息子が生まれて3年の間に2回も猫が亡くなってしまいました。一匹目ゴロウが亡くなりそうな時、2歳だった息子に、まだ死体を見せたくないなと思い、動物病院で私一人の立ち合いのもと安楽死させました。まだ死について具体的に説明するのは難しいかなと思い、ゴロウは天国に行ったよ、と言って、ゴロウが夜空を飛んでいて、下で夫に抱っこ紐で抱えられた息子と横にいる私が手を振っている絵を書いて見せてあげました。Mr. Rogers の When a pet dies という本も買って一緒に読みました。ゴロウはヘブンに行ったんだ、と自分なりに繰り返していたのですが、ゴロウは外に行っちゃったんだ、とか、僕もヘブンに行ってみたいな、とかなども言って、純粋さに少し微笑ましい一面、何だか悲しくなりました。


ゴロウが亡くなってから数カ月後に猫、寒太郎をアダプト(日本語では保護すると言うのでしょうか)したのですが、我が家に来てから持病が見つかり、それを治療しながら過ごしていましたが、1年もしない間に亡くなってしまいました。今回は、夫も息子も寝静まった夜中に亡くなってしまったので、夫を起こして、ちょっとお祈りをして、遺体を毛布に包んで冷蔵庫に入れて、次の日に動物病院に火葬しに持っていきました。また、寒太郎も天国、ヘブンへ行ったよ、と言いました。その後も息子は、ばあばじいじはジャパンにいるんだよね、ティファニー(時々我が家に泊まりに来る友人)はフロリダでしょ、グランパ、グランマはアイルランドで、ゴロウ、寒太郎はヘブンに行ったんだよね、とぶつぶつ今その場にいない人(猫)たちの事を考えていました。

寒太郎が亡くなってから一カ月ほど経った昨日の事。また、ゴロウと寒太郎はどこに行ったかというとぶつぶつつぶやく息子の前で、旦那が、「ゴロウと寒太郎は死んだんだ(dead)。」とぶっきらぼうに付け足していました。すると息子は、「おぅ、dead?」と反応。まだ何それとは余り聞かないので、そのままその会話は終わってしまいましが、私は、ぞっとしました。何故なら、自分が幼児期に初めて死について考えた時の恐怖を覚えています。大好きな今一緒に居る人たちも奪って私を一人ぼっちにしてしまうもの、想像できい程の苦しみを後に来るものが死だと想像し、息ができないぐらい怖くなったのを覚えています。息子を恐怖で怯えさせずに死をどうやって説明しよう。

そこでしました、Youtubeサーチ。大体のビデオでは、ミミズでも葉っぱでも人間でも生あるものは全ていずれ死んでしまうんだよ、と伝える。けれども子供を怖がらせないためにも、ママはまだまだずーっと生きているよ、X(子供)くん/ちゃんと何十年も一緒に居るよ、だから心配しないで、というものでした。そうか、こんな説明が一番かな、と思いつつ、何だかすっとしません。ママはまだまだずーっと生きているよ、というところが引っ掛かります。今は健康な私ですが、もし私に何か起こって死んでしまったら、息子はママは嘘をついた、と考えるでしょう。いつ死ぬかは誰にも分からないのです。そう思いながら色々と聞いていたら、これが一番かな、と思える説明を見つけました。それを私なりにアレンジしたのが、

死ぬっていう事は体が機能しなくなるってことなんだよ。〇〇が死んだとき、ママは悲しかった。〇〇は(病気で)体が動かなくなってもう一緒にはいられなくなったんだよ。だから寂しくて悲しかったんだよ。でも悲しいからってママは△△(子供)のことはいつも通り大好きで一緒に過ごすよ。

ママは今元気で安全に過ごしているからしばらく死ぬってことはないと思う。△△と一緒にずっといられるに違いないと思う。死ってことについて感じること思うことがあったらこれからも一緒に話そうね。

といった感じです。

参考にしたビデオは以下です。

How to Talk About Death With Your Kids (youtube.com)