最近、彼が結婚という言葉を口にする…



その言葉を聞くたびに、

『あぁ… もしも結婚したら、私のこの気持ち(恋愛感情)はその時点で終わるな…』

と、確信する。



もしも、ハッキリと「結婚しよう」と言われたら、

私にはこう聞こえるだろう




「もうそろそろ恋愛はいいだろう?終わりにしよう。ここからは【生活】にしよう」と…




どうしてこの恋愛を失わなければイケナイのだろう

どうして今の彼を失わなければイケナイのだろう


今のままが私の望みなのに…


口に出しはしないけれど、

『ついに、彼の私に対する【熱】が冷めちゃったか… 

 もう私に手をかけるのが億劫になっちゃったんだ…』と、内心かなり傷つくのが本音。



結婚を想像するだけで、自分の求めているものがハッキリ見えてくる…

私は【生活】や【人生】や【老後】のパートナーを欲しているワケではない。


まして【夫】や【主人】や【亭主】が欲しいわけでも、【妻】の座が欲しいわけでもない。



毎日帰ってくるのが当たり前の夫が欲しいのではない

会えることが楽しくて、嬉しくて仕方がない恋人のままで居て欲しい



空気のような彼にはなってほしくない




【今の彼】を失いたくない

【恋愛】を失いたくない

【大好きな彼】を失いたくない



愛していないからじゃない


【大好きな貴方】を失いたくないからだと


【大好きな貴方】を→【生活を共にするパートーナー】に置き換えたくないのだと

兄弟のように、家族のようになりたいのではない。

一連托生の人生の相棒のようになりたいのではない。


男と女でいたいのだと…


毎日を共にする【空気のような存在】を欲しているワケでも、

自分が空気のような存在になりたいのでもない。


愛し過ぎているからだと、好き過ぎるからだと、

このまま好きでいさせてほしいと

どう言えば理解してもらえるのだろう…




老後、病気になった時に一人は寂しいと人はよく言う。

だから、年をとったら結婚したほうがイイと…



でも、自分の両親や、他の年老いたご夫婦を見ていて思う。

それは、幻想だ。


当たり前に2分の1の確立で、片方は取り残される

残った方は、結局は独りで病気と戦う事になる。


老後病気になった時に一人は寂しい。だから年をとったら結婚していたほうがいい。

この理屈を現実に実践するには、

残された方は、残された都度、

自分が死ねるまで違う相手と再婚を繰り返し続けなければならない。


(「男の浮気はいいんだ。女はダメだ」と同じ有り得ない理屈。

 ↑これを現実化するには、男の浮気相手は男に限らなければならないという理屈になるww)


理屈っぽくってスミマセンww

でも、だってさぁー… どだい元の理屈が無茶苦茶なんだもん しゃーねーじゃん!ww



結婚したからといって、2人同時に最後を迎えるワケではない。

何故、この当たり前の現実から人は目を背けたがるのだろう。


運のいい片方だけが連れ合いに看取ってもらえるダケで、

残りの半分は、みな老後に一人取り残されるのが現実。


結婚をしなかった人や、離婚をした人、

最後に連れ合いに取り残された人、それらを全部合算すれば、

最後に独りになる者のほうが圧倒的に多いのが現実なのに、

何故皆が皆それを認めない?


夢見がちな一般論よりも、

孤独死や独居老人対策をなんとか講じようと奮闘している役所のほうが

私には、遥かに現実を知っていて、それと向き合おうと努力しているように見える。


夫婦仲が良ければ良いほどに、

後を追いたがり、クヨクヨと元気なく残りの人生を送りがちで


夫婦仲が悪ければ悪いほどに、

せいせいしたと言い、楽しげな人生を送る


いずれにせよ、残りが3、4年間独りだというのは運のいいほうで、

残りの10年独り、20年独りなどザラだというのに…

現にウチの父がそうだし、あたりを見渡してもそんな人はごまんといる。


独り取り残され、認知症を患い、子供に施設に入れられる老人がどれほどいるか

何故、それを皆認めない?


連れ合いに死なれて、独り取り残されてから子供と一緒に暮らす人も多いけど、

皆が皆良好な関係を築けるワケでもない。


一見、良好な関係に見えても、外からはそう見えるように装っていても

実際には蓋を開ければ、

子供に気を使い、その伴侶にはもっともっと気を使いながら、

肩身の狭い思いをしながら同居をしている老人は決して少なくはない。


私は、人様の財布の中、その裏側まで覗きこむような事を生業としている。

人の財布を覗くという行為は、否応なしにかなりの部分の人生や人間関係が見えてしまう。


そうして最後に独り残った老人が、子供と同居し、

いかに発言権や決定権が持てない事が多いかという現実を、

イヤというほど見てきた。


老人の所有する株は、「なにかと手続きが難しいから」という理由で全て子供に管理され、


定期預金も継続させてもらえず、

現金化しやすい普通預金に切り替えられ、

そのうえ、もの忘れが激しいからと通帳まで管理され…


居住用以外に所有する不動産を「まだ本人が生きているウチに…」とばかりに、

売却を勧められ、これまた現金化される…


しまいには、そうして限界まで流動性をめいっぱい高めさせられた自分の資産が、

今現在どうなっているのか、皆目検討がつかなくなってしまう…

(現実には引き出されて、全部子供たちに握られた)



そうして、ものの数年で散々老人の所有していた財産を現金化した後に、

あっさりポンと、施設に入れられる。



こうなってしまうと、老人の所有していた財産などもう一銭も自由にならず、

もはや無いに等しい。


そんなのはウンザリするほど見せられてきた。



老人の現実の全てを知る私たちの前では今更隠しようもないので、本音丸出しで

自分の子供の事を「アイツ等」「アレ等」と呼び、忌み嫌い

「人生の最後にこんな惨めな思いをさせられるなんて」と嘆きながら、、



その同じ口で、現実を知らない人達の前では

「ウチの子の○○ちゃん」「ウチの○○君」「が、本当によくしてくれる」と呼び褒めたたえる…




皆、外から見ればイイ関係に見える。




こんなのは本当にもう見たくない。

つくづく自分の仕事が嫌になる瞬間




なまじっか、中途半端に財産を持っていた老人ほど寂しい思いをしている場合も少なくない。


自分の子供とて、結婚する相手によって、

どうなるか分かったものではない。


無知というのは本当に怖い

子供たちは皆、自分達に相続税を課せられること闇雲に恐れるからだ。


相続税が一番安く済むことが多いのに。

目を剥くような多額の相続税を徴収される資産家など、

実際にはほんの一人握りの人間だけだという事を皆知らない。


生前に不動産を売却させ、本人に税金を払わせたがっているだけのことだ。


当初は、所持しているという証拠の残らない【現金】という形に必要以上にコダワリ、

そうしたダケのつもりが、いざ現金を目の当たりにするとそれが欲しくて仕方なくなり、

あれこれと理由をつけては取り上げる。


すんなり黙って相続するまで、何年もそうは違いがないにもかかわらず、

何もかも取り上げて、老人を不安にさせる。


それで子供たちは越に浸る


黙ってそのまま老人に持たせてあげていればいいものを…

それだけで、高齢者というのは安心するというのに…




だったら、子供など最初からあてにせず、

自分で気に入った施設を探して、財産をもったまま入居したほうが、

惨めな思いをせず、自由に楽しく過ごせるのに…と思ってしまう。


あるいは、悠々自適に一人暮らしを楽しめば良かったのに…


でも、何故皆が皆、その現実から目を背けるのかが私には分からない。



結婚したから二人同時に死ねるワケじゃない。

結婚しようが、していなかろうが、一人で死ぬ覚悟は、

皆がしておくに越したことはない。


だから、老後の生活など私は独りでも十分。


幸か不幸か性格的に客観性が高いが故に、

そういった事で不安に苛まれるような事はほとんどない。



認めたくない事柄から目を背ける必要がない。

というか、そもそも認めたくない事柄とか現実という枠組みが私にはない。


現実は現実として、どんな事実もそのままフツーに受け止められるタチだから仕方がない。


一人で死ぬ覚悟なんかとうに出来ている。

人は一人で生まれて、一人で死ぬものだもの。


大好きな母も、病院から急変しましたとの連絡を受け、

夜中必死に車を走らせたが、ひと足間に合わず、一人で逝かせてしまった。


その時にも実感した。



人は一人で生まれて一人で死ぬのだと。


可哀想だからと、三途の川の途中まで見送ってあげらるワケでもない。

できるものなら、いくらでもそうしてあげたかったよ。




寂しいから、不安だからと、心細いからと、

誰かを道連れにできる人など現実には(心中を除き)一人もいない。



だったら残った人には、できるだけ最後まで元気で機嫌良く過ごしてもらいたいと願うのが

人の道では?







私はキラキラと輝くような恋愛をしたいだけなのよ




後はちゃんと独りで死んでいくから、そうさせて欲しいと願っているダケなのよ




だけど、そうした現実に世間が皆目を向けない以上

不安症のご都合主義が一般論と現実を歪め、現実を無視し続け、

有り得もしない夢物語を、さも一般論として作り上げ続ける以上




もう何もかも分かってもらえる自信がない





彼は、ごく普通に単純な男性で

世に溢れる夢物語的な一般論をなんの疑問も感じずそのまま受け止めるタイプ





ダメだ…

分かってもらえそうにない。

全然自信がない…



私の思考や現実は、夢物語な一般論を前にとうてい太刀打ちできない。



【結婚さえすれば、オール オッケーok】的

既にガチで出来上がっている安直な一般論的イメージを覆せる自信はさらさら持てないっす…





一般論やイメージ(や、ぶっちゃけ人の願望や不安)というのは、

それほどまでに圧倒的なパワーを持っているらしいと

この年になるとイヤというほどよくわかっている