一昨日は本当に11年前を思い出すような

 

     大きな地震でさすがに眠れませんでした。

 

 

      今回の地震ではご心配をお掛け致しましたが

 

           実家も何事も無く済みました。

 

 

  同じ川崎市内も停電等が有ったようですが

 

     我が家は最初の揺れだけで収まりました。

 

 

           みなさまにはご心配をお掛けして

 

         大変申し訳ありませんでした。

  

 

11年前の時は当店が有る栃木・烏山も酷いもので

 

      当店・本館も半壊状態となり

 

    それを期に結婚式場を辞めたほどです。

 

 

     その後の余震も相当続きました。

 

 

 

 

      

 

 

 

 

       更にみなさんが一番困ったのが”停電”です。

 

   地震当日の停電もすぐに復旧するかと想えば

 

        1日半以上続きました。

 

   また、あの年の3月はとても寒かったです。

 

                急ぎ、灯油ストーブを出しました。

 

    更には計画停電が3カ月ほど続きました。

 

   飲食店の当店は冷蔵庫が止まってしまうので

 

        これが一番困りました。

   

   当店は式場の関係上、”ろうそく”が沢山

 

      有りましたので助かりましたが

 

    近所のお店は”ろうそく”が売り切れで

 

        大変だったようです。

 

  また、”地震保険”は値段が高いですが”水害”等と

 

       同じで”自然災害”については

 

      火災保険のような金額はおりません。

 

      特に建物が”半壊状態”だと余計です。

 

   いっそのこと全壊してくれた方が保険料が

  

     それなりに出るくらいで当時はとても

 

   保険で直せるような被害では有りませんでした。

 

  

   そこに“福島原発の風評被害”も酷いものでした。

      

    これで”ヤナ場”の売り上げは半減致しました。

 

 

 また、同じことが起こったのかと思うとゾッとしました。

      

    自然災害とはいつ起こるか解らないものです。

 

            

        誰にも予測はつきません。

    

 

     被害に遭われたみなさま

 

        こころよりお見舞い申し上げます。

 

 

 また、復興に時間が掛かると思いますが頑張ってください。

 

 

       今日は春のお彼岸の入りです。

 

  私のブル漬け人生?を振り返りたいと思います。

 

   早いもので20年以上にはなるでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

           栃木・烏山の家に自分で造った表札です。

 

   初代ブルを飼った時初めて座敷犬を知りました。

 

 

      私が子供の頃は外飼いが

 

         当たり前だっように思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

    初めて迎えた初代・ドスは

 

       まるで”ぬいぐるみ”のようでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

     車が大好きで”お客様用”の送迎バスにも

 

   運転手と一諸に乗って”お迎え”に行っていました。

 

 

     変な”ガイド”さんにお客様もビックリ!

 

 

 

         

 

 

 

         

     1年後、次に迎えた2代目・パル。

 

 

  お顔のガラが目が離れているように見えた為

 

     ついたあだ名が”研ナオコ”だったパルです。

 

    大人になっては一番可愛いお顔でしたが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドスと2代目・パルに初めて着せたお祭り用ハッピ。

 

    これを着て”山あげ祭り”に行きました。

 

 

    当時はブル服など知らなく

 

       大人用・ハッピをリメイクしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 山あげ祭りは毎年”7月第4、金・土・日”3日間です。

 

 

     昨年はコロナ渦の中で無観客でしたが

 

          今年は普通に出来ると良いです。

 

 

 

 

  

 

 

      ドス・パルの”ばあや”の好江。

 

 

 

 

     

 

 

 

     私が仕事中はいつも2人の

 

          面倒を看てくれていました。

 

       今も90歳近いですが元気です。

 

 

 

 

 

 

 

 

  我が家に来た新人、ドスの孫、パルの甥にあたる

 

     こちらが3代目、ウナ爺の1歳の頃。

 

 

  ベビー・ベッドを”改良”して主人が造った

 

   100キロ対応のベッドに3人で寝ていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  パルはとても器用な子供で”ヤナ”に上がって来る

 

     ”鮎”を咥えて持ってきてくれます。

 

 

   これ、他の子供はみな出来ませんでした。

 

 

   ウナの祖父がドスで、その息子・陸君。

 

       母はパルの姉・パンチちゃんです。

 

 

 

 

 

       

 

 

 

 

  陸君は一人息子の為、大森お母さんが残しました。

 

 

 その後、ドス・パルは9歳直前にて1年おきにお空組。

 

     ウナは陸君の一人息子で4人兄妹です。

 

 

 

 

 

 

 

 

   3代目・ウナ爺は2人と年が離れてしまい

 

       最後は一人っ子になり

 

      ちょうどブルが居なかった為

 

        当時3歳のヒーを迎えました。

 

 

      それもつかの間で大家族に変身❓

 

 

   理由はドスの実家・大森お母さん突然の旅立ち。

 

 

  次は2人の男の子を予約しておりました。

 

      願い叶わずウナ爺は一人残されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

   その時我が家に来たのが初めての

 

    女の子ブブ・9歳とムクちゃん・4歳です。

 

 

      ムクちゃんはウナ爺の双子の妹です。

 

     毎日私と4人は会社に出勤していました。

 

 

   半年間のホーム・ステー後にムクちゃんは

 

        勝村ママのもとに帰っていきました。

 

 

   れにも理由が有りまして急に生活が変わる

 

    9歳・ブブが心配で我が家に慣れるまでと

 

      ムクちゃんを一諸にしていました。

 

 

    我が家に残ったのはブブ女王様・9歳。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    これを期に”モモ家”が初めて開いてくれた

 

         当店での”ブルオフ会”。

 

 

     実はウナ爺の姪と甥のモモ・力家は

 

       お母さん旅立ちのほんの1か月前に

 

       お母さんの紹介で初めて会いました。

 

 

    当時、突然にお母さんが2人を

 

         お店に連れて来たのです。

    

 

  何とも不思議なご縁を残してくれたお母さんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ”ブブ”と”はなまる家のしゅう”ちゃんの

 

 お誕生日会も同時にやり30人ほど集まりました。

 

 

  これを期に”ブログ”と言うものを知りましたが

 

    初めはブログはブル・ブログだけ?と

 

     想っていたほどの機械オンチの私です。

 

 

    更に50歳の手習いでそれを見るために

 

       パソコン教室に行きました。

 

 

 

 

 

 

    

 

 

  更にはファミリーにて”カヌー体験”もしました。

 

  (モモ・力家とウナ爺ファンのお姉さんが参加)

 

 

    ひのきや・ホームページにその様子が

 

     ”ユウチューブ”にて張り付けてあります。

 

 

     友人が当時”ドローン”を飛ばして

 

          撮影してくださいました。

 

 

  この中の一人がのちの”きんかん・ママ”さんです。

 

 

 

 

 

 

 

    

      こちらが”きんかん”ちゃんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

  勝村ママの”秘蔵っ子”に惚れ込んでしまったママ。

 

     まさかの事に私も”ビックり”でした。

 

 

  2人でナマを連れてママ宅に遊びに行った時に

  

       運命の出会いになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

  結果、ママにお願いして”きんかん”ちゃんを

 

            譲って頂く事になりました。

 

 

    出会いとは常にいつ・どこで

 

        起こるか解らいものですね。

 

 

 

 

 

 

       

 

  そして初めての年上女性の”虜”になったウナ爺。

   

 

 

 

 

 

 

 

     ウナ爺の”初恋”だったのでしょう。

 

       それまでは我が家”男一家”でしたので。

 

  そのブブ様も12歳半にてお空組になりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   当時のウナ爺のショックは相当なものでした。

 

 

 

 

 

 


  

    ブブ旅立ち後初めて見れたウナ爺の笑顔。

 

      当時ウナ爺”8歳”になりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

  その年の冬、6年前から川崎生活が始まりました。

 

   お父様の指定席を盗ってしまい動かないウナ爺。

 

      お歳と共に頑固者になりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

   名古屋、”らっぱる・パパ”主催の東海オフ会。

 

 

 

 

 

 

 

 

  私は一人・新幹線にて力ママ(名古屋在住)に

 

      会いならがこのオフ会に2回行きました。

 

 

 

 

 

 

   

 

     そこで合流したのが都内在住のモモ家。

 

 

  それまではこの全国で開かれていた

 

   ”ブル・オフ会”と言うものも知りませんでした。     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 3回目、最初で最後、子供達と参加した東海オフ会。

 

 

   毎年2月に行われていましたが、この年は

 

         一番寒かったのを覚えております。

 

 

     ここでも沢山の出会いが有りました。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

   その1年後、”ブルピン・パパ”が開いてくれた

 

      ”メチャ運動会”にも力ママと参加しました。

 

 

 

 

 

              

 

 

 

   ブルピン家とのご縁は5年前・夏に名古屋から

 

     ご家族で当店に遊びに来てくれた日からです。

 

 

    この時、パパは”キャンピング・カー”で

 

        大家族を連れて来てくれました。

 

 

        家の中、ブルだらけ・・

 

 

    名古屋には何かと”ご縁”のある我が家です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   そのご縁で”力君旅立ち”の時、お見舞いも兼ね

 

     私と力・ママの2人で力君・ボードを持って

 

         運動会に参加致しました。

 

 

  この時も100人程度のブル友さんが集まりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時に力ママも力君を連れて何度も栃木・我が家に

 

   車で7時間をかけて遊びに来てくださっています。

 

 

  その時はモモ家も誘って”ファミリー会”でしたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ”リムジン・カート”を紹介してくださったのも

 

         名古屋の美人姉妹のママさんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     今は”3人目の娘さん”も迎えました。

 

         羨ましい限りです。

     

 

 

 

 

 

 

 

   ウナ爺”10歳”の記念に勝村ママにご挨拶。

 

    ママが抱えているクッションの写真は

 

        ウナ爺の父・陸君。

 

 

   我が家、初めての雄・ブル10歳越えでした。

 

 

     

 

 

 

 

 

 

   私とウナ爺”11歳”の時の七夕の願い事で

 

      2人で記念写真を撮りました。

 

 

    家族の健康とウナ爺の長寿を願いました。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

  等身大・ボードは”ぶる・バカ“さんの作品です。

 

       家族全員分を作りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ウナ爺最後となった大森・お母さんのお墓参り。

 

         3年前の5月です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   同時期、ファミリーのモモちゃん・9歳

 

          ウナ爺の姪が旅立ちました。

 

 

 

 

 

 

 

 

      モモちゃんと言えばタイガース。

 

 

   実はモモ父さんがタイガース・ファンの為

 

      ユニホームと帽子をプレゼントしました。

 

 

   私の弟の友人がタイガースに居たため本物です。

 

 

 

 

 

 

 

 

    ヒーに続き1年後12歳直前で

 

         旅立ってしまったウナ爺。

 

 

       その時ナマにはとても寂しい

 

           想いをさせてしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

      ナマと90歳・母の記念写真。

 

     ナマは一番の”おばあちゃん子”でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2年前11月22日、当店50周年と”復興祭”に

 

      合わせて開いてくれた”勝村ファミリー会”。

 

 

   これは3年前の水害後、当店を応援して

 

    くださった皆様へのお礼の意味も有りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     他にもこの祭に集まってくれた皆様

 

          本当にありがとうございました。

 

 

      これも私の生涯の思い出の一つです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   遠く三重・愛知・新潟;福島・関東一圓から

 

          集まってくださったブル友さん達。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    同時に私の”ひのきや”引退式も兼ねました。

     

 

    但し、この後のシーズン2年はコロナ渦や

 

        母の件が有り栃木中心の生活でした。

 

 

    

 

        

 

 

 

 

         復興祭、前日のナマ。

 

 

   都内から遊びに来てくださった主人の友人家族と

 

      こんなに元気そうにしていたナマ。

 

 

   その翌日、復興祭当日・朝から調子が悪そうなので

 

      主人が朝一番で病院に連れて行きました。

 

 

  その時はすでに肝臓の数値が異常に高いものでした。

 

    それでも薬を頂き治るものと思っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

    復興祭・当日もナマらしくみんなにご挨拶。

  

 

 

 

 

 

 

 

   当時、2カ月半の”うなぎ”は勝村ママが

 

        このオフ会に連れて来てくれました。

 

 

  我が家は訳あって3か月でお迎えする予定でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

   

    復興祭に来ていた”うなぎ”とナマもご挨拶。

 

 

    この時のナマはうなぎが弟になるとは

 

            思っていなかったでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 5日間の病院通いの日にも”うなぎ”の所へ寄りました。

 

     当時は勝村ママ宅が”那須町”でしたので。

 

 

 

 

     

 

 

 

 

 そしてこの日”11月28日”・ナマの病院の帰り道に

 

      うなぎを我が家に連れてきました。

 

 

  この日、獣医先生に何とも薬・点滴等が効かず

 

 ”危ないかも”と言われ急遽うなぎを連れに寄りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  それでも烏山に着いた2人・ナマは最後まで

 

        私達に元気な姿を見せてくれました。

 

 

 この姿を見た時は私はナマは”大丈夫”と思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ナマが余りに寂しがるので最後の決断で

 

    うなぎ(ウナ爺の孫)を迎えましたが・・・

    

   この晩、静かにナマは永遠の眠りにつきました。

 

 

   ナマ、君は最後まで本当に気丈に私達に

 

    心配を掛けないように振舞ってくれましたね。

 

 

         本当にありがとう、ナマ。

 

 

    病院通いの5日間も自分の足でちゃんと歩き

 

        私の手を煩わせなかったナマ。

 

 

     今でも君には後悔ばかりが残っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

   ”4歳”を迎えられなかったナマのお誕生日。

 

 

 

 

 

 

 

 

   ナマを追いかけるように昨年3月旅だった母。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      こんなに小さかった、うなぎ。

 

     今は”立派”な?男の子に育ちました。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

     振り返れば20年以上が過ぎています。

 

         当店前の四季です。

 

 

 

 

 

 

 

 

      6月お店が始まる頃の新緑。

 

    私は紅葉よりもこの新緑が好きです。

 

 

     始まりの時、とでもいうのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      夏、2人はクールネック使用。

 

 

 

 

 

 

 

   

        秋、紅葉が始まる頃。

 

 

 

 

 

 

 

 

  当店入口のシンボル、ゴールド・狸と布袋さん。

 

 

        紅葉が紅く染まった頃。

 

 

 

 

 

 

 

 

     1年の終わりの雪景色。

 

          時間とは時に残酷です。

 

 

 それでも今・今日を精いっぱい生き抜かなければと

 

        改めて想っている毎日です。

 

 

   みなさま、今後とも宜しくお願い致します。