小学生の頃 父親と出かけると だいたい 寅さんの映画でした。

あの頃は こんな映画じゃなくて もっとかっこいいのがいいのに・・・

と不満でしたが。

 

その刷り込みのおかげで

長じてからは 寅さんの映画のファンになり

全作品を もう数回以上観ています。

 

柴又は一度訪れたいと思っていたのですが

なかなか機会に恵まれず。

 

やっと 行ってまいりました。

帝釈天!

想像以上に広くて大きいお寺でした。

 



 



 

父との映画の思い出ですが

父は 映画の開始時間とか全く頓着なく

途中だろうが何だろうが 入って 最後まで見て

さらに 最初から見ていき 途中入った時点で

「ここから先は 観たな」と言って

出てくるというパターン。

 

ですので 難しい内容だと全くちんぷんかんぷんで途中から見続けなければならないという。

 

映画って こういう風に見るものなんだー

と誤解していました。

 

その点 寅さんは 単純でどこから見ても面白いから

娘と見るにはちょうど良かったのかもしれません。

 

父とのデートは だいたい映画で

寅さん以外にも こういう見方でしたので

ストーリーを組み立てるという 練習になったかもしれません。

 

途中から見て 途中で出る。

頭の中で あれはこうで ああだったから こうなったのか

と 見終わってから 組み立てて納得する。

 

今の私の思考は あのような映画の見方も関係していたかもしれません。

 

帝釈天を訪れたら

同時に父親との思い出も鮮明によみがえり

懐かしい楽しさに包まれました。

 

うなぎと 草団子もいただいてきました。