息子が補聴器をしていると、何だろう?と見られることはよくあります。


特に、ご年配の方や子どもは、わかりやすいです。笑


本人が全然気にしていないし、私も別にかまわないのですが…




ある日、公園に行ったときのことです。


私たちより少し先に、お母さんと男の子が歩いていました。


もうすぐ遊具に着くというところで、息子がパッと走り出して、その親子を追い越しました。


すると、補聴器に気付いた男の子が、


左差し真顔「あの子、耳に何か付けてるよ?」


と、お母さんに話しかけたのです。




私はまだその親子を追い越す前で、


どんなやりとりになるのかな?


となんとなく耳をすましていました。


あれは補聴器だよって教えるかな?


それとも、何だかわからないかな?


ジロジロ見ないのっとか言うのかな?




そのお母さんは


「・・・・・・」


何も答えませんでしたびっくり




えっあせる聞こえてたよね?あせる


男の子も、返事がないのがおかしいと思ったのか、


ぶー「ねぇ?お母さん?」


と顔を見上げていました。




それでも、お母さんは


「・・・・・・」


無言。




どんな表情をされていたのかはわかりませんが、息子さんと目を合わせているようにも見えませんでした。


まっすぐ遊具の方を見て、聞いていないような感じを貫いているというか…




まもなく遊具に到着して、男の子は遊び始めました。


一度、息子の近くに来て耳を見ていたけれど、そのときにはもうなんの質問もしませんでした。


私から声をかけてみようかな?と思いましたが、すぐに離れていってしまい、そのあとはもう話すチャンスはありませんでした。




うーんあせる


なんか、モヤモヤするなぁもやもや


なんでだろう?




無言って、どういう意味なのか、色々想像できてしまう。


ただ聞こえていなかっただけかもしれません。


私に気を遣って、


あれこれ言うのは失礼よ!


という意味だったのかもしれないし、


わからないから聞かないで…


だったかもしれないし、


その話はしたくない

関わりたくない


だったのかもしれません。




好意的?


それとも、その逆?


さっきのは、いったいどっち?あせる


あぁ、それがわからないから、モヤモヤするんだなガーン




あの男の子はどう思ったんだろう。


はじめは不思議そうにしていたけど…


「この子のこともっと知りたい!」みたいな雰囲気が、明らかに無くなっちゃったように見えたなぁ。


なんか、何かを察して、黙ったような…


私の気のせいかなあせる







補聴器を付けている人を見かけて、子どもが


「あれ何?」


と聞いてきたとき。


どう返すか、人それぞれの考えがあると思います。


でも、できれば。


知っているなら


「あれは補聴器だよ」

「音が大きく聞こえる機械だよ」

「耳が聞こえにくい人が付けるんだよ」


って、教えてあげてほしい。


知らなかったら


「わからない」

「何だろうね」


って、その子が興味を持ったこと自体は認めてあげてほしい。


「何を付けてるんですか?」って聞いてみてもらってもかまわない。(私の場合は)




だって、子どもの初めての「あれ何?」に、他意は無いと思うんです。


単純に、不思議だから聞いてみただけで。

だから、それだけで気分が害されることはありません。
(言い方に悪意があれば別ですがあせる

でも、大人は、子どもの一言から色んなことを考えてしまう。

面白がってるんだろうか
からかっているんだろうか
貶めようとしているんだろうか

さらに、

もし相手に聞こえていたら?
不快にさせるかな
怒られたら嫌だな
話しかけられるかな
面倒なことになったら嫌だな

こういう心配も、一瞬で頭に浮かぶ

その結果、どう答えるべき?って、迷ってしまう。



「何も答えない」のは、ある意味、賢い選択かもしれません。

自分の思いや考えを出さないことで、余計なトラブルを避けられます。

でも、子どもの芽を摘んでしまうんじゃないか…と思うんです。

世の中には、自分と違う人がいるんだなぁ。
耳が聞こえないって、どんな感じなのかなぁ。
補聴器って、どんな風に聞こえるのかなぁ。

「あれ何?」ひとつから、どんどん世界が広がっていくかもしれません。

難聴に限らず、自分と違う人を見つけたら、なんで違うんだろう、どう違うんだろうって考える子になるかもしれません。

他者を思いやり、共生していく、そんな思考ができていくかもしれません。



それに、大人の「無言の返事」を、好意的に受け取れなかったら。

あ、これはまずいな…

関わらない方がいいんだな…

そう思ってしまったら。

その子はもう二度と同じ質問をしないでしょう。

もしまた難聴児を見かけても、視界に入れないように、触れないようにするかもしれません。

その方がありがたい人もいるとは思いますが…

積極的に無視しようとして無視している状態って、なんだか辛い気もします。

「ジロジロ見ない」という行動は同じでも、

「見ちゃダメだ」って思うから見ないのか、

「あぁまた難聴の人か」って思うから見ないのか、

この違いは大きいんじゃないかな…





あと、そんな大人を見て、子どもが「沈黙という技」を覚えてしまったら?

なんか気まずい時、都合が悪い時、やり過ごしたい時。

黙ってればいいんだ。

もしそんな風に思ってしまったら?

色々な場面で、沈黙を使うようになってしまうかもしれない。

ときには、その沈黙が、誰かを傷つけてしまうかもしれない。






家庭の数だけ考え方があり、育児の仕方がある。

だから、私が「こうしてくれたら嬉しかった」と思っても、それをあのお母さんに押し付けるのは間違ってる。

そもそも、難聴について知ってほしいとか、色んな人に目を向ける子が増えてほしいとか、思いやりを持ってほしいとか。

世のため人のためのようなことを言っていても、それは結局、「うちの息子が生きやすい世界になってほしい」っていう、超個人的な願望があるからですしあせる

だから、まぁ、それぞれの家庭がそれぞれのやり方でやっていくしかないんですけれど。

でも、あのとき、迷惑がられても。

一言、「あれは補聴器だよ」って、言えばよかったかもしれない。

それがきっかけで、どんなことになるかわからないけれど。

まずは関わってみないと、良くも悪くも何も起こらない。

あのお母さんは無言を貫くことで何も起こさなかったけど、私だって、こちらから何もしないことで何も起こさなかったんだから、どっちもどっち。

人と関わるってことには力が要るし、面倒のもとです。

面倒は避けたいもの。

でも、面倒を起こすことも、実は大切なのかもしれない。

何か変えたいと思うなら。






ささいな出来事でしたが、私にとっては、とても考えさせられる出来事でした。