前回は「SEXと恋愛は別」、という話で書きました。

今回は、近年ドラマでもよく扱われる、仮面夫婦や偽装結婚といった、結婚の本質に迫ってみたいと思います。

さて、前回の結論としては、「恋愛とSEXを別と考えることが、むしろカップル双方が健全に付き合える」という持論を展開しました。

でも、これまたよく聞く話に、「恋愛と結婚は別。結婚は妥協だ。」という論があります。
そして、往々にしてこういう話をするのは熟年夫婦に多い。

ではまず、何故多くの夫婦がこのような結論に至ってしまうのかを考えてみましょう。

熟年夫婦に限らず、結婚を考え始める年齢、特に大学生後半から社会人5年目くらいがピークでしょうが、より計画的(悪く言えば打算的?)になってくるのは女性のほうが多いです。

この頃になると、女性の多くは付き合う相手の年収や職業、育ちや価値観、経済観念や、なんなら教育方針まで品定めを始めます。
たいていの場合、子供を持ちたいという願望を感じ始めてからこのような思考になるのではないかと、勝手ながら憶測していますが、こうなると「トキメキが…」とか、「イケメンじゃなきゃ…」なんて現を抜かしたこと言ってられません。

ましてや、最近の女性は高学歴はおろか、高成績で高収入な人もごろごろいます。
そうなると交際相手に求める知能指数の水準も上がってきてしまいますから、「尊敬できない相手とはそもそも付き合ってられない」とか、「自分より年収の低い男とは結婚できない」なんて声も上がってしまうのです。

しかし、こういう発想は非常に合理的です。

皆さんもご存知だと思いますがが、恋愛で「付き合ってると金かかるよな~」なんて言ってた時と比じゃないくらいの膨大なお金が結婚の後にはかかってくるんですね。

そうなると、まず金銭的な安定感の無い男は初期段階ではじかれます。
次に、生活観、経済観念が合わない男もアウトでしょう。
そしてようやく性格や志向のすり合わせに入り、「この人とは一緒にいられる」と、最低条件をクリアします。

ですが決定打になるのは、「こいつとの子供を産みたいか」でしょう。
この基準は総合評価になるので、単一の基準ではないでしょうが、多くの女性は「子供が欲しい」というのが結婚の原動力になっているように伺えます。
したがって、この最終審査がクリアされなくては結婚はほぼ無いのではないでしょうか。

とはいえ、多くの夫婦が結果的に結婚し、子供を持っているという事実が多く存在していますので、一旦は「結婚基準論」を脇に置き、「結婚生活」に話を持っていきたいと思います。

このようにして、晴れて結婚した夫婦ですが、始めは新婚生活に胸膨らまし、わくわくドキドキ過ごすのでしょう。
これまでの典型的な日本の家庭なら、「愛する夫の為にがんばってお料理します」とか、「愛する妻の為にがんばってお仕事します」といった具合だろうか。(でも意外と現代の若者世代にも、こういう家庭像を抱いている人は多くいます。)

とことろが、結婚生活はまさしく熱した鉄です。

結婚式がピークで、その後は冷めていく一方だそうな。

やはりトキメキと安心感はトレードオフなのでしょうか?

こうなってくると、夫婦は互いが「私/僕にとってのあなた」ではなく、徐々に「妻/夫にとっての夫/妻」という、社会的な関係性で自分も相手も捉え始めます。

これが良く現れているのが、子供が生まれると夫婦は急に自分を、「パパはね」とか、「ママはね」というようになり、そして互いも「ねぇ、ママぁ」とか「ねぇ、パパぁ」と呼び合うようになる現象です。

それが深化していくと、果ては思考までこうなります。

今の時代だと、特に団塊の世代あたりはそうでしょう。

「父親は働いて金を家に入れ、母親は家にいて家庭と子守をするべきだ」
日本に限らず、世界でも、このような家庭の役割分担がなされてきました。

さて、こうなってしまうと、もはや結婚って、愛とか関係ないようにも思えてきますよね?

でも、理想的な状態って、「本当に愛してる相手と、ずっと愛し続けあって、生活も不自由ない」っていう状態ですよね。

ここで考える必要があるのは、「愛するって何?」ということと、「結婚って何?」ということでしょう。

まず、愛するということは、少なくとも「好意を強く表すこと」ではないと思います。
「大好きだよ」とは言いやすくても、「愛してるよ」とはなかなか言えないという感覚からしても、別物な感じはしそうですよね。

愛することとは、持論ですが、「相手のすべてを受け入れ、それらを嫌わないこと」だと思います。

人は皆、感情を持っていますし、個性というものも持っています。
感情が怒りや嫌悪になると、けんかが起きます。
個性の違いが相互理解を邪魔します。
夫婦や恋人といえど、これは同じです。

でも、なぜ夫婦が何十年も一緒にいられるか、といえば、その理由は二つ。
ひとつは、互いが互いを「愛している」から。
そしてもう一つは、「結婚している」から。

前者の結びつきは精神的なものですし、後者のほうは社会的なものです。

「結婚している」から一緒にいる、というのは、社会がそうあるべきだとしている通念が大きく影響しています。
というのは、離婚することがタブーであるとされている場合、結婚をしたら別れられないという社会的圧力がそうさせているためです。
近年は、芸能人の離婚騒動に始まり、離婚が一般的なものとなりましたが、一昔前は離婚をすると周囲からだいぶ非難されたそうです。

しかし、最近はその辺がルーズになりましたから、特に離婚しても変な風には見られません。
そのせいもあってか、離婚件数は圧倒的に増えています。

となると、女性も高収入や高学歴を身につけ、子供が生まれさえすれば特に結婚している必要は無いこのご時勢で、結婚って何の意味があるんでしょう?
自立した異性/同姓が、同じ屋根の下で暮らし、子供を作るならつくり、家庭を築くのに、結婚って必要なんでしょうか?
社会的圧力によって離婚の確立を減らせるというシステムも、機能しなくなってきていますし。

そう考えると、僕は結婚なんて制度自体、いらないんじゃないかって思います。

結婚をすると、相手の家族も巻き込んで嫁姑騒動に発展したり、遺産相続問題に発展したり、面倒なことが増えます。
それに結婚してたって、離婚がこれほど自由になった社会では、結婚そのものがそれほど社会的身分として安定的なものなのかは疑わしいですし。

となると、一番健全な状態って、事実婚なんじゃないでしょうか?
そして、事実婚こそ、二者の内面から湧く、「この人と一緒にいたい」という感情に正直な、人としての健全なあり方なんじゃないでしょうか?

結婚という制度は、人の心という不安定なものを安定化させる仕組みだったのでしょうが、人の心を社会が束縛していることが常識の世の中って、なんか変じゃないでしょうか。