前回もお読みくださった方ありがとうございました。
今回は、お子さんサイドからのお話になります。
お子さん(と言っても現在はもう大人で働いてらっしゃいますが)は、転校後〜現在までのことを語ってくださいました。
高度難聴とのことでしたが、おひとりで、資料やパワーポイントなどの道具はいっさい使わず、口話と同時に手話をしながらお話されていました。
お母様がお話されていた、幼少期の訓練の日々のことは、覚えていらっしゃるのかどうなのか…特に触れられませんでした。
途中からの転校でしたが、寂しいという気持ちはなかったそうです。
というのも、転校前の小学校とろう学校がさほど離れていなくて、友達に会おうと思えば会えたから。
そして、ろう学校での日々が楽しかったから。
手話はもちろんわかりませんでしたが、周りがみんな使っていたし、手話だけで話をする子もいて、その子と話したかったから、一緒に遊びながら、自然と覚えていったそうです。
(「覚えないといけなかったから」とか「役に立つから」とかじゃなく、ただ「話したかったから」とおっしゃったこと、そしてそのときのさっぱりとした笑顔が本当に素敵でした…)
ろう学校には高等部(高校)まで通い、卒業後は大学に進学されたそうです。
難聴者は自分のみ、という、今までとは正反対の世界。
それまで難聴であることを気にしたこともなかったそうですが、大学に行って初めて、聴こえないことの大変さを実感したそうです。
はじめは、自分でなんとかしようとがんばったそうです。
一生懸命教授の口を読み取り、事前に資料をもらったりノートを点検してもらったり。
(とても熱心というか、ひとりで教授に相談や交渉をしに行くなんて、すごいなと思いました。)
でも、1ヶ月で心が折れそうになったそうです。
そして、手話通訳を付けてもらうことにしたそうです。
お友達の隣に座らずに、一番前の席で、専属の手話通訳さんと向かい合って授業を受けるのは、ちょっと抵抗があったそうです。
それに、初めて聞く言葉や専門用語は、手話通訳さんでもとっさに通訳できないこともあったそうです。
でも、ひとりでがんばっていた頃に比べれば、ずっとずっと楽になったし、授業の理解もできたそうです。
そしてその時から、「できないときはサポートを受けていこう」という風に気持ちが変わったそうです。
でも、英語はお手上げだったそうです。
カタカナ英語ではなくネイティブに近い英語はまったくわからない…
聞き取れないし、発音したこともない。
それで事前に「この問題を当てるから、こう答えるように。」と打ち合わせをしてもらって、絶対に変な発音なのにみんなの前で発表するのは嫌だったけど、なんとかやり遂げて単位がとれたとおっしゃっていました。
驚いたのは、留学にも行かれたそうなんです!
そこで、難聴の子どもたちと触れ合ったんだとか。
難聴の程度、人種、家庭環境、貧富、色々な違いのある子どもたちがひとつの場所に集まって勉強をしている、そんな様子を見て衝撃を受けたそうです。
そして、日本に戻ってきてから、難聴の学生団体の一員として活動されたそうです。
その後、介護施設への就職が決まり、それに向けて一人暮らしの部屋を探し、自動車学校も申し込んだそうです。
ちなみに、大学もバイトも留学も就職も一人暮らしも自動車学校も、お母様へはいつでも事後報告だったそうで笑
その度に反対しつつも、最終的には「仕方ない」「それだけのことをやると決めて、ひとりの人間としてすごいと思った」と、お子さんの背中を押してあげるお母様の姿勢というか、懐の大きさ、お子さんを信頼する気持ちが素晴らしいなと思いました。
(私にはできるだろうか…)
就職先では、難聴の職員さんもいて、特に困ることはなかったそうです。
無事に車の免許も取って、自分で運転して通勤されていたようです。
でも、一人暮らしでは、インターホンが聴こえなくて困ったそうです。
(家では補聴器を外していたそうです)
何度も聞き逃すので、宅配の方に窓を叩いてもらうようにしたそうです。
一度、ゴキブリにスプレーをかけたときに、火災報知器が鳴ってしまったのですが、それも聴こえなかったそうです。
お隣の人が知らせに来て、気づくことができたんだそう。
そんな風に、耳が聴こえないということを周りの人に伝えて、助けてもらっていたそうです。
現在は、ご実家に戻って、データを打ち込むお仕事をされているそうです。
そこにも難聴の方がいらっしゃるのですが、手話のみでお話される方だったようで、「あなたは話せるのにどうして電話を取らないの?」と言われたことがあるそうです。
まったく声の出ない方から見れば、この方は良く話せているように感じられたのでしょう。
でもそうではないんだ、と誤解を解くのに手話が使えてよかったとおっしゃっていました。
最後に。
お母様は小さい頃の指導や転校など子育てに関して後悔したり懐疑的になったりしている点もあるようでしたが…
ご本人は「誤解を招いたのも言葉、でも解決できたのも言葉。言葉や色々なコミュニケーションツールを学んできてよかった。お母さんには感謝してます。」とおっしゃって、お話を締め括られました。
おふたりそれぞれのお話が終わり。
顔を見合わせ、ほっとしたような気まずいようなお顔をして笑い合う姿が、なんともほほえましく、良いご関係なんだなぁと感じました
その後、お母様がふたりの親子関係についてお話されたのですが、
「思春期の親子ゲンカや反抗的な態度は、他のお子さんと変わりないです。」
「大きくなってからの悩みは私には言ってこなかったので、たぶんお友達に相談していたと思います。」
と、そういった心身の成長や変化に難聴は関係ないと語っておられました。
また、現在の楽しみを聞かれて、一緒に字幕の映画を観に行ったり、ランチをしたりすることだそうで、皆さんと同じですと困ったように笑っておられました。
うちは男の子なので、一緒に映画やランチは行けないかもしれないけれど(行ってたら彼女ができませんよね、きっと…)笑
大人になってもほどよい距離感で、笑い合えるような関係でいられたら理想だなぁと思いました。
今は、厳しくして泣かせてしまったり、何でも私が決めてしまったりしているけれど。
あのお母様のように、息子が自我を出し始めたら、無茶だと思われることでも、最後は味方になって、思い切ってやらせてあげられるようになりたい。
そんな風な気持ちにさせていただきました。
次回は、お話の内容とは関係ないのですが、高度難聴の方の話す姿から感じたことを書いてみようと思います。