高天原
たかまのはら たかまがはら たかあまはら
たかのあまはら
まぁ呼び名は良しとして ひとつの考察として
神の天下る場所 この地上にあったとか無かったとか
神が降臨する場として各地の神社に”高天原”と刻まれた石碑を置く場所もある
仏教で例えると仏界か…?
またまた仏界を例える宗派も少ないが…
仏界は仏の住む世界との一説も経典で読むことが出来る
ある教学には 仏界は胸中に宿る それを呼び起こすには云々とある
要は 仏の世界は自分の身に具わっていると云う事だとすると(これに関しての深読みはまたの機会で) では高天原は? と云う風に考えてみる
古神道(神道の事はちょっと疎いので🤣)で見ると
神は神鏡で表される そして映るのは…
自分であると 本来祈るべき神は己であると説いた
(本来は神道には教義はないとされている)
となると ”高天原”の神の天下る場所は我が胸中にあると解釈出来る
そんな風に考えるとロマンもあるが
これはあくまでも個人的見解で妄想です
信じるか信じないかはあなた次第デス
今後 恐らく 宗教への信仰心は 仏教問わず薄れていき、神社仏閣 教会などの維持も大変になり
一部が国の管理により保護されたとこだけが残される そんな時代が来るだろう
アニメだったり アーティストだったり バーチャルの世界だったり 信仰の仕方は推しとなり変わっていくだろう
それが 仏教が見た世界観だったのではないか
ふと 経典読みながら思った(´-`)oO