◇あらすじ◇

とある地方都市。中学1年生で不良グループのリーダーだった市川絆星は、同級生の倉持樹を日常的にいじめていた。いじめはエスカレートしていき、絆星は樹を殺してしまう。警察に犯行を自供するする絆星だったが、息子の無罪を信じる母親の真理の説得によって否認へと転じる。そして少年審判は無罪に相当する「不処分」を決定する。絆星は自由を手にするが、決定に対し世間から激しいバッシングが巻き起こる。そんな中、樹の家族は民事訴訟により、絆星ら不良グループの罪を問う事を決定する。

 

 

◇感想◇

「先生を流産させる会」や近年は「ミスミソウ」などで、少年少女の鬱屈を描く事が多い内藤瑛亮監督の最新作を約2ヶ月ぶりに映画館で観てきました。

 

東京で映画館での上映が許されて初日という事もあって、マスコミの方とかもいました。

入場時に検温された位で、マスクやアルコール消毒などは強制ではなかったみたいでした。

席はニュースなどで報道された通り、前後左右が1席ずつ間隔を空けるように座席指定されていました。

この作品は夜の1回のみの上映だったため、周囲ではシートをスプレーで除菌している方もいました。

 

上映前に予定されていませんでしたが、内藤監督がマスク姿で登場し、少しだけ舞台挨拶がありました。

5月公開予定だった本作が、自主映画の性質上、宣伝などで時間をかける事なく上映できた事。試写会などが行われずに、今日がワールドプレミアである事や、本作への想いが短い時間ながら語られました。

 

 

そう、今作は長編デビュー作「先生を流産させる会」以来の自主映画という事。

 

自主映画とは、配役や表現において制約を受けずに、全てにおいて自由にやりたい事が表現できる作品の事です。

 

 

観終わった感想としては、加害者側から描く事で少年犯罪について考え方が変わってしまう。です。

 

少年による殺人事件が報道された時、加害者の少年が罰せられないと知ると、何となく疑問が残る印象でした。

しかし、観終わった後では捜査や裁判での事実確認の甘さから、本人の罪の意識の不確かさに繋がっていて、その後異常な程の社会的な制裁を受ける事になる過程が描かれると、罰するよりも加害者の少年に事件と向き合う時間を作る事がいかに大事かが分かりました。

 

パンフレットによると、今作は、特定の事件に基づく作品ではなくフィクションですが、過去に起きた少年のいじめによる殺人事件を充分にリサーチした上で、各シーンが過去の事件をなぞるかの様に構成されていて、物語のリアリティを感じる一因になっていると感じました。

 

 

さらに特筆すべきは、子どもたちの演技です。

特に映画後半にある、すでにいじめが起きているクラスでの、いじめについてのディスカッションのシーンにて、もちろんセリフなんでしょうが、いじめを傍観している子たちは、真剣にいじめの原因について話し合っているものの、いじめをしている子たちは、いじめられる側にも責任があるという発言が起こる。

 

このシーンがドキュメンタリーの様なテイストで描かれているのもありますが、それそれの立場を踏まえた発言が、いじめに対する問題意識の高さを感じさせるシーンでもありました。

 

 

こちらも、パンフレットによると、出演希望者によるワークショップによって、いじめや少年犯罪の資料を読んだり、いじめの加害者や被害者を演じる事で、生きた芝居に繋がっている事がわかり、理解が深まりました。

 

そして、出演している子どもたちが皆中学生である事も、物語の説得力に大きく起因しています。

 

物語の設定に近い年齢の子たちが演じているだけでも、フィクションの嘘が1つリアルに近づく事を意味し、配役に制限のない自主映画だから実現した、貴重な空気感だったとも言えます。

 

 

最後に、こうして記事にしてみると、オリジナルのフィクションとして、大変面白い作品でした。

 

一般の商業映画に感じていた不満が一気に解消されて、理想的な自主映画の表現でした。

 

 

まだ、映画館に行く事を躊躇されている方も多いと思います。

 

殺害シーンも逃げずに正面から描かれるため、観る人を選びますが、自主映画を見た事ない方にとっては新鮮な映画体験なるはずです。

 

 

 

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