こんにちは。

 

桧家住宅所沢西展示j表(住宅展示場)事務員です。

 

今日は コミュニケーションブリッジをご紹介いたします。

 

 

昔 昔の話から入ります。

 

 

私が小学生だったころ(おてんばで男の子みたいでしたよ)

色白のおしゃれでかわいい女の子が

都会からこちらに転校してきました。

 

その女の子がお家に私を招いてくれたのです。

 

その子のお部屋は2階にあったので

階段を上ると・・・

 

なんということでしょう!

階段の途中に小さなお部屋が!!

中2階というものですよね。

 

んもう

素敵~おねがいキラキラ

と、感動してしまいました・・・。

(余談ですが

今思い出すと その子のお家の

おトイレは流すと泡が出ましたっけ。

それにも驚いた私でした。)

 

やっぱ都会から来た人間は違うわぁ~

と子供ながらに思いましたよ((笑)

 

その時の感動がいまだに忘れられなかった私は

こちらの桧家住宅の展示場に働くようになって

コミュニケーションブリッジを見たときに

 

「そう!こういうのよ!!こんな感じ!!」と嬉しくなってしまいました。

(さすがに昔見たものとは全然違うと言えば違うのですが、階段の途中と言うだけでもう憧れの域ラブ

 

みなさんにも当社のコミュニケーションブリッジを

ご紹介いたしますね。

 

旧所沢西展示場のコミュニケーションブリッジ

 

下矢印

 

どうしてコミュニケーションブリッジというかと申しますと

 

 

船でいえばブリッジ(艦橋)のように家全体を見渡せる場所であり

家族のコミュニケーションの橋渡し場所だからです。

 

インターネットを楽しむ場所にしてもいいですし

家計簿をつける場所にしてもいいですよね。

色々と活用できますが

その存在だけでも素敵で 自慢のお家になると思う私ですウインク

 

 

下矢印カタログの中のコミュニケーションブリッジ

 

 

 下矢印畳ダイニングとコミュニケーションブリッジが写ってます。

 

羨ましいです、

コミュニケーションブリッジのあるお家。

きっと一味違ったお家になることでしょう!

 

 

ハート本日もご覧くださりありがとうございました。

 

 

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下矢印事務員の調べもの
 
1938年のこの日に詩人の高村光太郎の妻・智恵子が亡くなり
亡くなる数時間前にレモンをかじる姿をうたった、
「そんなにもあなたはレモンを待っていた・・・私の手からとつた一つのレモンをあなたのきれいな歯ががりりと噛んだ」

という「智恵子抄」の「レモン哀歌」にちなんでいるそうです。

 

レモンの日だというので

かわいい日かと思っていましたが

哀しい日なのですね・・・・えーん