幾度となく 亡くなった方の弔いで
枕経を執り行ってきた
勿論 導師であるが
今まで自分に置き換えて考えたことは無かった…
成仏とは?
「臨終正念」とは、死に臨んでも心を乱さず、正しい念慮(思い、考え)、すなわち妙法を信ずる信の一念を、揺るがずに貫くこと…
そんな指導をしてきた
いざその時が来たら
苦しい時ほど本音を吐露する先輩達も見てきた
信仰は痛みを和らげないものらしい
「臨終只今」とは、今臨終を迎えても悔いがない、という一日一日を積み重ね それこそが臨終に際しても心が乱されないという生き方…
これには信心と云う言葉が加わるが その指導では成仏は人を選ぶ ある教団に入信しないと成仏出来ないとなる
法華経がベースであれば 大乗仏教として多くを救える教えでなければならない
そのため教団色は省いた
上記に唱えた指導は 生き方であり
正しく生きて欲しいと云うのこちらの願望である
ある意味慢心でもある
そうじゃない、没直前にはどのような指導が 救いの言葉となるのか?
家族を失った者への慰めではなく
これから旅立つ者への弔いの言葉として
それは俺への贈る言葉ともなる|ω·)و ̑༉
その激励の一節はまた次の機会に(o・・o)/~