#2)プーチン大統領とカールソン氏のインタビュー(動画文字起こし)‼・・・ | 不死鳥のように蘇る日本、未来に向けて自虐からの脱出

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#1)からの続きです‼・・・

 

     

 


T. カールソン:
 ウクライナの土地の一部を取り戻すことができるという事を、
オルバンに伝えましたか?


V.プーチン:
 私は一度もそう言ったことはない。一度もだ。彼と私はこの件について会話すらしたことがない。しかし、そこに住んでいるハンガリー人が歴史的な祖国に帰りたがっていることは確かだ。

更に、今からとても興味深い話をしよう。

余談になるが、これは個人的な話だ。80年代初頭のある時期、私は当時のレニングラード、サンクトペテルブルクから車を運転し、ソ連を一周する旅に出た。ベレゴヴォと呼ばれる都市に入ったが、そこではすべての都市や村の名前がロシア語と、私には理解できないハンガリー語で書かれていた。ロシア語とハンガリー語だ。ウクライナ語ではなく、ロシア語とハンガリー語だ。

 

 ある村を車で走っていると、黒いスリーピースのスーツに黒いトップハットをかぶった男たちが家の近くに座っている。

芸術家か何かですか?彼らは私に言った:いや、彼らは芸術家ではない、ハンガリー人だ!。

彼らはここで何をしているんだ?ここは彼らの土地で、彼らはここに住んでいる。

肩書きはすべて!ソビエト時代、80年代。彼らはハンガリー語、

名前、民族衣装を保持している。彼らはハンガリー人であり、ハンガリー人のように感じている。そして勿論、今侵害が起これば...

 

T. カールソン:

 ええ、よくあることだと思います。おそらく、20世紀とそれ以前の変化の際に、多くの国が国境が変わることに不満を抱いていたのでしょう。しかし、2022年2月まで、あなたがこのようなことを言わなかったのは事実です。そしてあなたは、NATOからの物理的な脅威、特に核の脅威を感じ、それが行動を促したと言いました。

        私の理解は正しいですか?

 

V. プーチン:

 私の長い対話は、おそらくこのジャンルのインタビューには含まれないと理解しています。だから冒頭で『真面目な会話にするのか、それともショーにするのか』と尋ねたんだ。

あなたは真剣な会話だと言った。だから気を悪くしないでください。

 私たちはソビエト・ウクライナが誕生した瞬間に来ています。

そして1991年、ソビエト連邦が崩壊した。

 そして、ウクライナがロシアからの贈り物として受け取ったすべてのもの、『主人(ロシア)の肩から』、 彼女(ウクライナ)はそれを持って行った。

 

私は今、非常に重要なポイントに差し掛かっている。

結局の処、このソビエト連邦の崩壊は、事実、ロシアの指導部によって引き起こされた。

 当時のロシア指導部が何を指針としていたのかは知らないが、全てが円滑にいくと考えるには、いくつかの理由があったのではないだろうか。

 

まず第一に、ロシアの指導者たちはロシアとウクライナの関係の基本原則から話を進めたと思う。実際、共通の言語があり、90%以上の人がロシア語を話し、家族の絆があり、3分の1の人が家族や友好的なつながりがあり、一般的な文化があり、一般的な歴史があり、最後に共通の宗教があり、何世紀にもわたって一つの国家に存在し、経済が非常に相互につながっている。

 これらすべてが、私たちの良好な関係の必然性を支えている。

 

 もうひとつは非常に重要なことで米国市民として、

      また視聴者の皆さんにも聞いていただきたい。

以前のロシアの指導者たちは、ソ連が消滅し、イデオロギー的な分断線が存在しなくなったという事実から進んでいた。ロシアは自発的かつ積極的にソ連の崩壊に同意し、それがいわゆる(すでに引用されているが)『文明化した西側』によって協力と同盟の提案として理解されるという事実から進んだ。 これは、ロシアが米国といわゆる集団的西側諸国全体から期待されていたことである。

 

ドイツにも賢い人たちがいた。エゴン・バールは社会民主党の主要な政治家で、ソ連崩壊前にソ連指導部との対話の中で、ヨーロッパに新しい安全保障システムを作る必要があると個人的に主張していた。我々はドイツの統合を助ける必要があるが、米国、カナダ、ロシア、

       その他の中欧諸国を含む新しいシステムを作る必要がある。

然し、、NATOを拡大する必要はない。NATOが広がれば、全てが冷戦時代と同じになり、

ロシアの国境に近づくだけだ。それだけだ。祖父は賢かった。

           誰も彼の言うことを聞かなかった。

この会話も私たちの文書に残っています。もし私の言うことを聞かないのなら、私は二度とモスクワには来ない、と。ソビエトの指導者に腹を立てた。彼は正しかった。全てが彼の言ったとおりになった。

 

T. カールソン:

 ええ、もちろん彼の言葉は実現しました。

あなたはこのことについて何度も話していますが、これはまったく公平なことだと思います。

そして米国の多くの人々も、ソ連崩壊後はロシアと米国の関係が正常になると考えていたが!、…実際は逆のことが起こった。

 然し、あなたはなぜこのようなことが起こったと考えるのか、その理由を説明していない。

確かに西側諸国は強いロシアを恐れているかもしれないが、…

           西側諸国は強い支那を恐れていない。

 

V. プーチン:

 西側諸国は強いロシアよりも強い支那を恐れている。

何故ならロシアの人口は1億5千万人!、支那には15億人の人口がいるからだ。

 然し、然しに支那にとってはこれで十分なのだ。ビスマルクは嘗て、こう言った。

購買力平価と経済量において、支那は今日、世界で最初の経済大国である。購買力平価でも経済規模でも〛、・・・

この下りには?が付きます。鉄の宰相!と言われてビスマルクの時代。支那は人口大国でありましたが、経済大国ではなく、購買力も低かった。ビスマルクでは無くて、誰かと混同しているのかも知れません。

 

誰が誰を恐れているのか?、そのようなカテゴリーで話をするのはやめよう。1991年以降、ロシアが『文明諸国』の友愛家族の一員になることを期待した時、そのようなことは何も起こらなかったという事実について話そう。

 あなた方は私たちを欺いた。『あなた方』と言ったのは、勿論、

あなた方個人という意味ではなく、米国の事だ。あなた方はNATOの東方への拡大はないと約束したが、これは5回起こった。5回の拡大の波だ。私たちはあらゆることに耐え、あらゆることを説得し、言った‼、…必要ない、私たちは今や自分たちのものだ、彼らが言うようにブルジョアだ、私たちには市場経済がある、共産党の力はない、合意に達しよう。

 

更に、私はこの事をすでに公の場でも語っている。

さて、エリツィン時代を例にとろう。『灰色の猫が走り抜けた 』瞬間があった。 その前、エリツィンは米国に旅行し、議会で演説し、素晴らしい言葉を発した事を覚えている‼、…『米国に神のご加護』を‼、…彼はロシアを仲間にして下さい!とまで言った!。

 

いや、ユーゴスラビアで事件が始まった時、…それ以前は、エリツィンは賞賛され、称賛されていた。 ユーゴスラビアで事件が始まってすぐに、彼がセルビア人の為に声を上げた時、私たちはセルビア人を擁護するために声を上げずにはいられなかった‼、そこに複雑なプロセスがあったことは理解している。

 然し、ロシアはセルビア人の為に声を上げずにはいられなかった。何故なら、セルビア人もまた特別な国民であり、私たちに近く、正統派の文化などを持つ国民だからだ。

     何世代にもわたって苦難に耐えてきた民族だ。

 

 まあ、そんなことはどうでもいいのだが、重要なのはエリツィンが支持を表明したことだ。

米国は何をしたのか?国際法と国連憲章に違反して、ベオグラードへの爆撃を開始した。

 

 米国は瓶から精霊を出したのだ!。更に、ロシアが異議を唱え、憤りを表明したとき、何が語られたのか?国連憲章や国際法は時代遅れだ!と。

 今は誰もが国際法に言及しているが、そのうち、全てが時代遅れだ、すべてを変える必要がある!と言い始めた。

 

確かに、パワーバランスが変わったのだから、何かを変える必要がある。

 そう、処で、彼らはすぐにエリツィンに泥を塗り始めた‼、…

〚彼はアルコール依存症で、何も理解していない、何もわかっていない〛と指摘したが、

 彼(エリツィン)は全てを理解していた。

 

それならOKだ。私は2000年に大統領になった。

 ユーゴスラビア問題は終わったのだから、関係回復を図り、ロシアが通ろうとしていたこの扉を開く必要がある。

 政権を去ろうとしていたビル・クリントンとクレムリンで会談した時、私は彼にこう言った〚もしロシアがNATOへの加盟を言い出したら、それは可能だと思いますか?〛、…

突然!、彼はこう言いました。『ほう、これは面白いですね、私もそう思います』。 

そして夕方、私たちが夕食時に会った時、彼はこう言いました、…『私は部下やチームと話し合いましたが、今はそれは不可能です』、…  彼に聞いてみれば、彼は私たちのインタビューを聞いて確認してくれると思います。

あんな事がなかったら絶対そんなこと言わなかったろうに。 

さて、もうそれは不可能です。

 

T. カールソン:
その時、あなたは誠実でしたか?NATOに参加しますか?

 

V. プーチン:

 聞いてくれ、私は質問したんだ。そして、答えは『ノー』だった。

もし私が経営陣の立場を知りたいという不誠実な気持ちを持っていたとしたら...

 

T. カールソン:

 もし彼がイエスと言ったら、NATOに参加しますか?

 

V. プーチン:
もし彼が『イエス』と言ったなら、和解のプロセスは始まっていただろう。

 然し、それでは終わらなかった。いやいや、わかったよ。

 

T. カールソン:

 何故だと思いますか?その動機は何ですか?あなたがこの事を苦々しく思っているのは、

よくわかります。然し、では何故!西側諸国はそれほどまでにあなたを拒絶したのだと思いますか?その敵意はどこから来るのか?なぜ関係が改善できなかったのか?あなたから見て、その動機は何だったのでしょうか?

 

V. プーチン:

 あなたは、私がその答えを苦々しく感じていると言った。

いや、これは恨みではなく、単に事実を述べただけだ。私たちは新郎新婦ではないし、恨み辛みはこのような場合に起こる物質ではない。

 私たちはただ、彼らがそこで私たちを待っていなかった事に気づいただけなのだ。まあいい。でも、人間関係の築き方は変えよう、共通点を探そう。何故!なぜ私たちはこのような否定的な反応を受けたのか?、… あなた方の指導者に尋ねた。

 私はその理由を推測することしかできない。そして米国は...私はNATOでどのように問題が解決されているかを見た。

 

もうひとつ、ウクライナに関する例を挙げよう。

 米国の指導者は『圧力をかけ』、NATO加盟国は全て、例え気に入らない事があっても従順に投票する。この点に関しては、2008年にウクライナに何が起こったか、議論されている事ではあるが、ここで新しいことをお話しするつもりはない。

 とはいえ、その後、私たちはさまざまな方法で関係を築こうとした。例えば、中東、イラクでの出来事がありましたが、私たちは非常に穏やかに、冷静に国家との関係を築きました。

 

 私は繰り返し、米国は北コーカサスにおける分離主義やテロリズムを支援すべきではないと問題提起してきた。しかし、彼らはとにかくそれを続けた。そして政治的支援、情報支援、財政支援、さらには軍事的支援までもが、コーカサスのテロリスト集団に関連して米国とその衛星から齎された。

 

 私は以前、この問題を私の同僚である米国大統領に提起したが、

彼は言った‼、…〚そんな筈はない、証拠はあるのか?〛、私はイエスと答えた。私はこの会話に備え、この証拠を彼に渡した。

彼は見て、何と言ったと思う?〚申し訳ないが、そうなってしまったん〛、… 私たちは答えを待ったが、答えはなかった。

 

私は米FSB(連邦保安局)長官に、CIAに手紙を書け、大統領との会話の結果は出ているのか、と言った。 私は一度、二度手紙を書き、そして返事を受け取った。

その答えは公文書館にあります。 

CIAからの答えは‼、…〚我々はロシアの野党と協力した。面白い。わかった〛、… 

      私たちは、米国とは会話が成立しないことを悟った。

 

T. カールソン:

      反対ですか(米国には同調できませんか)?

 

V. プーチン:

勿論、この場合、我々は分離主義者、つまりコーカサスで我々と戦ったテロリストのことを意味している。私たちが話していたのはその事だ。彼らはそれを反対派と呼んだ。

これが2つ目のポイントだ。

 

非常に重要な3つ目のポイントは、米国のミサイル防衛システムが構築された瞬間、つまり始まりの瞬間である。

 

    

     プーチン大統領とブッシュ大統領とその閣僚との会議November 15, 2004

 

  私たちは長い時間をかけて、米国にこのようなことをしないよう説得した。

更に、ブッシュ・ジュニアの父であるブッシュ・シニアが私を招待してくれた後、

そこでブッシュ大統領と彼のチームと非常に真剣な話し合いが行われた。

 私は、米国、ロシア、ヨーロッパが共同でミサイル防衛システムを構築することを提案した。

米国は、イランからのミサイルの脅威に対して構築されると公式に述べているにも拘らず、

一方的に構築されるミサイル防衛システムは、私たちの安全を脅かすと私たちは考えている。

 これがミサイル防衛の創設を正当化する理由でもあった。

私は、ロシア、米国、ヨーロッパの3者が協力することを提案した。

彼らはとても面白いと言った。本気ですか?と聞かれた。

 

T. カールソン:

      それはいつ、何年のことですか?

 

V. プーチン: 

 覚えていません。 私がブッシュ・シニアの招待で米国にいた時、これはインターネットで簡単に調べられました。今では更に簡単に調べることができます。誰から聞いたかお話します。

 

彼らは私に、『これはとても興味深いですね』と言った。

 私が言いたいのは、安全保障の分野におけるこのような世界的な戦略的課題を私たちが力を合わせて解決することを想像する事です。 そうしたら、 世界は変わります。 おそらく経済的、さらには政治的な紛争も起こるでしょうが、私たちは世界の状況を根本的に変えるでしょう‼、…米国側は 私に『本気ですか?』 と尋ねた。

勿論本気です!と私は言った。 米国側は、それについて考える必要がある!との応えだでけあった。 私はお願いしますとだけ言った。

 

その後、ゲイツ国防長官、元CIA長官、そしてライス国務長官がこのオフィスに来て、私たちは今話をしています。 ここ、このテーブルの反対側、このテーブルが見えますが、彼らはこちら側に座っていました。 私、外務大臣、ロシア国防大臣は向こう側です。 彼らは私に、〚はい、私たちはそう思いました、私たちは同意します〛、…と言った。 私は『神に感謝します、素晴らしいです!、…ただし、一部の例外を除きます〛、応えた。

これは、当時の画像を示し、会議の様子をプーチンさんがカールソン氏に説明したようです。

 

T. カールソン:
米国の大統領がどのように何らかの決定を下し、その後、彼らのチームがそれらの決定を狂わせたかについて 2 回説明しましたね?

 

V. プーチン: 

 その通りです。 結局、私たちは追い出されてしまいました。

 それは間違っていると思うので、詳細は言いません。 結局の処、それは機密の会話でした。 

       然し、私たちの提案が拒否されたことは事実です。

 

その時、私はこう言いました‼、…『ほら、でも、その場合は報復措置を取らざるを得なくなるでしょう。』 ミサイル防衛システムを確実に克服する攻撃システムを構築します。

答えはこうだった。我々はあなたたちに対してやっているのではなく、あなたたちは、それが私たちに対してではなく、米国に対してではないという事実に基づいて、あなたたちがやりたいようにやっているのです。
私は明言した‼・・・良いです。 さあ行こう。 そして私たちは大陸間の射程を備えた極超音速システムを開発し、開発を続けます。
私たちは現在、極超音速攻撃システムの開発において誰よりも先を行っています。

米国と他の国々の両方であり、それらは日々改良されています。

 

然し、私たちはそれを(ミサイル開発)しませんでした。別の道に進むことを提案しましたが、彼らは私たちを拒否したのだった。

 

次にNATOの東方への拡大についてです。 

そうですね、彼らは東にはNATOは1インチもない!と約束したが、… それからどうしたか! 彼らは、〚そうですね、まだ正式に記録にしていないので、バルト三国、東ヨーロッパ全土などを含む5カ国を拡大する〛、言い放ったのです。

 

さて、本題に移ります。2008年、私たちはウクライナに到着した時、 ブカレストでの首脳会議で、ウクライナとグルジアにNATOへの扉が開かれたと発表した事を知らされました。

 

ここで、そこでどのように意思決定が行われたか?

ついて話します。 ドイツとフランス、そして他のヨーロッパ諸国も反対していいた。 然し、後で分かったのですが、ブッシュ大統領は非常我が強かった政治家だった。後で彼らが私に話したように、彼は私たちに圧力をかけ、私たちは同意せざるを得ませんでした。 幼稚園みたいで面白いですね。

 

保証はどこにあるのだろうか!。ここはどんな幼稚園なのか?、

どんな人たちがいるのか、どんな人たちなのか? ご存知のとおり、

彼らは『圧力』を受けて同意したのです。

 そして彼らはこう言った、〚ウクライナはNATOには参加しないでしょう〛、… 

             私は理解できなかった。

 2008 年に同意したことは知っていますが、今後はなぜ同意しないのか?、彼らは私たちに圧力をかけてきた。 なぜ彼らは明日、あなたに圧力をかけないのか、そうすればあなたもまた同意するでしょう。 

まあ、 誰に話せばいいのわからないのでは、ナンセンスですね。

 話す準備はできていても、 でも誰と? 保証はあるのかどこにありますか? ありません。

 

 詰まり、ウクライナの領土を開発(支配)し始めたという事だ。

そこに何があったとしても、私はその背景、この領土がどのように発展したか、ロシアとどのような関係があったかを話した。

 そこにいる2人目、3人目には必ずロシアと何らかのつながりがあった。そして、独立宣言によって独立した主権国家ウクライナの選挙で、因みにそこにはウクライナは中立国であると書かれているのですが、2008年に突然NATOへの扉(門)が開かれたのです。これは興味深い映画だ!私たちはそうは考えませんでした。だから、ウクライナで政権を握ったすべての大統領は、ある意味でロシアに好意的だった選挙民に依存していた。これはウクライナの南東部であり、多くの人々がいる。そして、ロシアに好意的な態度を持つこの選挙民を『殺す」』ことは非常に難しかった。

 

ヴィクトル・ヤヌコヴィッチは、クチマ大統領の後、初めて政権を獲得し、ウクライナ憲法に規定されていない第3ラウンドを組織した。

これはクーデターだ。想像してみて欲しい。

 

T・カールソン:

             2014年に。

 

V. プーチン:

いや、前だ。いや、違う。

クチマ大統領の後、ビクトル・ヤヌコビッチが選挙で勝利した。しかし、反対派はこの勝利を認めず、米国は反対派を支持し、第3ラウンドを予定した。これは何なのか?

 これはクーデターだ。米国が彼を支持し、第3ラウンドの結果、彼が政権を握った...。米国では、誰かが何かを気に入らず、第3ラウンドを組織したと想像して欲しい。

 それにも拘らず、彼らは(ウクライナで)それを行った。

親欧米の政治家と思われていたヴィクトル・ユシチェンコが政権を握った。彼はモスクワを訪問し、私もキエフに行った。

非公式の場で会った。西側は西側だ。しかし、人は働くものだ。

独立したウクライナ自身の内部で、状況を発展させなければならない。彼がウクライナを率いた後、状況は悪化し、ついにヴィクトル・ヤヌコヴィッチが政権を握った。

 

 もしかしたら、彼は最高の大統領や政治家ではなかったかもしれない--私は知らないし、判断を下したくない--が、EUとの結びつきという問題が生じた。然し、私たちは常に『お願いします』という言葉に忠実だった。というのも、ウクライナとは自由貿易圏を結んでおり、国境は開放されている。

 

私たちは、『いいえ、それではうまく行かない!。その後、ウクライナとの国境、関税の国境を閉鎖する』と言った。… ヤヌコービッチはウクライナがどれだけ得て、どれだけ失うかを計算し始め、ヨーロッパの相手国に『署名する前にもう一度考えなければならない』と宣言した。 

 彼がこれを発言するとすぐに、西側諸国の支援を受けて反政府派の間で破壊的な行動が始まり、すべてはマイダンとウクライナのクーデターにまで及んだ。

 

T. カールソン: 

つまり、彼は欧州連合やウクライナよりもロシアとの貿易のほうが多かったということですね?

 

V. プーチン:

勿論!、それは貿易量の問題だけではなく、それ以上です。

 重要なのは、ウクライナ経済全体の基盤となる協力関係だ。

 企業間の協力関係はソビエト連邦の時代から非常に緊密でだった。 

そこでは、ある企業がロシアとウクライナの両方で最終組み立て用の部品を生産し、またその逆も同様で、非常に密接な関係が成立していたのです。

 彼らはクーデターを実行したが、今でもは詳しく説明していないが、… 私たちは米国人が間違っていると思いますが、それでもこう言われました〚あなたがそこでヤヌコビッチを落ち着かせれば、私たちは反対派を落ち着かせます。全てを政治的解決の道に沿って進めましょう〛、… 私たちは〚分かった、同意する、そのようにしましょう〛と言った。 米国人が私たちに求めたように、ヤヌコーヴィチは軍隊も警察も利用しなかった。 そしてそれにつけ込んでキエフの反政府武装勢力がクーデターを実行した。何故なのか? それにしてもあなたは誰ですか? - 当時の米国の指導者に聞きたかったのです。

 

T. カールソン:

           誰の支援がありましたか?

 

V. プーチン: 

勿論‼、CIA の支援があってです。 

あなたが一度は働きたいと思っていた組織です。

 おそらく、彼らがあなたを連れて行かなかったのは神に感謝しているかも知れません。 これは深刻な組織ですが、私が第一総局で働いていたという意味での私の元同僚たちはソ連の諜報機関であることを理解している。 彼らは常に我々の敵だった。 仕事は仕事の一部だったのでしょう。

 技術的には、彼らはすべてを正しく行い、望んだことを達成した。

しかし、政治的な観点から見れば、これはとんでもない間違いだ。

勿論、政治的指導者はきちんと仕事をしなかった。

政治指導者たちは、このことが何を齎すかかを見抜くべきだった。

 

 こうして、2008 年にウクライナの NATO への扉が開かれた。

 2014年に彼らはクーデターを実行したが、… そのクーデターを認めなかった人々に迫害が始まり、クリミアへの脅威を生み出した。

クリミヤや迫害を受けている地域は私たちの保護下にあったので、…何らかの対策を講じなかればなかったのです。

 彼らは2014年にドンバスで民間人に対して航空機と大砲を使用し戦争を開始した。 結局の処、ここからすべてが始まったのです。 

飛行機が上空からドネツクを攻撃するビデオ記録がある。

 彼らはある大規模な軍事作戦を実行しましたが、別の作戦は失敗しました。彼らはまだ準備中です。 そして依然として、この地域の軍事行動はNATOへの扉の開放を背景にしています。

 

まあ、起きていることに懸念を示さない訳にはいかないだろう。

私たちの側からすれば、それは(懸念を示さな事)犯罪的な不注意である。

 ただ、国家の政治的指導者が、ロシアそのものを破壊する事になる為、私たちがもはや越えることのできない一線まで私たちを追い詰めただけなのだ。そして、同胞やロシア国民の一部を、この軍事機構の下に放り込むことはできなかった。

 

今日はこれまで!〜、

     #3)に続きます!・・・

 

引用元:

■【Interview of Vladimir Putin with journalist Tucker Carlson. Transcript and video】:

 

https://rg.ru/2024/02/09/stenogramma-interviu-vladimira-putina-zhurnalistu-takeru-karlsonu.html