池波正太郎生誕100年記念映画:「仕掛人・藤枝梅安」

 池波正太郎(1923〜1990)の代表作「仕掛人・藤枝梅安」と「鬼平犯科帳」が新たに映画化された。「仕掛人・藤枝梅安」で鍼(はり)医者と殺し屋の二つの顔を持つ主人公の藤枝梅安には豊川悦司が、相棒の彦次郎には片岡愛之助が扮し、「鬼平犯科帳」の主人公長谷川平蔵には松本幸四郎が扮した。池波の生誕百年にあたる2023年以降順次公開(「仕掛人・藤枝梅安 第一部」が2月に、第二部は4月7日から公開され、「鬼平犯科帳・血闘」は2024年5月頃公開される予定)。両作はかつて映画やドラマでシリーズ化され、広く支持された。しかし近年、時代劇は「スポンサーがつかない」として民放地上波から次々に姿を消し、今や時代劇は「冬の時代」まっただ中にある。「仕掛人・藤枝梅安」は2006年放送分を、「鬼平犯科帳」は2016年放送分を最後に、新たな映像化は途絶え、時代小説の名作がドラマ化・映画化されないという危機的状況が続く。

        

  池波正太郎生誕一〇〇年企画映画化チラシ                 「鬼平犯科帳」SEASON1・出演者会見

 

 『仕掛人・藤枝梅安』は、池波正太郎の娯楽時代小説シリーズ。鍼医者・藤枝梅安の、暗殺稼業「仕掛人」としての活躍を描く。『小説現代』で1972(昭和47)年から1990(平成2)年の間に発表した全20篇の連作時代小説であり、『鬼平犯科帳』『剣客商売』と並ぶ池波の代表作である。漫画化もされており、必殺シリーズの翻案元としても知られる。


         

 『頃氏の四人 仕掛人・藤枝梅安』(講談社文庫)          「仕掛人・藤枝梅安 第一部」チラシ


 O爺は、ミッドランドスクエアシネマ名古屋で、公開間もない「仕掛人・藤枝梅安 第一部」を観た。主人公藤枝梅安はダークヒーロー。鍼医者として庶民に慕われる表の顔と、悪人殺害を金で請け負う裏の顔を持つ。単純な善悪論では成り立たない物語を細部に至るまで丁寧に映し出し、登場人物それぞれの心の襞、ゆらめきが見事に描かれていた。単なる勧善懲悪やヒールピカレスクドラマ(悪漢物語)に堕していない点や共演者(菅野美穂・高畑淳子・小林薫・早乙女太一・柳葉敏郎・天海祐希など)の確かな演技に好感を覚えた。さらに、池波正太郎の原作の特色であった時代考証の確かさ、とりわけ、江戸料理のレシピの細やかな描写や食べるシーンの丁寧な撮り方には感動させられた(味噌汁を作るシーンが長く流れた後朝帰りの梅安が香りを味わうが肝心の食する場面は登場せず再び梅安は出かけてしまうところなど絶妙)。

 池波作品の映像化において「食」をどう描くかは、重要なテーマの一つだ。
 映画「仕掛人・藤枝梅安 」で「食」はどう表現されていたか。今回、料理監修をつとめたのは、日本料理店「分とく山」総料理長・野﨑洋光。野﨑は、池波文学をこよなく愛し、重金敦之との共著『池波正太郎の江戸料理を食べる』(2012年3月16日、朝日新聞出版)を刊行。『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』など、江戸3大シリーズをはじめとして池波作品に登場する数々の食べものにチャレンジ。鬼平が食べた軍鶏鍋や秋山大治郎が飲んだ根深汁など、おなじみの料理を再現した。四季折々の旬の素材が持つ魅力を余すところなく引き出し、かつ男性読者でも調理可能なように料理のコツをわかりやすく伝授する。同時進行のエッセイは、担当編集者として長く池波と交流のあった文芸ジャーナリストの重金敦之によるもの。食の分野に造詣が深い重金が「池波正太郎と食」にまつわる思い出話を該博な知識を交えてふり返る場面は、読み応え十分である。池波の食に対する思いや心構えがどのようなものだったのかを知らしめてくれる好著だ。

野﨑洋光・重金敦之『池波正太郎の江戸料理を食べる』(2012年3月16日、朝日新聞出版)

 

 映画「仕掛人・藤枝梅安 」の台本に書かれたメニューを、野﨑ははどのように読み解き、どう再現したのか。 映画の中の「食」を通して、「仕掛人・藤枝梅安」の新たな魅力に触れることができるはずだ 。

  「飯が炊けるまでおりますよ」
  「いいんだ、苦労をかけたな、ありがとう」

 飯炊き女・おせき(高畑淳子)が、大きなまな板の上で青菜を刻む場面や煮干しで出汁をとった味噌汁が煮上がる場面がクロースアップされた後、帰ってきた梅安が再び出かける際のやりとりだ。ここでは、梅安が味噌汁を食するシーンは登場しない。台本には、以下のようにある。

  1話・シーン17 ▼味噌汁〔大根・小松菜・煮干〕
           青菜を切るシーン撮影・白飯〔釜の中の御飯は見えない〕

 味噌汁は殆ど映っていないにもかかわらず、野﨑は当時の水質に合わせて井戸水を汲んできて味噌汁を作るという念の入れようだった、という。

  2話・シーン98 ▼飯を炊く〔湯気を出すのみ〕
             ▼おせきさんが作る晩御飯〔・1人前〕
              鰺の干物→焼いている途中のシーン撮影

 セットの片隅で、シーンごとに料理を再現していく野﨑は、たとえ料理そのものが映らなくても、食べるシーンが映らなくても、「万が一食べた時に旨い料理を用意する」との心意気で調理していたという。

 原作『殺しの四人 仕掛人・藤枝梅安』には、梅安の好物が沙魚(はぜ)であることを示す一節がある。

   梅安は行燈にあかりを入れ、またしても箸を把って、残りの沙魚を平らげてし 

  まった。頭も骨も残さぬ。

 完成映像にも、沙魚の煮付けはしっかりと映し出され、原作通り梅安は、頭も骨も残さず平らげ、観客にもその美味しさが見事に伝わるシーンであった。大好物をじっくりと食べ終え、笑みを浮かべる梅安を通じて、人物の感情のゆらめきが伝わってくる。沙魚は秋が旬の魚で、映画撮影時には全く市場に出ていなかった。「沙魚が梅安の大好物である以上、美味しく作らないわけにはいかない」との思いから、野﨑は日本全国の市場に問い合わせて新鮮な沙魚を取り寄せ、調理をしたのだそうだ。
 梅安と彦次郎の感情が揺れ動くシーンが、お粥を食べる場面だ。きざみネギの上にかつお節をタップリかけた粥を食べながら、梅安が次のように語る。

  「旨いねえ、彦さん。かつお節だけで、こんなに旨くなるもんだ。」

 彦次郎も微笑みながら頷く。

 1・2作合わせて59シーンに約80種類の料理が使用されているとのことだが、「鮪と大根の煮付け」や「めざしの類いのあぶりもの」など、江戸の味の一端が再現されており、今回の映画は「食」を通じて「仕掛人・藤枝梅安」の新たな魅力に光を当てたと言えよう。

 「鬼平犯科帳」は江戸時代中期に実在した火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)をモデルにした物語。悪逆無道な人間を容赦なくたたきつぶす一方、時には情けをかけるおとこ気と人情にあふれた「鬼の平蔵」こと長谷川平蔵の活躍が描かれる。亡くなった市川吉右衛門のはまり役となった長谷川平蔵を松本幸四郎がどう演じるか、気になるところだ。
 新たな「鬼平犯科帳」はSEASON1として計4作品を製作 
 (1)2時間スペシャル「鬼平犯科帳 本所・桜屋敷」(2024年1月放送・配 

    信)
 (2)劇場版「鬼平犯科帳 血闘」(2024年5月公開予定/配給:松竹)   
 (3)連続シリーズ「鬼平犯科帳 でくの十蔵」(2024年5月以降放送・配信 

    予定)
 (4)連続シリーズ「鬼平犯科帳 血頭の丹兵衛」(2024年5月以降放送・配

    信予定)

 書物の記憶〈07〉

  『池波正太郎のそうざい料理帖』・『池波正太郎のそうざい料理帖巻二』
 
 池波正太郎の食にまつわるエッセイは、料理の描写が精細で、味に対する想像力を刺激するものが多い。イラスト・装画が添えられていることも多く、普通のグルメ本とは違う趣がある。
 『食卓の情景』『散歩のとき何か食べたくなって』『むかしの味』『池波正太郎の銀座日記〔全〕』(新潮文庫)、『江戸前 通の歳時記』(集英社文庫)、『わが家の夕めし』(講談社文庫)、『チキンライスと旅の空』(中公文庫)、『仕掛け人めし噺~藤枝梅安歳食記~』(リード社、作者(漫画):武村勇治、原案:池波正太郎)、『池波正太郎が通った〔店〕』(いそっぷ社)など、例をあげ始めればキリがないほど数多くの食エッセイを書いている。
       

    『江戸の味を食べたくなって』(新潮文庫)       『梅安料理ごよみ』(講談社文庫)

 

 そんな中で、ぜひ手元に置いて、時折読み返して欲しいのが『池波正太郎のそうざい料理帖』(2003年7月、平凡社)、『池波正太郎のそうざい料理帖巻二』(2004年12月、平凡社)の2冊だ。  
        

      『池波正太郎のそうざい料理帖』(平凡社)     『池波正太郎のそうざい料理帖巻二』(平凡社)

 

   七年ほど前から、日記をつけている。
   内容は、その日その日に食べたものを記してあるだけで、その他のことは、ほ  

  とんど書かぬ。(中略)
   日記に書いてある食べ物の中で、おいしかったものには、色鉛筆で○印がつけ

  てあるから、家人がこれを見れば、すぐわかる。春夏秋冬、その日の惣菜がおも

  いつかぬとき、この七年間にわたる日記をひろげれば、かならずや家人は、ヒン

  トをあたえられるわけだ。
   また、ふしぎなもので、私も、食物のことしか書いてない日記を読返すと、何

  年も前の、その日にあった出来事をまざまざとおもい起すことが、たびたびある

  のだ。          (「惣菜日記――はじめに」『そうざい料理帖』)

   この料理帖は池波正太郎の食日記や食エッセイから、酒家垂涎(しゅかすいぜ

  ん)の料理を厳選メニュー化し、それを師の流儀(りゅうぎ)にならい①旬(春夏

  秋冬の章)、②飯どき(【朝】【昼】【夕】【酒肴】【夜食】の大まかな目安

  (めやす))、③料理法(「作り方のヒント」としてすべてのメニューを矢吹申彦

  のイラストで手順再現)などによって手ほどきをし、家庭での実用にかなう工夫

  を凝(こ)らしたものだ。
   採りあげた料理は、あくまでも素人でもつくれる江戸・東京風の「そうざ

  い」。酒家の手なぐさみに四季折々の味を相伴するには、それで充分であろう。
             (【「そうざい料理帖」の愉しみ方】『そうざい料理帖』)

 以上の二文から、この本の愉しみ方、魅力は、充分に伝わってくる。以下に、料理帖のサンプルを二つ挙げておこう。

   白魚のしゅんは二月といわれるが、春の足音は目立たぬように近寄っていて、

  明るい灯火の下で、無残や、酔客の口中へ入る白魚の姿に、短い春の果敢(はか)

  なさが感じられる。  (「白魚の椀盛り【夕・酒肴】」『そうざい料理帖』)

   豆腐の料理については数え切れず、春夏秋冬、いずれの季節にもぴたりと似合

  った料理ができる。
   これから春がすぎ、夏になれば、むろん、もっとも単純な食べ方として〔冷奴

  (ひややっこ)〕ということになる。(中略)
   およそ一寸角(いっすんかく)に切った豆腐を〔やっこ〕と呼ぶのは、江戸時代

  の槍持奴などが来ている制服の紋所(もんどころ)の連想から生まれたものだ。

   夏の夕餉(ゆうげ)の膳(ぜん)にのぼる冷奴の涼味(りょうみ)は、冷房もない戰

  前の、私どもの生活に、しみじみと夏の到来を思わせたものだ。
   生醤油(きじょうゆ)へ、すこし酒をまぜた附醤油に、青紫蘇(あおじそ)と晒葱

  (さらしねぎ)の薬味(やくみ)で私は食べる。餡(あん)かけ豆腐は冬のものだが、

  私は冷やした餡かけ豆腐を作らせ、夏によく食べる。
 (「豆腐(とうふ)の小噺(こばなし)――冷奴二品(ひややっこにひん)」『そうざい料

  理帖 巻二』)

 こうした味わい深い文章とともにレシピと作り方イラストがついており、読むたびに、思わず厨房に立ち、晩酌料理とでもいうものを作りたくなる。ぜひとも、手元に置き、活用したい「そうざい料理帖」である。