3月は、別れの季節。


娘と同い年のお友達が、この春から別の県へ引っ越すことになりました。




健診のときに知り合って、園も違うし、遊ぶ機会が多かったわけでもないけれど、とても気の合うお友達でした。


明るくて、優しくて、どんな遊びも喜んで一緒にやってくれて。


さらには、上ふたりの間に息子が割り込んでも、怒ったり嫌がったりしないで、仲間に入れてくれるんですおねがい

(一緒に遊んだり、そばにいさせてくれたり、娘と息子それぞれにお菓子を選んで持ってきてくれたり。)


今でこそ、息子は簡単なことなら言葉での指示が通るし、「順番」「人のものは取らない」「おもちゃは共有する(貸してあげる)」などのルールも理解できていますが…


そういうのが全くなくて無茶苦茶だった頃から、息子の行いを許してくれる、寛大な子でしたえーん

(普通は嫌がりますあせる可愛げがあるなら別ですが、ないですし真顔近づけば誰とでもトラブルになる時期がありましたハートブレイク


だから、娘にとってはもちろん、息子にとっても私にとっても、貴重な大事なお友達だったんです




引っ越し前、最後にもう一度遊べることになったので、お手紙を渡すことにしました。


↓これを使いました音譜


私は、裏にメッセージを書いて。


こどもたちには、お友達に贈る言葉を言ってもらいました。

(スマホで何回か撮って良いところだけ編集し、それを再生してカードに録音しました。)


娘は、最近園で年長さんのお別れ会をしたからか、「今まで遊んでくれてありがとう」「また会おうね」と、それらしいことを言っていました。


息子は、「引っ越す」の意味も、何をやらされているのかも、わからなかったと思いますがあせる


お友達の写真を見せて、


「ほら、〇〇ちゃんだよ」

「一緒に遊んだね」

「楽しかった?」


などと声をかけていたら、


ニコ「…たのーかった」


と言えました。


さらに、


ニコ「また あそぼーね」


とも!


それを聞いて、"息子もこの子のことが好きなんだなぁ"と思いました。




当日渡すと、さっそく開封して聞いてくれたママさん。


なんと、涙を流して喜んでくれましたびっくりあせる


そ、そんな…


思わず私もほろり。


止めようと思っても止まらない。笑

相手のことを想って、相手が想い返してくれるって、こんなに嬉しいんだなぁハート

楽しそうに写真を見るこどもたちの後ろで、困ったね〜って笑いながら、ふたりでボロボロ泣きました笑い泣き



そして、お友達が帰ったあと。

息子が眠そうだったので、寝室へ向かっていたら、突然

ほっこり「〇〇ちゃん…    たのーかった」

と言ったんです雷

言葉の発達がゆっくりな息子にとって、今目の前のことではなく、過去や未来、気持ちなど、目に見えないことを考えたり言ったりすることは、とても難しいんです。

それなのに!!

こちらの誘導なしで!!

今日のことを思い出して、お友達の名前もちゃんと覚えていて、楽しかったと言えるなんて…

そのこと自体も嬉しかったし、あの子は息子にたくさんのプレゼントをくれたんだなと、改めて感動しました笑い泣き



その後、すんなり寝入った息子の寝顔を見ながら、思いました。

お友達と離れてしまうことは、寂しいし、その子がいない空間に慣れるまでは、不安でもあるけれど。

ここではない、どこか遠くに大切な人がいるというのは、すごく良いことでもあるかもしれない!



娘も息子も、もうあと数年で小学生です。

今は、家と学校(園)のバランスがとれているというか、むしろ家の比重が大きいですが。

小学生ともなれば、こどもたちの中で、学校の存在がどんどん大きくなっていくと思うんです。

新しいお友達と仲良く楽しく過ごしてくれればそれが一番ですが、どんなに順調だったとしても、傷ついたり嫌になったり、うまくいかない日は誰にでもあります。

そんな時、学校がその子の世界のすべてだったら?

学校に居場所がない=この世界に居場所がない

という発想に、自然とつながってしまうんじゃないだろうか。



でも、もし学校でうまくいかなくても、学校以外にも世界はあると知っていたら?

知識としてではなく、実際に、自分とは違う場所で生きている人とのつながりがあったら?

ここでつまづいても、別にかまわないんだ。

馴染めなくても、ダメというわけじゃないんだ。

ここでわかってもらえなくても、あそこにはわかってくれる人がいる。

そんな風に、考えることができる。

それって、すごく心強いと思うんです。






昔々の話ですが。

私の弟が、一時期、不登校だったんです。

ある日、ケンカになったとき、

「〇〇県に帰る!!」

と言い捨てて飛び出したことがあったんです。

それは、幼い時に住んでいた場所でした。

弟は生まれたばかりで、記憶なんてないはずなんですが。

呼び止めても全然止まろうとしなくて、

「ぼくは〇〇県で生まれたから、〇〇県に帰る!」

「こんなところ嫌だ!!」

たしか、そんなふうに叫んでいたと思います。

あのときの、ただならぬ雰囲気…

追いかけなきゃいけない、もし引き留めなかったら、本当にどこまでも行ってしまう、と恐怖を感じました。

それくらい、弟は本気だった。

必死で追いかけて、

「自分だけがしんどいと思ってるんでしょ!」

「私だってうまくいかないよ!」

「でもがんばってるんだよ!」

みたいなことを言ったら、なんとか立ち止まって、戻って来てくれましたが。
(私も子どもだったとはいえ容赦ないセリフだな汗

あのときの弟の泣き顔が、いまだに忘れられません…

とても、辛そうで、悔しそうで。

痛いくらい、気持ちが伝わってきました。

それ以来、私は弟が無理に学校に行く必要もないし、弟をここまで追い込むような場所は本当に良い場所なんだろうか?という気持ちも持つようになりました。
(自分は通っていたし、それなりに楽しんでいたし、感謝もしているんですけどね



その後また引っ越して、弟は学校に通うようになりました。

私は、楽しそうに友達と遊ぶ弟を見て、

あのときは、〇〇県に帰ればうまくいくなんてそんなことはない、場所じゃなくて弟自身の問題だ、と思っていたけれど。

案外、弟が言っていたことは正しかったのかもしれないな…

と考えるようになりました。

置かれた場所でやっていくしかない、そこに合わせていかないといけない。

それはそうなんですが。

心の中に、別のふるさとを持っていたっていいし、今いる場所より大事な場所があったっていい。

うまくいかないと思ったら、別の場所に移ってみたっていい。

それは全然、ダメなことじゃないんだ。

そんな風に思えたんです。



ちなみに、弟は今でも当時の友達と交友がありますが、私はほぼありません。

誰とでも仲良くなれるねと言ってもらえる私ですが、果たしてそうなのか?

誰とでも仲良くなれるって、特別な仲良しがいないってことじゃないのか?

合わせるスキルがあるより、合わない気持ちに素直に反応できる方が、本当の意味で仲の良い友達を作れるんじゃないか?

これは未だに疑問です。
(まぁ、どっちが良いとかいうことでもなく。弟は私に、私は弟に、無い物ねだりしているということなんでしょうね。)






回想が長くなってしまいましたがあせる

そんな昔のことも思い出して、ますます、

遠く(ここではない場所)に大好きなお友達がいること、

目の前の世界がすべてじゃないと知っていること、

それはきっと子どもたちのピンチを救ってくれるし、強くしなやかに生きていく力になる。

と、思ったのでした。



ありがとう。

お友達も、そのママも。

仲良くしてくれて、ありがとう。

娘や息子や私の中に、たくさんの思い出とあたたかい気持ちを残してくれて、ありがとう。

直接会うことは難しくなるけれど。

心の支えとして。

これからも、たくさんお世話になります。

どうぞ、末長く、よろしくね。