2003年8耐 | HIPPO大野の雑記帳

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本来は広告系ストラテジックプランナー兼イベントプロデューサーなのですが、気がつけばオフィスピルや商業施設の有遊スペースをマネタイズを企画することがメインになっている零細企業経営者です。

fig01_02b2009年6月のブログにも書いたのですが、2003年の8耐は、人生たった一度きりのホンダワークスご招待でした。

ところが、直系のワークスチーム「セブンスターホンダ」等は、いろいろあって序盤で転倒してトップ争いから脱落。勝てる位置にいるワークスマシンVTR1000SPWは、4台のうち、たった1台になってしまいました。

レースはケンツスズキの北川/藤原組が、十分なマージンを築いて最後のピットインしたのですが、最後のライダーチェンジを終えた時点でエンジンに火が入らず、はるか後方で2位を走行していた、たった1台のワークスマシンVTR1000SPWが、最終的には優勝を勝ち取りました。

その時のライダーこそが、生見友希雄/鎌田学組(桜井ホンダ)でした。

ホスピタリティブースにいる誰もが思った「大ちゃんマジック(加藤大治郎選手が亡くなってすぐの8耐)だ」を、チーム&ライダーも感じていたようで、生見選手は大ちゃんの写真を、鎌田選手はバイザーに74とかかれた大治郎ヘルメットを持って、表彰台に上がってました。

この年、本体のワークスチームはN・ヘイデン/清成龍一組と宇川徹/井筒仁康組。桜井ホンダのメインチームは、大ちゃんのゼッケンをつけた74番の岡田忠之/亀谷長純組。ところが、2周目1コーナーでの多重クラッシュ後にピットまでレッカー車に乗って戻ってきたため、N・ヘイデン選手と岡田忠之選手は失格になってしまったのでした。まさかの単純ミスです。

このVTR1000SPWを開発したのが鎌田学氏。おそらく、これだけのスターライダーペアがいるわけですから、決勝レース開始5分後に、まさか自分が勝たなければいけない状況になるとは思わなかったでしょうが、見事な走りを見せてくれました。

8耐の表彰台って、いろいろやっててほとんど見てません。でもこの年は見てました。感動しました。レースは完全にケンツスズキのものでした。「ワークスに街のバイク屋が勝つ」ってのを確信しました。でも、どこかで勝負の女神がいたずらした。そんなレースでした。

感動をありがとう鎌田学選手。合掌。