渡米して2年目ごろ、物静かな日本人学生さんとあるクラスで一緒になりました。少しづつ話すようになり、幼年期を両親とアメリカで過ごし、日本に帰国した後、高校の途中から一人で渡米、荒れた高校に通いましたが自分の身を守りながら成績はいつも上位をキープしていたそうです。


彼はずっと大学内で仏教について勉強する会を、自分がリーダとなって作りたいと準備を進めていて、ようやく初めての会合を開くと教えてくれました。彼を応援するために顔を出すと、仏教で法華経を信仰するSGIという団体(SGIは創価学会の略称だと後に知りました)と関係する大学のグラブだと知りました。彼のように物静かで穏やかそうな日本人の方と数名の日本人ではない方もいらっしゃいました。自己紹介の時、「I am a fortune child」と言っていた方が何人かいて、私は、Fortune Child、直訳して富の子供(?)とはどういう意味だろうと思い尋ねてみると、Fortune Childとは法華経を信仰するSGIのメンバーの両親のもとに生まれた子供ということでした。彼らは恵まれているそうです。リーダーである彼は、SGIが信仰する法華経は怪しいものではなく真実を追求する宗教だとか、人生の目的とは助け合いながら幸せに生きていくことだとか、世界平和を皆で目指すとか、そんな感じのことを話していました。
 

Aさんという女性にもそこで出会いました。彼女もFortune Child、日本で看護師をしていましたが、世界平和のために世界でも活躍する看護師になりたいと、アメリカで勉強しているということでした。
 

Bさんという映画科専攻のクールな日本人の方はいつか宮本輝の作品を(彼は創価学会のメンバー)映画化し、池田先生に見ていただくのが夢だと目をキラキラさせていました。
 

Cさんも世界平和に貢献するようなジャーナリストになり世界中のもっとの人々にSGIのメンバーになってもらいたいと。
 

これが、私の創価学会との出会いでした。当時余り知り合いのいなかった私は、ここで出会った方のホームパーティーに行くなどしていて、気が付いたら沢山の優しい創価学会の方々に囲まれていました。
 

創価学会への一番の違和感は、なぜこんなに沢山の方々池田大作先生を、師と仰ぎ尊敬出来るのか、ということです。みなさん、池田先生を見習って、池田先生が誇りに思ってくれるような、池田先生の努力を無駄にせず、とまっすぐに彼を思っているのです。一人の人をここまで尊敬することは私にとって簡単なことではありません。池田先生がとても立派な方だとしても、こんなにも誰よりも沢山の方に尊敬されるのはまるで神様のようです。世の中には数多く尊敬できる方たちがおり、それぞれに異なる人生を歩み、異なる理由で尊敬できるものです。そして、それを吸収した事によって自らが発見した矛盾を生かし、一人の人間として生きていくような気がします。
 

また、沢山の学会員の方は、師弟の大切さを強調していらっしゃいました。池田先生を一番の師と仰ぐわけですが、その下で知識や経験が豊富な会員が若い新しい人々を導く体制、それを疑わずにまっすぐに宗教を信仰することを大切としています。私にはこれがどうしても不自然に思われました。師を信じるようにと言われ、実際師には自分には尊敬できない部分があったり、間違ったと思うことがあったりしたらどうしたらいいのでしょう。「その疑問を師にぶつけてみなさい」と説明してくださる方もいましたが、納得のいく話し合いになるとは限りませんし、結局、師弟の絆を信じ成長させていきなさい、と無理矢理まとめ上げられているケースや、もう師弟同士あまり深くものを考えず一緒に学会や池田先生の本を読んで共感しているだけのケースが多いと思いました。
 

学会員の方々は団体に誇りをもっており、学会内で頑張っていれば自分は正しいことをしているに間違いない、といった風潮があると思いました。それを強く感じたのは東日本大震災の時でした。学会の方々は学会内で募金を募り、学会内で被災者にお題目などをあげているようでした。当時は、周りに色々な支援活動があり、私は応援したい会や団体に顔を出したり、募金をしたりしていたのですが、なぜか学会の皆さんの殆どは全くそういう新しい試みには全く興味がないようで、学会内での復興活動だけに専念しているようでした。それは、余りアイディアや行動力がないように思えました。その時、その場所に置いて出来ること必要な事は変わっていくものです。
 

その後は、こんな事がありました。私は以前ビーガン生活を7年ほどおくっていたのですが、(またの機会にこのこと書きたいです。)当時ビーガンの会などに顔を出した際、ある年配の女性に出会い話しているうちに彼女はもと学会員だったと分かりました。学会活動をしなくなった理由は、常に生命の大切さについて語る学会員に、彼女は動物を殺して食べたり、利用したりすることについて、問いかけたそうですが、誰一人として、真剣に考え話しをてくれる人がいなかったそうです。(ビーガンの是非は別として)そういった人々に彼女は落胆し、彼らは創価学会以外の教えやアイディアには心を閉ざしていると思ったそうです。
しかし、創価学会のメンバーでコミュニティーをつくったり、目標を語ったり、悩みを打ち明けたり、一つの事を成し遂げたり、創価学会は沢山の方を幸せにし勇気づけ、悪い団体だとは私は思っていません。ただ、団体に属することによって、柔軟性に欠け、集団思想に傾いいる傾向があります。真の個性派、思想家、天才などには向いていないと思われます。また、それにお金や政治が絡むとこれらの弱点がますます浮き彫りになるのではないかと。
 

最後に…。あの大学での会で出会ったAさんとは20年以上の友人です。彼女から何度も入会するようにお話されましたが、彼女が日本に帰ったこともあってもう諦めたようです。そんなAさんが、アメリカSGI創価学会の雰囲気と、日本の創価学会の雰囲気は全く違うといっていました。日本で規律などが厳しいことはもちろん、みなさん教えという名のもと圧力や批判などのレベルが違うそうです。悪口や仲間割れなども日本の方が圧倒的に多いそう。Aさんは、アメリカのSGIの活動が懐かしいなぁ、あんなに伸び伸びできて楽しかったな、と仰っていました。