(`・ω・)ゞおはよー
ちょっと気になったこと。
SNSを見てて
気になる事はスクショして残す。
そんな癖を持っていて
写真を見返していたところ
気になるスクショがあったのでちょっと考察してみようかと(°▽°)
われはありとあるものなり
聖書 出エジプト記 3章 13節のモーセが神に名前を問うた時に神が答えた回答
だそうだが
「われはありとあるものなり」
ヘブライ語をどの時代のどのような人物が翻訳したのか?
こんな言い回しなんてするのかな?
それを未だに資料として残るのか?
現代にあった翻訳の仕方をしないと理解が深まらないと思う。
と云うような過去の考察のまま終わっている仏教 聖書の解釈は多々ある。
現代は、コンプライアンスのせいで
物語 おとぎ話 伝記 etc.....書き換えられ、強制的に道徳やモラルが変化してるように思える。
これがある意味 年の差の価値観を変えているものなのではないかと思う。
現代もSNSを見ていても
外国人が翻訳機能を使いなりすまし投稿があるが
その翻訳の文章が明らかにおかしくて
正確な言葉じゃないことから翻訳したことが解るものがあると同じで、
翻訳の仕方次第でニュアンスが変わり
本来伝えなきゃならない本文が伝わらないって事だと思う。
それは歴史の改ざんにも関与してるんだなぁと感じた。