やがて死ぬ。

 

そんな重い言葉でありながら事実が作品の中に出てきます。

 

多くの誰もが通る道の中であって、家族というものがあります。

 

なんでも社会の最小単位はなんていっても家族。

 

「家内安全は、世界の願い。」がこの作品のキャッチコピー。

 

 

今回僕は結婚や家族というものを考える道中でこの作品を観ました。

その観たい!と思い立ったトリガーですが、ズバリ

 

ミヤコ蝶々さん

 

序盤に結婚式のスピーチをされるわけですが、その内容もこの方があってこそかと。

 

その内容は実際に作品で噛み締めて頂きたい。

 

主人公はののこちゃんだろう。

 

妹に当たるわけだが、両親、母方の祖母、兄、犬という社会構成。

 

さて、この家族が生まれるまでの結婚が何であるかを、改めて

ミヤコ蝶々さんの内容から説明させていただく。

 

なんでも人間一人でも大抵のことは耐えられるが、相当に辛抱強くてはならない。

ところが男女力を合わせればより切り抜け易い。

それも、どんないい加減な二人であってもだ。

 

子どもがいれば、それが何よりの励みになるから早く子を作れと。

 

子育ては面倒と思われる昨今だが、大昔のことからであって。

 

兎にも角にも、子をつくれば親の恩もわかるというもの。

 

親孝行しなはれといったような旨を語られています。

 

 

自分みたく個人主義に走り、個人で好きなことをなんでも出来るようになったことにかまけては、

多様性のビッグウェーブに乗っかって、結婚だとか、家族だとか忌み嫌うようになり、ちゃっかり

自己の利益ばかり守るような人間には非常に耳が痛い内容です。

 

 

ともあれ、結論は出てしまったもののこの作品は

1999年に上映されました。

 

平成11年ってところでしょう。

 

なんとも平成らしい懐かしさを思い出します。

 

平和で、まだどことなく希望がありながら手探りでのんびりと暮らしていく感じを。

 

作品では

 

父親は出稼ぎに

 

母親は家庭を守り

 

今の家族のあり方の多様化からすれば古典的。

 

互いに助け合って行く様ももちろんながらハートフルなストーリーも多い。

 

しかしながら、父親の復権、浮き沈みの話でもある。

 

 

父の威厳と考え方バラバラの家族をどうすり合わせて行くか。

 

会社では自分を含め家族5人のためにバリバリ働き、マイホームも自分が建てたと自負心がある一方。

 

近所迷惑な若者には弱気になり、注意できず嫁と義母に助けられる。

 

社会で家族を守っていた自分だが、現実月光仮面のようなヒーロー的な派手なものにはなれない。

目に見えぬ力で日々地味ながらの形で支えていた自分を他の家族の一員に支えられていることに気づくのだ。

 

頑固でありながら、タバコ、酒、パチンコはする。今ではあまり考えられないが、割とグータラな人である。

かく言う自分はその三つは堕落と考え一切しないから余計にそう見える。

 

母の方はと言うと、のんきでおおらか。しかし家族の心配となると時に涙する。

グータラな人間であるのは夫と共通ではあるが、まさに母性的。

 

 

その二人の話の中で

 

夫が少し体調が悪く会社を休もうとする。

そこで妻も賛成の意を示して

 

会社がどうこうしてくれるわけでもない。

 

そういった旨のセリフを言ったのが印象的だ。

 

派遣切りの人件費削減の昨今では頷ける話でもあるが、

 

肝心なのは

 

家庭の経済を支えている父は会社の所属と家庭の所属がある。

 

その行き来が生活なのであるが、

 

身を粉にして会社に貢献し報酬を得て家庭に持ち帰る。

 

それが生活なのは当然なのだが、

 

家庭という場所があってこそ、会社があり、働く。

 

帰る場所があり、その帰る場所を守り、支える。

 

会社も家庭も社会を構成しつつもそれぞれに役割を果たしている。

 

 

働く当人である父は孤独である。

 

他の家族はなんとものんきなものであるが

 

そののんきさが家庭の平和を象徴して

 

家族のそれぞれが、家庭経済を支える父をそれぞれの役割で支えている。

 

家族が社会であれば、その一員各々は個人であるが

 

父は働くことで、母は家庭を見守り、祖母は長年の経験で助力し、子は親を癒す。

 

そういったことで自己を確立しているように思う。

 

いわば生きる意味を家庭の役割の中で見出し、活力としている。

 

だからみんな頑張れる。

 

現代はどうでしょう。

 

情報を得るための手段は発達し、個人の好みや夢が優先され

仕事は日を追うごとに忙しくなる。

 

この作品であったような

 

帰りの遅い亭主を気遣ってバナナをだす妻。

 

ケータイを持たず、黒電話を皆で共通する家族。

 

それらの生活の形は失われつつあり、個人個人の行き過ぎた何かによって家族という社会を分断されたように思う。

 

家族でもプライバシーですが、やがては一人でいることでの閉塞感が生まれるでしょう。

 

 

会話も少ないのにどうやって家族という社会が成り立ちましょうか。

 

 

ミヤコ蝶々さんの

 

一人ではなく二人ならいい加減であっても大抵のことは切り抜けられる。

 

そうであれば、家族みんながいかにいい加減でも力を合わせればなんでも乗り越えられるんだと。

強く思う。

 

 

家庭を持つといいことも悪いこともあるけど

 

いくら会社一筋でも、家庭というオアシスなしでは人間頑張れないし、生きるのがどういうことなのかも疑問になってくる。

 

確かに、この作品当時と今の時代背景は大きく違う。

 

家庭、家庭、と今の多様性が受け付けないような古臭いようなことを深刻に訴える訳ではありません。

 

 

親は子を選べないし、子も親を選べません。

 

でも、悪意を持った者同士が家庭を作ることはないと思います。

だから、わからんなりにもその家庭がどうなるか知りませんが、意味を持つと思います。

 

家族の誰かから迷惑を被ったからって憎んではいけません。

互いに迷惑を掛け合って、許しあって行くのが大切だと

 

作品の終盤でお父さんはおっしゃっています。

 

なるようにしかならない。

なるようになる。

 

こうとしか言いようのないことが家族に限らず

大昔から人間が通ってきた道の道しるべなんです。

 

決してあきらめではないんだ。後ろ向きではない。

 

なることはなるようにしかならないと達観して、世の流れを知っているからみんな結婚を決めて

家庭を築いてきたんではないでしょうか。

 

それは、無意識にでも家族一丸となればなんでも乗り切れることをわかっていると思います。

 

長くなりましたが、

 

今の時代とはミスマッチなことは否めない作品です。

しかし、そうであるからこそ家庭を中心とした豊かさの気づきがあればと思ってこの作品をおすすめします。

 

ところでこの作品は地上波では2000年に一回きり放送されたっきりで、再放送されてません。

高畑勲さん監督の名作なのですから、今一度地上波で放送されることを心待ちにしてます。

 

読んでいただきありがとうございました。