」とあきらめなかった。

もし、あなたのお母さんが出産の痛み(苦しみ)を手放していたら、あなたは生まれることができなかったんだよ。



あなたのお母さんは、苦しみから喜び(命)を生み出したんだ。



そうやって出産の苦しみを例にとってみても、苦しみには価値がないと言い切れないんじゃないかと思う。



どんな出来事も、どこにフォーカスをあるかで、価値がかわってくる。



だから、見方を変えてあきらめずにその苦しみと向き合って、とことん突き詰めて、きっと今は苦しいけれど、この苦しみの先には喜びが待っている!と思うこともできる。




しつこいようだけど、大切なことだから、もう一度言うね。




苦しみは必ずギフトを生む可能性を無限大に秘めている。





うん。

だからね。



どうか安心してほしい。




そして、もしあなたが苦しみから抜け出したいと思うのならば、その苦しみに価値があると信じてあげてほしい。



その少しの勇気が、この先の未来を変えていく。


苦しみに価値があると信じてみようと思うことで、今のあなたをも変える。


あなたの苦しみに価値があると見出せるまで、私は伝えることをあきらめたくないって思ってる。



今はそう思えないかもしれないけど、あなたの苦しみは、絶対に、ぜーーーーーったいに、価値がある。価値を見つけることができる。



私に、そのためのお手伝いをさせてもらえないかな?



だから、今はまだ苦しむ自分を責めることしかできなくても、苦しんで大丈夫なんだよ。




絶対、大丈夫。




ーーー

あなたは、なぜ苦しみを手放せないのだろう?人はなぜ苦しむのだろう?どうやったら、苦しみが消えるんだろう?

その答えとは、

もしかしたら、その苦しみを手放してしまったら、真の喜びを手放すことになってしまうからかもしれない。

もしかしたら、真の喜びを得たくて、苦しんでいるのかもしれない。




私は、苦しみの中に光を見出して、そこから真の喜びを得ることができた時、はじめて苦しみが消えるんだと思ってる。







だからどうか、あなたの苦しみを簡単に手放したり、切り捨てたりせず、時間がかかってもいいから、少し苦しみと向き合ってあげてほしいんだ。





本当は、その苦しみはあなたにギフトを送ろうとしているのかもしれない。




ーーー

次回から、自分が何を経験し、どのように苦しみと向き合い、そして、何を見出してきたのかについて、詳しく書いていこうと思います。
お久しぶりです。

お休みしている間にも、いいねを押してくださった方、読者登録してくださった方、本当にありがとうございます。


この半年間、キーボードを打つことにすごく抵抗が出ていました。


自分の文章で結果的に傷ついてしまう人がいるんじゃないか、とか、自分の表現力が足りないせいで、伝えたいことが伝わらないのではないかと思うと、ブログを書く手が止まってしまいました。

待っていてくださった方がいらっしゃったら、ごめんなさい。

でも最近やっと、伝え方の正解は一つだけじゃないし、自分も書くことで学ばせて頂こうって思えて、肩の力が抜けました。


まだまだ核心を伝えられる自信はないし、合わない人も多いかもしれないけれど、今の自分の精一杯の言葉を紡ぎたいと思っています。

これからもマイペースに続けて参りますが、どうぞよろしくおねがいします。





ーーー


*今回からの記事で私が伝えたいこと、私が伝えることができること。




”苦しみには価値がある。
だから、無理して手放さなくていいんだよ”

”人はなぜ苦しむのか?苦しまなければならないのか?
実は、その苦しみは、あなたへのギフトなんだ。
苦しみをギフトに変える条件はたったひとつだけ”

”それは○○○”





どうか、このブログが、あなたを解きほぐすヒントになりますように。


そして、どうかたった一人でもいいから、この思いが届きますように。


○○に入る言葉は、まだ内緒です☆





---

苦しみは手放しましょう」っいう言葉がある。



これって、真実なのだろうか。
これって、常識

それとも?


私は、「苦しみは手放すべきもの」という風潮が不思議でたまらない。


なぜって、今のあなたにとって、そうすることが本当に最善なのかな。

誰もが、本当に、そうすべきなのだろうか。

それが万人の、いや、あなたの幸せにつながるのだろうか?


って、思ってしまう。




確かに、手放すことが必要な場合もあると思う。


でも、必ずしもそうかというと、ちょっと違うと思ってるんだ。



現に、世間の大多数の人たちに受け入れられるポジティブな考え方やアドバイスが通用しないで苦しんでいる人がいる。
よかれと思ってわかったような正論を押し付けられ、ますます心を閉ざすことしかできない人がいる。



私もそうだった。


苦しみを手放せと言われても、手放せない。
ずっとひとりぼっちで、心の中には悲しみや孤独感、罪悪感などの苦しみしかない。
愛を十分に与えてもらえず、苦しみしか感じられない自分に苦しみを手放せなんて、無理だ。

どうしてそんなひどいことを言うのだろう。

愛されて育った人が羨ましい。

自分では親や生まれた場所などの環境を選べない。

自分も周りも許せない。憎い。大っ嫌い。

どうして、自分だけ。不公平だ。

こんなことなら生まれてこなければよかった。

生んでほしくなんてなかった。






実は、そんな感情を抱えることしかできない人に、「苦しみを手放しましょう」「ネガティブな感情を手放しましょう」というもっともな意見は、崖からその人を突き落とすくらいのレベルで相手を傷つける。



相手はそんなつもりで言ったのではなくても、結果的に、私たちは絶望の縁に立たされてしまう。
自己肯定感を持てず、これ以上ないほど傷ついていると、そんな自分を守ることができず、相手のちょっとした言葉で心をズタズタに切り裂かれてしまう。




うん。


簡単に苦しみを手放すことのできる人にとって、それができない人の苦悩はなかなか理解できないのだと思う。


じゃあ、今すぐ苦しみを手放せない私たちは、どうすることもできないのだろうか?


そんな悲しすぎることがあってたまるかって思う。


これ以上傷つく人を、増やしたくない。


だから、常識に立ち向かいたいと思った。




ーーー

あくまでも、これは提案。

もし、理解し合えない相手に立ち向かうアイテム(武器)を手にすることができるなら。

死にたい気持ちを抱えた人だからこそ、手に入れることができる強力なアイテムがあるのだとしたら。







もしそうだとしたら、あなたはアイテムを手にしたいと思ってくれるだろうか?



世界でたった一人でいいから、このアイテムという名の価値観を届けることができたらと願ってる。







ーーー

まず最初に、

このアイテムは、きっと死にたい気持ちがわからない人にとって、道ばたに転がった価値のない石ころに見えるかもしれない。


全てのひとに通用するとも思わないし、全ての人に共感してもらうことは無理だと思う。

もしかしたら、私が伝えようとしているとは、遠回りの道なのかもしれない。


ただ、間違いなく言えることは、私はこのアイテムを手にすることで、前に進むことができた。


私にとって、「苦しみには価値がある」と信じることは、まぎれもない真実だった。

楽な道のりではなかったけれど、そう信じきることで、たくさんのもの得ることができた。



たとえば、



*苦しみと向き合うことができるようになった。
*苦しんでも良いんだと楽になり、自分を許せるようになった。
*死にたいと思うことがなくなった。
*生まれてきてよかったと思った
*親に感謝できるようになった
*自分が好きになった。
*嫌いな自分を受け入れようと思えるようになった。
*自己肯定できるようになった。
*自分を信じようと思うようになった。




ほかにもたくさんある。


そして、常識や多数派の意見を信じることが全てではないと思うようになった。







だから、もしかしたら死にたいほどの苦しみや悲しみを抱えていない人、あるいは、抱えたことのない人は、見えている世界が違うから


「そんな馬鹿げた考えは間違っている」
「悲しみや孤独、そんなものをいつまでも抱えていては前に進めないから、さっさと手放すべき」
「ポジティブこそが全て」
「苦しみなど感情や思考は本当のあなた自身ではありません。」


”だからその薄汚れた石ころを捨てるんだ”=”早く苦しみを手放しましょう”

と言うかもしれない。



それが良いとか悪いとかじゃないんだ。


ただ見てる景色が違っていて、通ってきたルートが違うだけだって思ってる。





何よりも、誰一人として同じ苦しみを抱いている人はいないから、あなたがその石ころ(アイテム)を手に取ってくれるかは、わからない。


でもあなたには、きっとその価値に気づける人だって、信じてる。
だって、中身は違えど、苦しみというものを抱えているという点では一緒だから。

だから、「今すぐ」にでも自分を救うアイテムを手に入れることができる可能性があるんじゃないかって。





もちろん、すぐにアイテムを受け取らなくてもいい。


もう少し、準備期間が必要かもしれない。

たとえば、受け取るだけ受け取っておいて、いつか使う日までとっておくこともできる。

逆に、今必要であってもいつか不要になるときがくるかもしれない。




ただ、できることなら「受け取る」「受け取らない」は、いったん置いといて、その道ばたに転がった石ころ(アイテム)の存在に知ってもらえたら、すごく嬉しい。






死にたいと思ってもいい。
そこは"命の聖域"なんだよ。



***

死にたいと願うあなたへ。



死にたい。
死んでしまいたい。
一日も早くこの世から消え去りたい。
私のような人間は生きているべきではない。いっそ殺してほしい。
劣等遺伝子を持った私は人類の負の遺産だから、一刻も早く滅びるべきだ。
なんで生まれてきてしまったんだろう。
死ねば、きっと楽になるのに。

一秒でも早くこの苦しみから逃れたい。
この地球上に存在していたくない。

もう、疲れた。

死にたい、死にたい、死にたい。



そう思ってるあなたへ。







今まで、その気持ちを打ち明けたことがある?



なかなか相談できない人が圧倒的なんじゃないかなと思う。



悲しいけどこの世には、死にたいと思う人に対して心ない言葉がはびこっている。






ある人は第一声、ストレートにこう返すかもしれない。

死ぬな、死なないで。と。



またある人は、あわてふためき、


早まるんじゃない。命は大切だ。あなたは、かけがえのない存在なんだよ。

とかね。




またある人は、


君が今生きている今日は、昨日死んだ人が生きたかった明日なんだよ。

人生相談のテンプレートみたいな言葉を返す。




またある人は、


大丈夫!いつか生きてて良かったと思える日がくるから。あなたの人生は、絶対うまくいく!




と、無理やりポジティブにもっていこうとする。



またある人は、よかれと思ってこんな名言を教えてくれるかもしれない。



蒔いた種は自分で刈り取らなければならないんだよ。
原因と結果の法則って知ってる?


辛いかもしれないけど、あなたは自分でこの状況を引き寄せたの。全部自分で選んで生まれてきたんだよ。


神様は乗り越えられない試練は与えないんだよ。今の苦しみが糧となって、感謝できる日がくるよ。


てなかんじに。そんなんで救われたら、こんなに苦しんでない。





またある人は、


わかる。わかるよ。私(俺)も昔はね…(以下略)

と、自分語りをしだすかもしれない。


またある人は、



そう思うのは、心が弱いからだ。
良い年して、いつまでも甘えるんじゃない。



と、いとも簡単に残酷な言葉のナイフをなげつけ、私達の尊厳をかっさらっていく。



またある人は、なんと声をかけて良いかわからず、困ってしまうかもしれない。



またある人は、


本当に死にたい人は、死にたいなんて言わないんじゃない?考えすぎだよ。



とか、




死にたいっていうのは、本当は生きたいってことなんだよ。辛いだろうけど、辛いのはおまえだけじゃない。




と、もっともらしい正論をぬけぬけと言ってのける。

もしかしたら、初めて心を打ち明けて、一世一代の大告白とも考えずに。







またある人は、


辛かったね。よく今まで頑張って生きてきましたね。

と、あなたの感情に寄り添ってくれるかもしらない。






















うん、なるほど。


どれも間違ってないと思う。

事実、ある時には、その言葉で救われることもある。


どれが良いとか悪いとかじゃない。



今回書くことは、世間の逆を行くかもしれない。



でも、伝えたい。




さっきまでのような言葉の数々に、私はちょっと待てと言いたいんだ。





あ、猫被った。



本当は、

うん、ほんとはね。


ふざけるな!と、言いたい。


わかってない。全然わかってない。


あなたに何がわかる?とできるなら、張り飛ばしてやりたい。







あなたは、上記の水色の部分のような言葉をかけられたら、どう思うだろう。



一番最後の、「辛かったですね。」系の言葉もかなり感情に寄り添ってるように聞こえるけど、どうも人ごと感が漂うように思う。




私だったら、私の何が辛いか知ってんの?わかったようなこと言わないで、とか、お決まりのセリフ言ってんじゃねー、ってひねくれた考えをしてしまうんだ。






どうしてか?





私はもっと別の言葉をかける。


死にたいと言われたら、こう返す。








「うん、それが、あなたの望み?」







あなたはなん答えるかな。















私があなたに第一に伝えたいとは



「死にたいって思っていいんだよ。」ということ。






だってそれが、あなたの望みなんでしょ?

何を望んだっていいんだよ。


だってそれがあなたの心からの、願いなんでしょ?





耳をかっぽじって、もう一度聞いてほしい。




あなたの「死にたい」は、そんな生半可なものなの?




違うよね?



死にたいっていう思いだけは、いままで自分を抑え殺してきたにもかかわらず、抑えることができないんじゃないかな。



どんだけ他の感情を殺せても、その願いだけは殺せないし、他のどの願いを差し置いても、この願いだけは捨てれないんじゃないかな。







あのね、


死にたいという思いを否定して、自分に嘘をついても、その思いだけは嘘をつけないようになってると思うんだ。




だからこそ、自分にウソをつけばつくほど、さらに死にたいという思いは強まっていくんじゃないかなって。




これまで、数え切れないほど傷ついてきた貴方は、いったい、どれほど心が砕け散ってきたことだろう。












でも、もう、大丈夫。



死にたいという思いだけは、絶対に砕けないから。



誰にも壊すことも、否定することも、なかったことにも、できないから。



過去に、あなたをどれだけ裏切り、否定した人間も、その思いだけは、この世の誰も侵すことができない。



むしろ、他人に否定されればされるほど、死にたいという思いは強まる。










つまり…






えっと、いまから、ブッ飛んだことを言うね。




頭がイカれてるとののしられてもいい。



でも、そのかわり、




「本当に、死にたくて死にたくて、もう死ぬことしか考えられないけど、でも死ねない人」に聞いてほしい。

























あのね、


「死にたいという思いはこの世の誰も侵すことができない」




ということは、





あなたは、死にたいという希望を持つことで、



「すごく神聖で、不可侵な領域」



に、足を踏み入れているんだよ。



今あなたは、鉄壁の防御力を持っているんだ。



私は、そこは「命の聖域」って思ってる。




一見、死にたいという思いは、自己否定を重ねた自己否定で、この世の、いやこの宇宙の最大の罪なんじゃないかなと思う。



でも、裏を返せば、あなたは、誰も好き好んで受けて立たないこと(罪)を、受けて立ってるんだ。


たとえるなら、この世の多くの人が放棄せずにはいられない重荷を、あなたはずっと背負って生きている。



今もずっと、懸命に背負ってる。





ただ、好きで背負ってるわけじゃないよね。



早くその重荷から逃れたくて、楽になりたいという思いが、益々積もっていくばかりなんじゃないかな。



早く逃げたいのに、早く楽になりたいのに、でもできなくて、それで苦しんでるんじゃないかな。




でも、それはさっきも言ったように、この聖域にはだれもが足を踏み入れることができるわけではない。



この場所に足を踏み入れるには、とてつもない苦しみを引き換えとする。



入った瞬間、逃げ出さずにはいられない。





なのに、あなたは今、この瞬間もその重荷と戦ってるんだよ。





それって、すごいことなんだよ。




本当にすごいことなんだ。




本当に、すごいんだよ。















まだしっくりきてない、そんなあなたに、またまた質問。






あたなには、これだけは譲れないものってある?



これだけは胸を張って貫ける、ことある?


何が好きで、何が嫌いか。



何がしたくて、何がしたくないか。



どんな人だったら尊敬できて、どんな人を許せないか。








そんなこと、もうどうでもよくなってないかな。


もしかしたら、自分の意見、気持ちや本音がわからなくなってないかな。







私は、そんなもの何にもなかった。早く死ねればそれで良かった。



やりたいことをやっていいんだよって言われても、何がやりたいのかわからなかった。


自分の意見を言わずに、他人に合わせたら、嫌われずにすむかなって思ってた。無理やり合わせてると、他人の意見と違う時に苦しくなるから、感じること、考えることをやめるようになった。

そしたら、だんだん自分の意見がわからなくなって、嫌いなものがなくなった。しまいにはやりたいことも持てなくなって、自分らしさを失った。

そして、自分の意見や本当の望みをしっかり持つことができりようになるまで、随分かかったんだ。


だからこそ、自分の意見・感情・気持ち・願いは、当たり前にわかることじゃないと、知った。







だからね。





私はこう思ってるんだ。







さっきよりブッっ飛んだこと、言うね。


















ほんとに大丈夫?




















あのね、











もし、




もしもあなたが、



他の何を引き換えにしても



今、心の底から、



「死にたい」と願っているなら…




私はあなたのその「死にたい」という心の叫びを、







尊いと思う。










本当だよ。







すごく、すごく尊い。





だって、


これまでの人生を振り返ってみて、



今の死にたい気持ちよりも切実に、




◯◯したい、◯◯したくてしょうがないと、強く思ったことある?


これほどまでに、強い衝動にかられたことある?


寝ても覚めても、年中無休で24時間営業中ってくらいに、気が着いたら◯◯のことばかり考えてるってこと、ある?

これほどまでに、忘れたいのに忘れられないってこと、ある?




(もしかしたら、人によっては自傷やアルコール、失恋、過食、その他の欲求の方が強いかもしれないけれど、それはまたの機会に)





なぜこんなことをきいたのかというと、



○○したい」っていうエネルギーって、ハンパない。



中でも、たとえば「自分の命と引き換えにしてもわが子を守りたい」って思う母親がいるように、



自分の命と引き換えにしたいほどの、○○したいという思いは、最上級にすばらしいと思う。



それほど、強い決意と覚悟を要する。




だから、その最上級に素晴らしい「○○したい」は、「守りたい」であっても、それがたとえ「死にたい」であっても、優劣の差なんてあるわけがない。





だから私は、




あなたの「死にたい」という心からの「○○したい」という気持ちを、尊いと思う。








自分に自信を持てなくていい。


これまでの、そして、これからの人生にYESと言えなくてもいい。


自分にイエスと言えなくてもいい。



でも、せめて、その「死にたい」という自分の気持ちに、



堂々と、YESといって欲しいんだ。







だって、それが



「あなたの望み」なんでしょ?















「見つけた」



貴方に伝えたいことがある。


どうしても、聞いて欲しいことがある。


一目でいいから、貴方に会いたい。


一言で言いから、この声を届けたい。





よくこんな言葉を耳にする。


時間が解決する?明けない夜はない?


君より辛い目にあってる人はたくさんいる?


ちがう。ちがう。そうじゃない。


バカにするなって言いたい。


正論、きれいごとなんてクソ食らえ。




”みんな” とか ”時間が” とか ”世間が” なんて、もっとクソ食らえ。


”いつか”なんてききたくない。


”今”苦しいんだって。そう思っていた。

究極は、”消えてしまいたい” ”死んでしまいたい”って思ってもいいし、そう思ってるとうことは、”今”の真実以外の何者でもないんだって。私はそう思う。


少なくても、かつて自殺未遂をした時、それが真実だった。


あるものはある。ないことにはできない。したくない。



でも、未遂後もずっと死にたくて苦しくて、

そんな普通じゃない自分が嫌で嫌で仕方なくて、早くこの世から消えたかった。



でもさ、



あのさ、自殺願望をもっていけないなんて、誰が言ったの?





いいじゃん、別にそう思ってても。


そう思ってるんだから。



言い方、キツイかったかな。



自分に嘘をつかなくていい。って言いたかったんだ。


思ってることを否定しなくていい。


死にたい自分を責めなくていい。


そうやって、否定に否定を重ねなくていい。







ねぇ、自分のことが大嫌いな貴方は、
「(過去の)あなたはがいるから、(現在の)私がいる」そう言っても、関係ないかもしれない。



ねぇ、どこにも居場所がなかった貴方は、

「あなたは一人じゃない」そう言っても、受け取れないかもしれない。



ねぇ、早く死にたくて仕方ない貴方は
「あなたはここにいてもいいよ。」そう言っても、信じられないかもしれない。



ねぇ、愛を知らずに育った貴方は、
「よく頑張ったね、大好きだよ。」そう言っても、胡散臭いと思うかもしれない。



ねぇ、誰のことも、自分さえも信じられない貴方は、
ましてや、「今までごめんね」…そう言っても、気持ち悪いかもしれない。


きっと、「私の何がわかる!?」そう思ってるかもしれない。



それでも、伝えたい。



私なりの言葉で。



きいてくれる?



わたしなら、貴方の手をつかんで、貴方の目を見て、こう叫ぶ。





「見つけた」



以上!





それだけ?って思ったかもしれない。





きっとあなたは困惑するかもしれない。


私の手を振り払って、逃げ出そうとするかもしれない。


さわるなと、叫び声をあげるかもしれない。キレるかもしれない。




でも、私は、絶対に貴方を離さない。



この手を離さないことが、あなたはかけがえのない存在なんだよっていう、私の意志。



きれいごとは振りかざすものじゃなくて、自然に伝わるものなんだって思う。



それを伝えたいから、伝わって欲しいから、たとえこの手を振り払われようとも、何度でも貴方の手をつかむし、何度でも、何度だってこう言うよ。



「見つけた」って。



”自分が存在すること”を 何よりも恐れ、認めることができない貴方は、一番聞きたくない言葉かもしれない。目を背けたい事実かもれない。




そもそもそれすらも通り越して、とにかく死にたくて仕方ないかもしれない。



じゃぁ、そう思っててもいい。



突き放してるように聞こえるかもしれない。




でも、貴方の代わりに、私が、貴方を認めるから。




貴方が自分を認めることができるまで、手を離さないから。




きっと、”今” 苦しいよね。


貴方が、”いま、ここにいるということ”


認めなくていい。認められなくていい。




貴方が、”いま、生きているということ”

認めたくなくてもいい。認めたくても、認められくていい。



そんな自分が大嫌いでもいい。




でも


でもね、



誰が貴方を認めなくても、


誰が本当の貴方を見つけなくても、



誰が真の貴方を無視しても、



誰が貴方を罵倒しようとも、



誰が貴方に暴力を振るおうとも、



誰が貴方を排除しようとしても、



誰が貴方を窮地に陥れようとしても、






世界のほかの誰が認めなくても、私だけは貴方を認めるから。






それでも、貴方に、この世の最大の祝福を伝えたくて、何度でも言うよ。




「見つけた」って。




ねぇ、貴方は今、何を思ってる?





私は、世界を敵に回しても、私は貴方に、「死にたいと思ってていいから、死なないでほしい」と、そう思っている。



ねぇ貴方は何を感じてる?




そんなきれいごとなんてクソ食らえ?




うん、



私は貴方の命の叫びをききたいんだ。




目を閉じて、手を当てて、心の声を聴いてみて。




何を感じてる?





どんなことだっていい。





悲しみでもいい。



苦しみでもいい。



恨みでもいい。



怒りでもいい。





助けを求めてもいい。



地団太を踏んでもいい。




わーっていう叫びでも泣き声でもいい。




わからないなら、わからなくていい。






私は、恥ずかしくて「何を感じてるか、わからない」とすら言えなかったんだ。





わからないことを、隠さなくてもいい。



恥じなくてもいい。そのまま伝えてもいい。





そう知ったとき、肩の荷がどっと下りた。











ねぇ、








貴方の心は、なんて言ってる?






感じたとおり、教えて。





































ほら、







あなたを









「見つけた」