斐太(飛騨)の神社-三枝神社 高山市下切町 1


三枝神社

鎮座地  高山市下切町2326
白幣社 (旧社格 村社)

1.祭神
  宇迦御魂神
  須佐之男命
  大市比売命
  伊須流支比古神
  天照皇大神
  境内社 秋葉神社
  
2.由緒
 創建年代は不詳。『日本紀』・「飛騨国沿革史」・「行心塚里説」等によれば、
持統天皇朱鳥元年(西暦686)10月、新羅の沙門行心の奉斎したものと言われ
ている。

 行心は大津皇子の謀反にくみし、死一等を許されて、飛騨の伽藍に移された。
これは国分寺建立前数十年のことである。(『国府町の文化財』)

 行心は学才ともに優れた僧で、天皇は「朕不忍加法」と仰せられたほどであったが、
憂き配所の月を眺めながらも、大陸の文化を将来し、飛騨のためにも尽くしたことで
あろう。『斐太後風土記』に伽藍(四十九院)は、下切に「伽藍跡]と言う名が残って
いるので、四十九院はその伽藍の塔頭か子院であったろうと言われている。

 後花園天皇の長禄年間、及び後土御門天皇の長享年間に、社殿を改築した。(棟札)
 
 元禄七年戸田釆女正検地の際、境内除地3反歩を賜わった。

 東山天皇の御代、社頭を造立し、石動神社を合併合祀した。(棟札)

後桃園天皇の安永3年本殿を改築し(棟札)、仁孝天皇の天保3年、同じく社殿を改築
した。(棟札)

 天保13年8月、宮野において例年の通り、両宮祭執行の古文書によると、往昔
「がらんげ(伽藍跡)」の行心坊が、神明宮を内宮とし、稲荷社を外宮とし、あたかも
これを伊勢の内宮・外宮になぞらえて奉斎したものだろうという。現在両宮とも本社
に合祀している。

 明治43年9月21目、幣帛料供進指定を受け、官制廃止後は神社本庁に所属し、
岐阜県神社庁より白幣社の指定を受け、現在に至る。

3.祭祀
  例祭日 9月6日
  祈年祭 3月上旬
  新嘗祭 11月下旬
     



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