こんにちは。

今年もあと少しですね。2010年のことなんて2000年に全く考えてもいなかったです。

もうすぐで、あれから10年になるんですね。時の流れって本当に早いと思います。

10年を振り返る!!!ということは・・・めんどくさいのでやりませんw

でも、実際何あったんだろ・・・

2000年ていうと、小学校を卒業した年ですね。


小学校編~

5、6年の先生は、本当に今でも慕うすばらしい先生でした。

他の学年の時の担任の先生も個性が豊かな先生が多かったと思います。

また、当時は体罰など問題にならなかったので、色々ありました。

エピソード①
整列の時に体育座りをしてたら、勝手に先生が僕に足を引っ掛けてズッコけたのになぜか俺が引っ掛けたことになって殴られましたw

ホント理不尽です。

エピソード②
プラスチックのコップを使う授業で騒いでて、コップをもう一人の女の子と没収されてしまいました。

没収したものは、先生の物ということで、なぜかクラスで飼っていた、ザリガニの抜け殻入れに使われました。

あれは、明らかにおかしいですよね、生徒の持ち物ですよ。

何度も交渉したのにずーっと返してもらえなくて、ようやく進級のときに返してもらえました。

誰が使うかボケ~! てか何でそんなに返して欲しかったんだオレ~!


小学校での自分というと・・・泣き虫でしたねw 

本当に、ちょっとしたことで、いつも悔しさを感じてたと思います。

勝負に負けると悔しくて悔しくて。

あと、眉毛が太いとかよく言われてました。

今では言われなくなったのは、みんなが大人になったからか?


背が高かったこともあってか、足が速くて、小2から小6までリレーの選手で、3年と6年の時にアンカーを務めていました。

小1と小2のときは、見事に運動会になると熱を出して寝込む変な能力を持ってたそうです。

負ける自分が本当にイヤだったんだと思います。いつも他の組の人が強そうに見えていました。

リレーに関しては、3年の時は、先輩が早くて上位の成績だったけど、6年の時は、回ってきた時点でビリで結果ビリ

今走るときは、気持ちだけが速くで、そんなに速くない。


夢は、地下鉄の運転手だったかな。

そういえば、ポケモンカードとか遊戯王のカードを持ってきても良い小学校でした。

途中で駄目になったけど。

ポケモンのカードは結構持っている方だったので、なんかパクられたと思います。

たしか、「道具カード」全部と「わるいリザードン」・・・ホント、何でもありでした。

絵は下手くそだけど、当時はまだうまかった?ので、写生会の絵が、教室の前に飾られたことがありました。

あと、小4だったかに、書道で「冬山」という字で、特選を取りました。

そっから書道には自信あったんだけど、小5、小6では何も賞を取れず。


習い事は、プール、エレクトーン、そろばん、英会話、書道、体操教室と色々とやってました。

体操教室以外は、中学までやっていました。

書道では、自分の字に納得するまで、帰らないという頑固振りでした。

体操教室では、相撲の授業が嫌でした。これも負けたくないという理由からです。

父さんと勝つために特訓をしたこともありました。

英語に関して、関係代名詞を当時母親から教えてもらっていたのは笑える。

実際、まず、言葉の意味すらわかんなかったw 関係? 代名詞? みたいな。

「児童」英検1級を取って、英検1級と勘違いしてた大バカものでしたw

確かに、なんか簡単すぎるな・・・と思ったんだけど。そんなに伝わっていなかったしw


なぜか、親友になるやつばかりが転校していって、悲しい思いをしていました。


近所の空き地が駐車上になってしまって、昆虫採集ができなくなってしまって残念だったことを覚えています。

当時は、自分の土地だと思い込んでたらしいので、なんでそんなことすんだ?って叫んでました。

友達と殿様バッタ?を取ったときに、メスかオスのバッタの上にもうかたっぽが乗っていたことがありました。

無論、捕獲後二匹を引き離して、友達と分け合いました。

残酷なことをしていたもんです。

友達は、トンボを取るだけとって、処刑をしていました。

まぁ、トンボの頭をデコピンするんです。どうなるかわかりますよね。

残酷なことをしていたもんです。

自分は、蟻を踏むのが大好きでした。

映画「アンツ」を観てからピタっとやめました。

残酷なことをしていたもんです。

バッタだと思って捕まえたら蜂だったことがありました。

天罰だと思います。

もうやめましょうか?w 10年を振り返るのwww

ちなみに2015年5月3日にタイムカプセルを開けるみたいです。

コレは、たしか編集委員の誰かの誕生日だという話です。

そんな決め方で良いのかwと今思う。 しかも2015年って長くないすか?

当時は、なーーーーーーーーーーーーんげって思ったのは覚えている。

2010年になるとついに近づいて来たかと思うわ。


せっかくなんで、アルバムの文集を開いてみました。

まず、自分の欄で印象的なのが、ドラエモンの絵を描いてあること。

んで、字が今より数倍キレイな気がする。

こんなになってゴメンよ、過去の俺。

段々思い出してきました。 

当時は、みんなテーマがかぶらないように、テーマを割り振った気がします。

僕のテーマは「宿泊学習」でした。

文章中に「~なんです。」をものすごい多様してます。

なんか親子丼を作るのに、1週間前から練習していたそうです。

逆に、今作れないわ!

自分で似顔絵を書くというのもアルバムの中にあるんですが、自ら、眉毛をつなげてますwww

なんなんすかこれw なぜか、目が「八」みたくなってて、眉毛が「逆八」 もう「X」にしか見えないw


中学校編~

何あったかな・・・

友達の家に行くときに、自転車をものすごいスピードでこいでて、横から来た人をよけようとして、縁石に左足を強打して、削ぎ切りみたくなって、結果9針縫う羽目に。

しかも、日曜日で病院が開いていない、家は病院の近くなのに、ケガしたとこは、病院から遠い。

縫ってもらったのは、研修医w 研修医だったから、キレイに縫ってくれたけど

看護婦さんが、俺の血が入った桶をひっくり返して、床が血だらけになった時は、「もう、終わった・・・オレ・・・」と思った。

学校の先生には、リハビリだと言われて、色々とパシらされたw 

足を動かさないとと、曲がらなくなるらしくて・・・ちょうど膝小僧の下辺りだったし。

それをいいことに先生に利用されたw

まぁ、担任の先生は3年間体育教師だったから厳しかったかな。

給食のおかわりは、なぜか先生が盛らないと駄目だったので、ワカメご飯を漫画に書いたようにテンコ盛りされましたw

英語の先生の口癖は、walkとworkの発音の違いにうるさくて、workをウォークというと

「歩かないでください」と言われました。自分の眉毛がりりしくてうらやましいといってきましたが、小バカにされているように思えませんでしたw


小学校みたいにボケ~っとしていられなくて、言葉使いに初めて注意するようになった。

それに先生に対して友達のように接してはならないんだと悟った。

学年便りに、「先生は、友達?」という題を見たとき、これは俺の話をネタにしたんじゃ・・・と思って一人で恥かしい思いをしていたのを覚えている。

塾の体験授業で会った友達が、同じ中学にいてすごいうれしかったのを覚えている。

当時はよくわかんなかったけど、よく考えれば学区が一緒だもんね。

小学校では大して成績振るっていなかった友人が勉強し始めて、抜かれていくことに焦りを感じた。

次第に自分は、要領が悪いからか、コイツには勝てない・・・と思うやつが出てきた。

できるやつはどこまでもできるということを悟った。

体育の授業で、空中逆上がりができると点数が上がるので、公園で猛特訓して、できるようになってうれしかった。

中1の時に小学校モードが抜けてなくて、机の上にピカチュウの人形があって、家庭訪問に来た先生に、「それはもうやめよう!」みたいなことを言われたのを覚えているw

中2に相対評価から絶対評価に変わって、1年の時とは比べ物にならない成績になってびっくりしたのが印象的だった。

学力テストで成績が悪くて、塾のトイレで一人で泣いていたことがあった。

中学の校舎が今はもう新しくなったのが、時の流れを感じさせる。

トイレでう○こをしている時にドアを叩いてくるやつがいて、静かなトイレを探すのがめんどくさかった。

授業中にフルートを吹く先生がいて、中3の時に友達がキレたらしい。

確かに、良い迷惑だった。彼の勇気はすばらしい!

内申点がかかっているので、教師には気をつかわざるを得なかった。


部活は中1まで軟式テニスだったが、サーブが入らないのでレギュラーを取れず、公式戦の出場は、一試合のみで、敗戦。

自分と同じ出身小学校のやつがいなくて、なかなか溶け込めなかったのもあった。

試合では相手が3年で、ものすごいカーブがかかったサーブだったのを覚えている。

初心者なので、返し方が全くわからず本当に成す術がなかった。

敗者が、勝敗表を出しに本部まで行くのは、本当に屈辱だった。

部活のランニングは、校舎の中を走っていた。廊下走って良いんですかー?と今思う。

中学の部活にしては、「理想のプレーヤは誰か?」とか書かせたりして、体だけではなくて、頭も使う画期的なものだったのかもしれない。


とにかく中2の時に、顧問の先生が青年海外協力隊でいなくなって、後任の先生がテニス素人だったので、それを気にやめた。

その先生の練習で印象的だったのは、球を打つときに「ハイ!」って言えって言われた。

それは、相手を威嚇するためだと言われたが、今考えると、「オラ~!」とかの方が絶対良いと思う。

ハイ!じゃ礼儀正しすぎだろw

部活辞めて勉強に集中したが、部活と学業を両立させながら、良い高校に入ったやつは、本当にスゴイと思った。

ついでなんで、卒アル見てみた。

思い出してきた。

たしか、青森のリンゴ園で、摘果作業(1つのリンゴを大きくするために周りの不要なやつを摘み取る作業)を農家の方から教わったあとに、

先生から、「摘果作業!」とか言われて、タマ○マをむぎゅっとされたこととかあったわ。

あんときばかりは、先生を思いっ切り何かの冊子でぶっ叩いた!

陸上大会でも、昔足が早かった名残か、中途半端に決勝まで行ったんだけど、ビリ

中学のときだったか・・・と思ったのは、NYの世界貿易センタービルのテロ

あれは、ホント映画を見ているようだった。


文章が脈絡なくてすいませんw

てか、長くなってすいません。

みんなの小学校の作文はおもしろすぎです。

個人的にその人について思い出したエピソードとかあって、一人で吹き出していました。

プライバシーの問題もあるので触れることはできませんが・・・w

とにかく、今は忘れていた初心を思い出すことができました。

夢や希望をもっていて、無限の可能性を秘めていたあの頃。

成功している人、挫折してしまった人、人生色々あると思います。

自分は、まだやれるぞ!と思うことができました。

その人の人生における主役は他の誰でもない本人です!

また明日から頑張って行こうと思います。


高校・大学編は、やる気が起きたら書きます。

小中編だけでこんなに長くなるとは思いもしなかったw


それと最近、自分がストレスを解消している時がわかりました。

それは、ズバリ・・・英語をしゃべっている時でした。変わった解消の仕方かもしれないけどw

今日アメリカの友達からスカイプで電話がかかってきて、久々に英語を使いました。

なんつーか向こうの人って、裏表が基本ないので、気疲れしなくて良い。

率直に思ったことをぶつけ合うことができるのが、最高!