空を愛した男の死闘譜

                   平塚勝  手記(絵も)

Sky lover's Death Battle Note 1942-1945
by Hiratsuka Masaru 
Edited by Hiratsuka Shigeru (C)2017-

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前線基地        昭和18(1943)年7月

 

椰子(やし)葉蔭(はかげ)

油にまみれた整備員

宿舎に帰る操縦者

その(おも)はやつれ ([からだ])に力なく

()のみぞ(ひか)

 

此処(ここ)基地 ウエワーク[1]

連続出動の疲労

神経と体力の

高度の消耗

如何(いか)頑健(がんけん)な体も

半月(はんつき)にて消耗し(つく)すとの

言葉も(むべ)なり[2]

一出動(ごと)に友は()

遺品のみ (むな)しく姿(すがた)

 

されど
第一線地上部隊の

苦痛や 思ふ(おもう)べし

身をすりへらす出動も

たゞ 大命(たいめい)
されど
極度の疲労に

(いたず)らに出す犠牲の多きよ

それを([いや])すの何物もなく

愛機より

帰る足どりの重さよ

 

雨降れば

()りて ()ねもせず

風吹けば ([ともしび])消えて

泥くさき水すすりつゝ

戦ひ(たたかい)に今日も飛びたつ

前線の基地 ウエワーク

 


[1] 注:ウエワク - ニューギニア北部の地区。7月15日にラバウルより転進。

   p.55ウエワク 参照

[2] 注: もっともである。

 

空を愛した男の死闘譜

                   平塚勝  手記(絵も)

Sky lover's Death Battle Note 1942-1945
by Hiratsuka Masaru 
Edited by Hiratsuka Shigeru (C)2017-

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ラバウルに至りて           昭和18(1943)年7月

 

濛々(もうもう)たる砂塵(さじん)(かげ)より

(あらわ)れし鵬翼(ほうよく)

(しず)かに地を(すべ)りて 掩体(えんたい)の前に止まりぬ

()りたちし 一人の若人(わこうど)

(さら)に一機 砂塵(さじん)()いて行く三戦

その濛々(もうもう)たる中より

手を高く打振(うちふ)りて 近づきし戦友(とも)[1]

ピンチピンチと(さけ)びて()りぬ

 

此処(ここ)南海の基地 ラバウル

幾千里(いくせんり) 海山(うみやま)越えて

(はる)けくも ()つるものかな

翼より ()り立ち見れば

戦友([とも])(きた)りて 手をうちとり

待って()た 待ってゐた と繰り返しぬ

 

先日は重爆[2]一挙七機を失ひ(うしない)

(さら)に又 陸攻幾多(いくた)()きて(かえ)らず

今基地に残れるは(わず)かに〇〇(原文ママ)機のみ

補給(すくな)く 消耗多く

敵レンドヴァ[3]に上陸すとも

()()たんに機数は()らず

ピンチピンチと繰り返しぬ

 

砂塵を()びし飛行帽を

(しず)かに()ぎて汗ふきぬ

此処(ここ)ぞこれ吾等(われら)が命 大君(おおきみ)(ささ)ぐるの土地

()りかへり愛機を見れば

たくましき()(つばさ)かな

俊鋭(しゅんえい)の新戦闘機は

南海の強き陽射(ひざし)に (かがや)きて(めい)をば待てり

[1] *1: 大貫中尉(航士55期) 68FR     注: 飛行第68戦隊 大貫明伸

[2] *2: 飛行第十四戦隊

[3] 注: レンドヴァ -  ソロモン諸島  6月30日に連合国軍が上陸、占領

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()の翼 よくぞ(かけ)りて

萬里(ばんり)をば ()()しものぞ

バシー海 呂宋(ルソン)の空や

ミンダナオ (さら)にセレベス

赤道を越えて遥々(はるばる)

ニューギニア その西端(せいたん)より東端(とうたん)

(さら)に今此処(ここ)ニューブリテンの東端へ

故郷(ふるさと)を ([た])ちて幾日(いくにち)

よくぞ(われ) ()えて()たれる

 

黎明(れいめい)に大地を蹴って ([ある])は又

降りしきるスコール(くぐ)り 或は又

()(あが)る積乱雲の(みね)越えて

戦友([とも])の待つ此処(ここ)南海のラバウルへ

飛び飛びて(つい)(きた)りぬ

 

其処此処(そこここ)に 戦ひ(たたかい)疲れ

よくこれで 戦闘し得と

(おも)はるるが(ごと)(はやぶさ)[1]の数々

(かず)と性能を(たの)む敵に

()の機にて打ち(むか)丈夫(じょうふ)の心や(さかん)なる

(ただ)訓練を(たの)みて

(はだか)にて短刀かざし

長槍(ながやり)を持ちて(よろい)()

騎乗せし武者(さむらい)向ふ(むかう)(ごと)

されど(われ)日本男子([やまとをのこ])

如何(いか)に武装頼むも

必殺の 闘魂(たぎ)り 圧倒す(いくさ)の数々

 

[1] *3: 飛行第一戦隊

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されど機は いたく疲れて

此処(ここ)基地にあへ(あえ)ぎて休む

新鋭の ()が戦闘機

近き日に 君等(きみら)(かわ)

群敵(ぐんてき)を 蹴散(けち)らかしなむ

 

今や(われ) 此処(ここ)(はる)かなる

南海の基地 ラバウルに

大空(おおぞら)を (のぞ)みてぞ()

砂埃(すなぼこ)り 何時(いつ)しか(しず)まり

飛行場 夕日に()

()()きし 幾多(いくた)戦友([とも])

その血潮(ちしお) (うつ)すが(ごと)くに

 

 昭和十八年七月二日着

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「ニューギニアに於ける愛機三戦」(手記より)

注: 写真は手記より。昭和20(1945)年1月16日付 朝日新聞 『飛燕 我制空部隊の新鋭』記事中の写真と思われる。

 

飛燕 我制空部隊の新鋭

去る12月初旬敵機の帝都空襲の際、敢然これに体当りをくらわせて生還した四之宮中尉、体当りの勢あまって敵機に馬乗りになり遂にこれを撃墜して生還した中野伍長等の搭乗機の高性能はかねてから完全に敵をふるい上がらせていたが、その軽妙俊敏さはあたかも青空を縫って飛ぶ燕にも似ている所から「飛燕」と呼ぶことになった。「飛燕」は単座式戦闘機で息詰まる比島決戦場はもちろん南方激戦場の大空に羽搏(ばた)いて俊翼下に?敵を?伏せしめており、今後も本土をうかがう醜翼は次から次へと蹴落とされるであろう。

 

四宮徹(航士56期) 昭和19(1944)年12月3日B-29に体当り・撃墜。昭和20(1945)年4月29日 第19神武隊長として沖縄で特攻戦死。

空を愛した男の死闘譜

                   平塚勝  手記(絵も)


Sky lover's Death Battle Note 1942-1945
by Hiratsuka Masaru 
Edited by Hiratsuka Shigeru (C)2017-

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出陣          昭和18(1943)年6月            飛行第78戦隊

 
(なつか)しの 緑島山(みどりしまやま)

紺璧(こんぺき)の 瀬戸の内海(うちうみ)

爆音は 山や渓間(たにま)

(こだま)しつ 鵬翼(ほうよく)()

南溟(なんめい)[1]の 空を眼指(めざ)して

 

(われ)空に (せい)()けてより

()のにじむ 練磨(れんま)(かさ)ねて

(いく)([たり])の 戦友([とも])(うしな)

血と共に (きず)翼陣(よくじん)

此処(ここ)に 征衣(せいい)[2]をまとひ

轟々(ごうごう)と (あま)(かけ)りゆく

 

(なつか)しの 明野(あけの)よさらば

神風(かみかぜ)の 伊勢の宮居(みやい)

機上より (ふし)(おが)みつゝ

(ただ)一路(いちろ) 南の空へ

 

夏空に (ひか)銀翼(ぎんよく)

俊鋭(しゅんえい)の 愛機三戦(さんせん)

幾年(いくねん)の 練磨(れんま)の腕を

(ふる)はむと 競ふ(きそう)隊員

いざさらば さらば祖國(そこく)

永遠へ(とこしえ)に (さか)えあれかし

 

日を(かさ)ね (よる)を重ねて

鵬翼(ほうよく)[3]は 進みに進む

九州に (さら)に沖縄

越え行きし 新高(にいたか)[4]の峰

バシー海 何時(いつ)しか過ぎて

機は進む マニラの空へ

[1] 注: 南の果て

[2] 注: 兵士が戦争に行く時の服装

[3] 注: 飛行機の翼

[4] 注: 台湾 玉山。標高3,952m。日米開戦の『ニイタカヤマノボレ』のニイタカヤマは当山。

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灼熱(しゃくねつ)の ()(かがや)きつ

南海の 雲をば()えて

 

花の(まち) 主都(しゅと)のマニラの

空越えて 向ふ(むかう)南海

目的の 決戦場(けっせんじょう)

(なお)(はる)か 道や幾千(いくせん)

操縦桿 無心にとりて

(ただ)一路(いちろ) (いく)さの空へ

鵬翼(ほうよく)は (あま)(かけ)りゆく

(ちり)()の 生死(せいし)を知らず

只管(ひたすら)に 空に()きんと

若人(わこうど)の 血潮をのせて

 

(かけ)()く (よく)(さち)あれ

一片(ひとひら)の (よく)に命を

(たく)し行く 男児(おのこ)我等(われら)

國民(こくみん)の 期待に添ひ(そい)

大空の 先駆(せんく)となりつ

(はな)と咲き (はな)と散りなむ

 

故郷(ふるさと)や 雲波(くもなみ)幾重(いくえ)

(はる)けくも ()つるものかな

(はて)しなき 南海の波
(かがや)ける 白銀の雲

美は(うるわ)しき (ひか)(うつ)して

()かむ (いくさ)の空へ

(われ)よくぞ 男児([をのこ])(うま)

(あま)(かけ)る ([つばさ])を持てる

([よく])(つら)ね 行手(ゆくて)みつめて

(ただ)無心 ()(あやつ)りぬ

 

 

昭和十八年六月十五日 明野発    注: 1943年

 

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飛行団長       立山大佐[1](陸士31期)

戦隊長          高月少佐[2](陸士44期)

 


[1] 注: 立山大佐 - 第14飛行師団 立山武雄
            写真は「陸軍航空士官學校」より

[2] 注: 高月少佐 -  高月光 18.12.22ウエワク没

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 4月 4日 駐屯地帰還のため遼陽出発    孫家着

   6日 機種改変のため明野陸軍飛行学校に派遣を命ず

      孫家出発

   8日 鮮満国境安東を通過 注:「安東」は 現在の丹東

  11日 釜山港出発 下関上陸

  12日  明野着

 5月29日 南方派遣下令

 6月16日 明野発   新田原着

   17日 新田原発  那覇着

   18日 那覇発    台湾嘉義着

   21日 嘉義発   比島クラークフィルド着

   24日 クラークフィルド発  ミンダナオ島ダバオ着

  28日 ダバオ発   セレベス島メナド着

   30日 メナド発    ニューギニア島ホルランヂア着

 7月 2日 ホルランヂア発  ニューブリテン島ラバウル着

                                   (兵籍簿より)

 

 

 

~空を愛した男の死闘譜~
  
  平塚勝 手記

 

Sky lover's Death Battle Note 1942-1945
by Hiratsuka Masaru 78FR/Akeno Kyoudou/17FR
Edited by Hiratsuka Shigeru (C)2017-

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 序   昭和18(1943)年   飛行第78戦隊[1]

 


[1] 注: 第4飛行師団(4FD)・第14飛行団(14FB)・飛行第78戦隊(78FR)  (当時)

航空士官学校55期(航士55期)から飛行第78戦隊への配属は次の4名

       平塚勝、木村正(19.9.25没)、末光弘(18.7.23没)、荒田旭(17.10.24没)

 

哈爾濱(ハルビン)()つ朝は零下二十度なりき。

釜山(プサン)()きしは桜の花の()()めしときなり。

明野(あけの)[1]につきて皇大神宮(こうたいじんぐう)[2]参拝(さんぱい)せしとき参道の
両側の八重桜(やえざくら)(さか)りなりき。

()くて当時最新鋭と云は(いわ)れし キ61[3] に機種改変し
修習訓練六十()日。

陽射(ひざし)も強き六月の(なか)
轟音(ごうおん)と共に愛機キ61、288号[4]明野(あけの)()ちぬ。

()くてわが(ぜん)半生(はんせい)()けし死闘譜(しとうふ)は始まりぬ。

 


[1] 注: 明野 -  明野陸軍飛行学校 (三重県伊勢市小俣町明野) 現陸上自衛隊明野駐屯地

[2] 注: 伊勢神宮 内宮(ないくう)  (三重県伊勢市宇治館町)

[3] 注: キ61  -  三式戦闘機 飛燕(ひえん)

[4] 注: キ61甲 川崎航空機 岐阜工場にて1943年5月に製造 

 

キ61 飛燕(1型甲) 飛行第78戦隊第2中隊

昭和画法 http://www.gahoh.netより

 

キ61 飛燕  諸元:

全幅                             12.00m

全長                             8.74m

全高                             3.70m

全備重量                      約3,200㎏

発動機出力                 約1,100馬力

最高速度                      約580㎞/時

航続距離                      約1,100㎞

~空を愛した男の死闘譜~

                        平塚勝 手記
                                                                                                    逃れ行く敵編隊を更に追ひ再度の占位

平塚勝

        ニューギニア       飛行第78戦隊

                             昭和18 (1943) 年6月~昭和19(1944)年5月

           名古屋          明野教導飛行師団

                              昭和20 (1945) 年1月

           台湾(臺灣)            飛行第17戦隊

                            昭和20 (1945) 年5月~昭和20(1945)年12月

 

Sky lover's Death Battle Note 1942-1945
by Hiratsuka Masaru 78FR/Akeno Kyoudou/17FR
Edited by Hiratsuka Shigeru (C)2017-
 

はじめに

 

平成29(2017)年8月に宮城県栗原市での叔父 平塚勝 の追悼式(写真集 平塚勝参照)に参列し、そのあとでご遺族の登美子さんに連絡をとったところ、叔父筆の太平洋戦争中の手記の存在を知りました。

手記を一読し、青春を犠牲にした内容に衝撃を受けこれはなんとか今の世代にも残すべきだと考え、手記の全原稿を登美子さん甥の芥生浩隆さんから提供いただき本書を編集しました。

本手記が航空自衛隊第4航空団で操縦訓練生の教材になります。

1956年6月に航空自衛隊第2操縦学校の教官として訓練飛行中に隣機と空中接触・墜落、殉職した叔父の「操縦士を育てたい」遺志が引き継がれていきます。

青雲の果てで叔父が微笑んでいます。

2019年1月 平塚 滋記

 

目次

1.序 Introduction
2.出陣 Kick off
3.ラバウルに至りて Flight to Rabaul 
4.前戦基地 Front Line Base
5.血戦 Bloody Battle
6.防空壕にて At Air-Raid Shelter
7.ニューギニア New Guinea
8.3月11日 March 11th(1) 夜更けて・小型機来襲
9.3月11日 March 11th(2) 第二波来る・被弾
10.3月11日 March 11th(3) 死闘・再び夜更けて
11.ウエワクを去る Godod-bye Wewak
12.名古屋上空1万 At 10,000m over Nagoya(1)
13.名古屋上空1万 At 10,000m over Nagoya(2)
14.特攻隊を送る Send off Tokkoutai
15.最後の飛行 Last Flight
16.後記 Postscript
16.編集後記 Editor's Postscript
参考資料 Reference
写真集 Photos Collection
飛燕 Hien(T-61)
17.修武臺記念館
修武55
18.陸軍明野飛行学校(現陸上自営隊明野駐屯地)
ウエワク
19.平塚勝(1)
20.平塚勝(2)
21.End 平塚勝(3)