連れて行かれた場所は職員室の角を右に曲がってすぐの「研修室」と書かれたプレートを取り付けてある3室の前だった。

「ここは新任教師の指導や教科ごとの会議などに使用されているの。あなたもしばらくはしょっちゅうここにくることになるわ」

 ドアノブに引っ掛けてある何もかかれていないプレートを裏返し「使用中」にして入るようで、奥と真ん中のドアは既に「使用中」であった。俺がぼやぼやしていた時間はどれくらいだったのだろう。

「さ、入って。午前中私と打合せしたら、午後は教科主任と打合せだからね」

 3室は簡単に移動できる間仕切りで仕切られていて、人数に応じて1室にも変更できる作りになっていた。

 薄い壁の隣からは、俺と同じく新米の女の子の声とベテランと思われる年配の男の声が、何と言っているのかまでは分からない程度に耳に入る。

 白い折りたたみ式の長机を2台くっつけて向かい合わせに座った。

「今年は新人が3人いるから良かったわね、一人の時は何かと大変だから」

 昨日教師だけの入校式があった。新任の自己紹介は俺意外に2人いて、一人は「山野」という背が低く、かわいい感じの女の子で、もう一人は「川田」だったか、「川下」だったか…よく覚えていないが男だった。野郎は一度では覚えられん。

「朝田先生の時はお一人だっだんですか?」

 彼女は自分のことを聞かれるとは思っていなかったのか一瞬目を丸くして、でもすぐに穏やかな笑みに変えた。

「私?私のときは2人だったわ。もう一人も女性でずっと仲良くしてきたけれど、今は結婚してもうここにはいないのよ」

 結婚という言葉を朝田女史から聞いて、思わず彼女の左手を見てしまった。どの指にも何も無い。右も。

 指導係りになるくらいだから、俺よりずっと年上の微妙な年齢なんだろうなぁとか考えたりしてしまう。
 俺がよけいなことを考えていることなんて、彼女にはまったく関係ないように、手に持っていたファイルをドンと机に置いて広げると、ニヤリと笑った。

「入学式まで6日、新学期が始まるまであと1週間よ。それまでに『先生』に慣れてね」

 行きたくて行けなかった所に、こんな形で行けるようになるとは妙な気持ちだな。いや妙というより複雑と言った方がいいかもしれない。

 俺がここに行けてたら、どういう自分になっていただろうかと昔はよく考えていたっけな。

 いつも外側だけ眺めてた建物の中に「関係者」という立場で内側に入ることができたが、今では俺が成りたかった立場とは天と地ほどの差がある。


「…先生、倉塚先生!」

 背後から突き刺さるような声で叫ばれて、やっと俺のことだと気付いて慌てて振返った。

 先程、俺の指導係ということで紹介された、朝田早智子と名乗っていた先生殿が「何やってるのよっ?!」と言いたげに俺を見上げていた。

「ハイ。失礼しました。私のことでしたね、申し訳ない」

 手を合わせ合掌状態で深く頭を下げると、ちょっと苛立っていたような相手の気が和らいでくれたようで、アハハと後頭部から笑い声がした。

「拝んだって何も出ないわよ。緊張してるのかな?」

 第一印象が「クソ真面目そうだ」と思ってしまった先輩先生殿は、割と冗談の解ってくれる人かもしれない。

「すみません。先生なんて呼ばれることに違和感がありまして、自分が呼ばれてる感覚が無かったんです」

 思わず正直に言ってしまったが、自覚が足りないと思いっきり宣言してるようなもんだよな。

 朝田先生の表情を見るのが怖かったが、目を細めながらゆっくり頭を上げると、意外に彼女は笑顔だった。

「そうよね。少し前まで学生だったものね。何の経験も積んでいないのに、『先生』と呼ばれて喜んでいる新人より、謙虚さがあって私は好きだわ」

「いや、いかんでしょう。自覚という問題で」

 そのまま黙っていればいいものを、言い返してしまった。馬鹿だ。

「ああいえばこういうタイプね君は。さ、時間がもったいないわ、行きましょう」

 ヒネくれた俺の発言にも楽しんでいるかのように笑顔を崩すことなく、背を向けて歩き出した。