毎週水曜、旦那は家で仕事をします。昨日は水曜日でした。息子と私が公園で遊び、さぁ家に帰ろうとすると、もう歩けない、と言ってぐずり、騙し騙し歩かせたものの、後もう少し50メートル先に家というところで座り込んでしまいました。私が抱っこするのは嫌だそうで、じゃあどうしよう、と思っていた矢先、今日は旦那が家にいる、ちょっとここまで来てもらって助けてもらおう、と電話をしました。わかった、とそういう事には優しい旦那はいってくれました。しかし、すぐ傍なのになかなか彼は出てこず、彼はいつもゆっくり動くからな、とイライラしていると、やっと家から出てこちらに歩いてくるのが見えました。そのステップがゆっくり。彼は同じリズムで淡々と歩きます、ぐずって座り込んでいる息子が通りの奥にいるのに。しかし、わざわざ外に出て来てくれたのです、私は黙って待っていました。ぐずって暴れる息子を持ち上げて、彼を家の中にまで入れると、旦那は何も言わず仕事に戻り、私は彼に少しお水を飲ませて泣き止むまでソファーで一緒に座ってあげました。

 

私はせっかちでケアレスミスが多いです。それを痛いほど認識し直そうと努力しています。

しかし、この私のせっかちスピードが役に立っている時も沢山ありました。例えばウエートレスだった時、てきぱき、てきぱき、お客さんを待たせるのは最短に。また、料理や家事も手際よく、そうできるように頭を使っています。一方、旦那に何かを頼むとゆっくりゆっくりカタツムリなだけではなく、雑で中途半端。ごみを出して、と単純なことを頼んでも毎回何か問題があります。お願いしたのに数時間後忘れているので私が思い出させるのから始まり、なぜかごみを半分しか出さなかったり、今日はリサイクルごみも出しておいてね、と言ってもそのまま残っていたり、など茶飯事。

 

もし何かの理由で私と旦那が一緒になったとしたら、私はせっかちでイライラする自分を打ち破り穏やかな人間になるようにという理由が一つあると思います。旦那は貯金だけが目的の人生から、人との関りを体験するため、みたいな感じだと思います。

 

せっかちは焦りです。何かに早くしなさい、と言われている気がしながら取り組んでいるのです。

 

4、5歳ごろ休みに家族で田舎の祖父母の家に行く時、私は楽しみだったのか、もたもたしていて怒られたのか、外で待っている両親のもとに急いで靴を履いて車に乗り込み、しばらくすると右と左で違う靴を履いていたことに気が付きました。そこで、せっかちだとか、落ち着いていないとか、そう怒られた気がします。その休み中ずっとばらばらの靴で生活しました。教訓の為だとそう大人が思ったからか、自分が悪いので新しいのを買ってなんてとても言えなかったか、理由は覚えていません。でもとても恥ずかしくて外に出るのが不安でした。あの時に少しでも気を配っていたら、靴をきちんと見ながら履いたら、こんなことにならなかったのに、と子供ながらに嘆きました。

 

息子はまだ3歳ですが、せっかちの気はないようです。ものをじっと見ながら考え事をしています。子供は見守るのが一番よいという事で私も息子を焦らせません。息子と遊んでいるとゆっくり時が流れます。

 

当の私の方は、瞑想がとても効果的だと感じます。自分の息を繊細に感じてみます。すると、自分が焦りだした時に、あ、焦っているとよく気が付くのです。これまでの人生慌てて失敗したことを思い出し、焦る必要は全くない、と言い聞かせることができます。