僕はすこぶるブロッコリーが嫌いです。ブロッコリーアレルギニストです。(長ったらしいので以下ロッコリーに省略)
だってあれただの『木』じゃないですか。イメージ的には結婚式のご祝儀袋みたいなもんですよ。サラダを出す時の礼儀的な?サラダを出す時の飾りつけ的な?
絵的にはやっぱりあった方がいいと思うので、ロッコリーの存在価値はゼロだ、なんてさらさら思っていないです。だから、サラダにぺロッコリーが乗っていないと、
『おいおい!なんでサラダなのにピロッコリーが乗っていないんだよ!?コロッコリーが無いサラダなんてありえねーべ!?』
なんて思うんだけど、綺麗にブロッコリーだけ残します。
ブロッコリーがそこにある理由は絵的なモノです。
食べるには適さないかと思います。
それがブロッコリーに対して、僕なりの冷静且つ客観的な判断です。
美人妻が作った美味そうなサラダでも、
「わりーけどマヨネーズやシングじゃ騙されねーぜ」
と言って綺麗に残します。
けれども、もしもブロッコリー以外食べ物が無いとかそんな状況になったとしたら、もちろん毎日ブスっ子リーを食べますよ。そして、デブっこりんを好きになる努力をします。努力と言うか、マインドコントロールを。
毎日食わなきゃいけない事が決まってしまったその日から、それを嫌々食べながら毎日を過ごすのは明らかに不幸せなので、無理やり好きになります。ブロッコリーを美味いと思い、ブロッコリーを食べて生きていく事を幸せだと思うようにします。
ただ、今は肉とか寿司とかクレープとか、まだまだ他のものを食べられる。
今はまだ他のものを食べられる可能性がある。ブスッコリーを食べなくても生きていける状態にある。
だから僕には今何の制限もないので、胸を張って、
「ブスは嫌いだ!」
と言う事ができます。
それと同様、僕は会社がすこぶる苦手です。
週3日くらいならまだなんとか我慢できると思うのですが、週5日も会社に行くとなると、これはもう耐えられんのですよ。
一日行ったら、「ふぅ、あと二日か。」と思えればいんですが、
一日行ったのに、「あと四日も行かなきゃいけないの!?」と毎週ビックリします。驚愕です。
しかもそれをあと33年もやるんですよ!?
想像すると目まいがしますよね。。。
ただね、会社というものを実際リアルに味見をしてみると、どうも思ったよりまずくはない、思ったよりつまんなくはない、という見解が現実として出てきます。
ブロッコリーもそうです。
実際マヨネーズやドレッシングをかければ、ちょっと美味かったりするんです。
毛嫌いしていたけれど、そんなに悪いものじゃないな
楽しもうと思えば、楽しむ事は出来るな
と。
恐らくどんな会社に入っても、自分はそれなりに出来るだろうしそれなりに楽しめるんじゃないか、と思っています。
ただ、ただですよ?
会社に所属しないでも生きていけるのであれば、その可能性を常に探しているのであれば、それが本当に望んでいる幸せのカタチなんだと思います。
まっさらな状態で望むものが、最高の場所です。
制限のある状態で望むものが、ベターな場所です。
会社の良いところを探して、会社の楽しいところを探して、「ぶっちゃけそんなに悪くない、というか結構楽しいかもな。俺この業界好きだしな。」と思いながら生きる事も出来るには出来ると思うのですが、そこにまだ思考を持っていきたくないという事です。
お陰さまで五体満足に加えてエネルギーもあります。
ラブリーな愛娘も、今のところまだ「パパ私ピアノ習いたいの。」とか言ってこないし、というか喋れないし。
だから自分の感情にコントロールを加えるのは、まだ先の話しです。
仕事が嫌いな訳じゃないですよ?
会社が嫌いなだけです。
勉強が嫌いな訳じゃないですよ?
授業が嫌いなだけです。
なんでそんなに嫌いなの?と聞かれれば、
なんとなく
です。
そのなんとなくが、自然な感情だと思います。
自分の中に生まれる、なんとなく、を守り続けている人がとてつもなくかっこよく僕には見えるからです。
五年後くらいに僕がまだ宙ぶらりんな状態で、「パパ私ピアノとお習字とバレェを習いたいの。」とか子供が言うようになったら、思いっきり前向きに、思考をシフトします。
「ブロッコリーは美味いし会社も楽しい趣味バンザイ」のようにね。
ただ今は、希望と現実のギャップに対する苛立ちに、全思考と全体力を使います。
声を大にして、
「ブロッコリーは嫌いだ。会社は嫌いだ。夏休みは働きたくねぇ。」
と言い続けます。
いつどこで制限が発生するかはわかりませんが、今のところまだ言い続けます。
本よ早く出てくれ。お前が頼みの綱だ。