我々はこのように具体的に伝えることを、これまで控えてきました。

それは修練というのは、それぞれが行うべき道であり、その道を探求して錬功を行うことが、修練の働きでもあるからです。

しかし時代は、終末の世を迎えています。

長い期間を許されない、修練をする十分な長い期間が設けられない時期にきていますから、短い期間の中で己が欲を抑えて、それに対して挑んで向かって行けるかを、我々は見ていくことにしています。

短い期間の中でも、どこまで自分を高められるか、そういう修練のあり方を我々は求めるからです。