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雲がわたあめに見える

つれづれなるままに



あたりまえを疑うのは、とても大切だと思う。
つまり、常識を一度疑ってみるということだ。



とても、有名になった心理学用語がある。
「ゲシュタルト崩壊」だ。

例えば、文字を何度か並べて見ていると
「あれ?この文字なんだっけ?」と思ってしまう。

ひらがなでも カタカナでも 漢字でも

この現象は起こってしまう。

簡単な、文字ほど多く起こるそうだ。

楽 寸

などがゲシュタルト崩壊を起こしやすい文字だと言われている。

それも、ゲシュタルト崩壊であることは間違いないが、

それだけが、ゲシュタルト崩壊であると思っている人も少なくないのではないだろうか。


「ゲシュタルト崩壊」とは
全体の認知をすべて覆してしまうような、ある一部分の認知のことである。

例えば、時計があるとする。
時計は、様々な大きさの部品が組み合わさってできているが、
その部品のひとつひとつが、目の前にばらばらになっているのを見て
人は、その物体を「時計」だと認知できるのだろうか。
いや、そんなことができるのは、そうとうメカニックな人くらいだろう。


人間は、何かを部分で認知しているのではなく、
ひとつの大きな枠組みのなかで認知しているということだ。

少々、まどろっこしい たとえになってしまったが、ゲシュタルト崩壊とは
そのような認知のことを言うのである。

こんな話がある。

冬に、その土地をよく知らない探検家が、雪道を歩いていた。
とても広い道で、あたり一面雪景色だった。
彼は、端を通るよりも、中央を歩いた方が安全だろうと思い、真ん中を歩いていた。

しばらく歩いていると、遠くから、大きな声で叫ぶ地元の人にこう言われた。

「そこは、大きな湖の上だ!落ちたら寒さで死ぬぞ!」

探検家は、たいそう驚いて、その場から動けなくなってしまったそうだ。

全体の枠組みは、「ただの道」
しかし、「湖の上にいる」という一部分の認知で、すくみあがるほどの恐怖を感じた。

彼の中の、「安全」というゲシュタルトは、完全に崩壊してしまい、
「湖の上にいる」という認知から抜け出せなくなっているのだ。

きっと、今感じているだろう。「あたりまえ」の感覚。
それは、きっとある一部分の認知が加わるだけで、
簡単にゲシュタルト崩壊してしまうかもしれない。

そもそも、あなたって何?わたしって誰?