こんばんは。
お久しぶりです。ヒロボーです。
今日は、巨人と日ハムが日本シリーズ進出を決めて、北海道の野球ファンは大盛り上がりだと思います。
巨人ファンの僕は、まさか北海道で巨人の日本シリーズがやってくるとは思いもしませんでした。
残念なことは、昔あんだけいた北海道の巨人ファンが日ハムファンに転身してしまったことです。
僕は、相変わらず巨人ファンです。
ところで最近、ようやく元気を取り戻しつつあり、新たな目標を持って日々を過ごせるようになってきました。
さて、今回のタイトルについて書こうと思います。
最近、他人をよく見るようになりました。
簡単に言うと、この人間はスゴイ、この人間は駄目だなって感じです。
なんか、その区別が話しててわかるようになってきたんです。
スゴイと思える人間には、確固たる信念があります。
やる前からあーだこーだ言うよりも、信念を曲げないで、自分の目標に突き進んでいるところが素晴らしいです。
チャレンジした結果が、駄目だったのなら、そこで自分の力の無さを潔く認め、初めて次の道を考えるというタイプの人間です。
失敗を認めれる人間ってのは、すごいです。
一見、間違いを認めるのは格好悪いように思えますが、それができる人間はものすごく人間的に魅力的だと思います。
人間ってマイナス点ってのは隠したがるものですから、それができる人間は大したもんです。
そして、目標ややりたいことに対する覚悟の度合いが全然違うんです。
とにかく自分のやりたいことがあって、それに邁進できている人間です。
ただし、夢を追いすぎるあまり、失ってしまう物のリスクが高い点は否めませんが、失敗してしまうかもしれないという懸念材料は、強い信念で補えているように思えます。
僕は、強い信念を持っている人間に、大いに期待をすることができます。
こいつなら、それをやれてしまうのではないかと思えてしまうんです。
現段階の自分は、そういうタイプでないので、本当に信念を持っている人を尊敬します。
逆に、駄目だなコイツ・・・って思う人間のタイプは、
中身がなく、ただ日々を過ごして生きているだけの人間。
勉強ができるできないとかではなくて、知性(キレ)を感じないんです。
向上心が感じられなかったり、常識がなかったりする。
僕は、自分自身、常識がまだまだ足りないと思いますが、常識がないやつには本当にイライラします。
さらに残念なのは、言ったってわかんないし、学習しないから、救いようがないんです。
話すだけ時間の無駄だとさえ思えてきます。かえって、自分が損してしまうんです。
性格的にそういうのを見過ごすのは嫌なんだけれど、あえてほおっておく利口さが必要かなとも思います。
礼儀の大切さというのは、他人を判断する材料として、自分の中で大きな位置を占めています。
だからこそ、自分もそうやって周りから評価されているんだと考えて、礼儀には気をつかうようになりました。
人とうまくやっていくというのは、本当に難しいことだと思います。
僕自身は、今どういう位置にいるのかというと、ようやく次への活力を見せ始めたという段階なので、正直よくわかりません。
自分って、なんでそんな確たる信念を持たないで、フラフラしてるんだろうと思います。
それが、信念を持ったやつと話していると、浮き彫りになってしまって、自分が情けなく思えてならないです。
一言で言うなら、劣等感を感じてしまいます。
信念を持った人間からは、周りの評価なんて関係なくて、自分がどう思うかが大事だとよく言われますが、現在の僕は、そんなにタフではないです。
逆に、よくそんなに信念を曲げないで、妥協しないでいられるなと思います。
信念を突き動かしている物は何なのかということを考えてしまいます。そこまで強く想えるのはなぜかを。
でもそういう人でさえも、実際話してみると、色々とその人なりの悩みを抱えていることも同時に発見したりしました。
人間って、自分の良い部分しか見せたがらないものですが、僕は、自分が失敗したこととかそういった世間ではマイナスと評価されることを、別に気にせず話すタイプです。
失敗したという点で気にはしていますが、隠すことはしません。
なんで?って言われてもわかりません。理由もへったくれもないんです。
そういうのを他人に話さない人間ってのは、ものすごく精神的にタフなのかわかりませんが、僕は、そういうのを共有したがるタイプのようです。
失敗談がある人間の方が、人間味があるようには感じます。
だから反対タイプの人間と話す時に劣等感を強く感じてしまうのかもしれません。
成功者に見える人間でも挫折をしたり悩んでいる部分があるはずなのに、それが見えないばかっかりに。
そんなの考えればすぐにわかることなのに、わからないなんて・・・自分自身に残念です。
失敗を隠さないというのは、僕の持ち味でもあり、良くない点であるのかもしれません。
秘密がなさすぎるのも人間として変です。
今は、昔のように信念を無くしていた暗黒の時代をようやく抜け出し、信念の模索をできる位置にまできました。
なんだ、そんな小さなことか・・・と思われたかもしれませんが、僕にとっては、これでも、大きな一歩なんです!
悩めるっていうのは、まだ変えようとしている点で、救いようがある位置だと思うんです。
頭の中で悩むだけじゃなくて、行動することも大事で、やっぱり、やってみないとわかんないことってたくさんあります。
自分は、悩むことすらできなくなったら人間終わりだと思います。
人生、勝ち組負け組みなんてのは、本当にあるのかね・・・。
最近、思想について勉強しました。
高校の時に倫理を勉強した時には、ただの受験科目という位置付けだったので、何も感じませんでしたが、今改めて見てみると、その学問の奥の深さに驚きました。
自分は、一番悩んでいる・・・なんて思うかもしれないけれど、結局みんな悩んでいるんだと思う。
悩みのない人生なんて人生じゃない。
悩みがあるからこそ人生なんだと思う。
とにかく、信念を持って、人生を楽しみたい☆
お久しぶりです。ヒロボーです。
今日は、巨人と日ハムが日本シリーズ進出を決めて、北海道の野球ファンは大盛り上がりだと思います。
巨人ファンの僕は、まさか北海道で巨人の日本シリーズがやってくるとは思いもしませんでした。
残念なことは、昔あんだけいた北海道の巨人ファンが日ハムファンに転身してしまったことです。
僕は、相変わらず巨人ファンです。
ところで最近、ようやく元気を取り戻しつつあり、新たな目標を持って日々を過ごせるようになってきました。
さて、今回のタイトルについて書こうと思います。
最近、他人をよく見るようになりました。
簡単に言うと、この人間はスゴイ、この人間は駄目だなって感じです。
なんか、その区別が話しててわかるようになってきたんです。
スゴイと思える人間には、確固たる信念があります。
やる前からあーだこーだ言うよりも、信念を曲げないで、自分の目標に突き進んでいるところが素晴らしいです。
チャレンジした結果が、駄目だったのなら、そこで自分の力の無さを潔く認め、初めて次の道を考えるというタイプの人間です。
失敗を認めれる人間ってのは、すごいです。
一見、間違いを認めるのは格好悪いように思えますが、それができる人間はものすごく人間的に魅力的だと思います。
人間ってマイナス点ってのは隠したがるものですから、それができる人間は大したもんです。
そして、目標ややりたいことに対する覚悟の度合いが全然違うんです。
とにかく自分のやりたいことがあって、それに邁進できている人間です。
ただし、夢を追いすぎるあまり、失ってしまう物のリスクが高い点は否めませんが、失敗してしまうかもしれないという懸念材料は、強い信念で補えているように思えます。
僕は、強い信念を持っている人間に、大いに期待をすることができます。
こいつなら、それをやれてしまうのではないかと思えてしまうんです。
現段階の自分は、そういうタイプでないので、本当に信念を持っている人を尊敬します。
逆に、駄目だなコイツ・・・って思う人間のタイプは、
中身がなく、ただ日々を過ごして生きているだけの人間。
勉強ができるできないとかではなくて、知性(キレ)を感じないんです。
向上心が感じられなかったり、常識がなかったりする。
僕は、自分自身、常識がまだまだ足りないと思いますが、常識がないやつには本当にイライラします。
さらに残念なのは、言ったってわかんないし、学習しないから、救いようがないんです。
話すだけ時間の無駄だとさえ思えてきます。かえって、自分が損してしまうんです。
性格的にそういうのを見過ごすのは嫌なんだけれど、あえてほおっておく利口さが必要かなとも思います。
礼儀の大切さというのは、他人を判断する材料として、自分の中で大きな位置を占めています。
だからこそ、自分もそうやって周りから評価されているんだと考えて、礼儀には気をつかうようになりました。
人とうまくやっていくというのは、本当に難しいことだと思います。
僕自身は、今どういう位置にいるのかというと、ようやく次への活力を見せ始めたという段階なので、正直よくわかりません。
自分って、なんでそんな確たる信念を持たないで、フラフラしてるんだろうと思います。
それが、信念を持ったやつと話していると、浮き彫りになってしまって、自分が情けなく思えてならないです。
一言で言うなら、劣等感を感じてしまいます。
信念を持った人間からは、周りの評価なんて関係なくて、自分がどう思うかが大事だとよく言われますが、現在の僕は、そんなにタフではないです。
逆に、よくそんなに信念を曲げないで、妥協しないでいられるなと思います。
信念を突き動かしている物は何なのかということを考えてしまいます。そこまで強く想えるのはなぜかを。
でもそういう人でさえも、実際話してみると、色々とその人なりの悩みを抱えていることも同時に発見したりしました。
人間って、自分の良い部分しか見せたがらないものですが、僕は、自分が失敗したこととかそういった世間ではマイナスと評価されることを、別に気にせず話すタイプです。
失敗したという点で気にはしていますが、隠すことはしません。
なんで?って言われてもわかりません。理由もへったくれもないんです。
そういうのを他人に話さない人間ってのは、ものすごく精神的にタフなのかわかりませんが、僕は、そういうのを共有したがるタイプのようです。
失敗談がある人間の方が、人間味があるようには感じます。
だから反対タイプの人間と話す時に劣等感を強く感じてしまうのかもしれません。
成功者に見える人間でも挫折をしたり悩んでいる部分があるはずなのに、それが見えないばかっかりに。
そんなの考えればすぐにわかることなのに、わからないなんて・・・自分自身に残念です。
失敗を隠さないというのは、僕の持ち味でもあり、良くない点であるのかもしれません。
秘密がなさすぎるのも人間として変です。
今は、昔のように信念を無くしていた暗黒の時代をようやく抜け出し、信念の模索をできる位置にまできました。
なんだ、そんな小さなことか・・・と思われたかもしれませんが、僕にとっては、これでも、大きな一歩なんです!
悩めるっていうのは、まだ変えようとしている点で、救いようがある位置だと思うんです。
頭の中で悩むだけじゃなくて、行動することも大事で、やっぱり、やってみないとわかんないことってたくさんあります。
自分は、悩むことすらできなくなったら人間終わりだと思います。
人生、勝ち組負け組みなんてのは、本当にあるのかね・・・。
最近、思想について勉強しました。
高校の時に倫理を勉強した時には、ただの受験科目という位置付けだったので、何も感じませんでしたが、今改めて見てみると、その学問の奥の深さに驚きました。
自分は、一番悩んでいる・・・なんて思うかもしれないけれど、結局みんな悩んでいるんだと思う。
悩みのない人生なんて人生じゃない。
悩みがあるからこそ人生なんだと思う。
とにかく、信念を持って、人生を楽しみたい☆