個人的な考察です(´∀`)
経典を読み進めると
何やらムズい事をダラダラと長く書いてはあるが
要は簡単に例えると
「仏も神も外に求るなかれ 全て我が胸中に有り」
となるわけだが…
例えば古神道に拠ると
神棚に祀る 神鏡は鏡である
それには何が映る
自分が映るとなる
自分を拝する事となると教えた
では仏壇に祀る曼荼羅はどうか?
ある人はそれは目の前にあるモノを観るとして 「観相」だと例え
日蓮は「観心」と例えた。
そして
「法華経は明鏡の中の神鏡なり」と
御書の中の「神国王御書」で記してはいたが、曼荼羅はとは記してはいない。
日蓮は鏡を世の中の考察として例えたと私は感じた。
後の学者や弟子たちは曼荼羅を外に観て祈るための対象物とした。
もしかすると、日蓮執筆の「観心本尊抄」の中に記されているのかも知れないが、私個人は確認出来てませんm(_ _)m
然し、
その法華経は我の中に有るものと説いたとして、それを曼荼羅に顕した…
と云う事は
曼荼羅は神鏡と例えるのが答えであり、形状は掛け軸であっても鏡であると考察するのが自然であろう
日本独自の拝する型となるのだろう
そして唱える言霊は我に還る
※言霊 音声に関しての考察は以前のblogにも書いてあるのでそれを参考にしてもらえればと思います。
それが組み合わせると大きな力が漲る(みなぎる)のであるのではないかと思います。
そのように思えば祈る心構えも少しは変わるのではと思い書いて見ました(´∀`)
例えば 戦後のGHQは何を恐れどのような文献や書物を焚書(焚書(ふんしょ)とは、学問や思想を権力によって弾圧するための手段として、書物を焼き捨てることです。)として滅したのか気になるところです。一説には、日本の精神の由来となるものを封印したとある。
とりあえず個人的な見解としての考察である(:D)┓ペコリンチョ
ちなみに
古い日蓮正宗の経本の中には
(天津祝詞)も載せていた様であり
明治元年の政府が推進した神仏分離令の時に削除した経緯がある
戦時中は天皇陛下を奉ると経本に書いてあったが、現在の経本からは削除されている