先日、あるお話会に参加してきました。
重度難聴で現在社会人の方と、そのお母様がお話をされました。
親子それぞれの立場からお話が聞けるなんて、本当に貴重な機会でした…!
お母様は健聴で口話のみ、お子さんは高度難聴で口話と手話を併用してお話されていました。
おふたりからたくさんの刺激とエールをいただき、一歩一歩ふみしめていこうというあたたかい気持ちになりました。
ぜひこれは記録しておきたい!
同じような状況の方にシェアしたい!
でも、一般の方のお話なので、無許可であまり詳しく書くのも…と思うので、詳しいプロフィールは省いて、お気持ちの変化や印象に残ったエピソードを中心に書いてみたいと思います。
お母様は、お子さんの幼少期から思春期頃までのお話をされました。
心配されていたこと、悩んでおられたことは、今の私にも重なることばかりでした。
特に、進路のこと。
はじめは、障害を受け入れてくれる一般の園に通っていたそうです。
先生から見ても特に問題なく元気に過ごしていたそうですが、お母様は「元気に過ごせても…普通の子はそれでいいかもしれないけれど、言いたいことを我慢して過ごしているのでは?それが癖になったら?」と不安で、ご自身の判断でことばの教室に通うことにしたそうです。
ことばの教室は「手を後ろに回して」=手話を使わず口を読み取ったり話したりする力をつけるもので、その指導の様子は親もつきっきりで見てメモをとり、家でも同じようにすることが求められたそうです。
お子さんは楽しくなくてぐずる、親はついイライラしてしまう、お子さんはさらに嫌がる…という悪循環だったそうです。
「誰のためにやってるの!」と怒ったことがあるそうで、言ってはいけないことを言ってしまった、そのときのお子さんの悲しそうな顔が忘れられないとおっしゃっているのを聞いたときは、胸が痛みました
本当に、限界を越えて、なんとかだましだまし通っていらっしゃったようです。
その後、小学校へと進学し、難聴学級と普通学級両方で授業を受けていたそうです。
一度だけ、お友達を押してしまうというトラブルがあったとか。
(大人は気をつけて話をしてくれますが、子どもはそうはいかないですもんね…動き回っていて聞き取りにくかったそうです。)
その件は和解して、その後は特に大きなトラブルもなく過ごしていたそうなんですが、お母様にはまたしても心配なことがありました。
それは、「大人しくしていることはできるけれど、それで本当にいいのか」「高学年になれば、言葉だけのやりとりや内緒話も増える。そんな中、人の顔色ばかり伺って、表面上の付き合いになってしまわないか。」ということ。
そして、ろう学校へ転校という決断をされました。
このことについて、ご本人の気持ちはわからないけれどと断りながら、少なくともお母様は、ろう学校という難聴に理解のある・難聴が当たり前の環境で、障害があることを恥ずかしいと思わないで堂々としていられること、また、現在まで続くほどのお友達との強い絆、やすらぐ関係ができたことは、よかったと感じていらっしゃるそうです。
番外編で。
参考までにと、お子さんより聴力があり、発音もとても綺麗だったお子さんのお話を聞かせてくださいました。
お母様からすれば、活発で明るく、綺麗に話せるその子は、普通校では何の問題もなく過ごせていると思っていらしたのですが、その子のお母様は、「自分のことを話すのはできるけれど、集団であれこれ話しているのを聞き取るのは難しい。」「自分ばかり話してしまったり、ズレたことを言ったりしてしまうことがある。」「発音が綺麗なので、聴こえているでしょ?聴こえているのになんでそんなこと言うの?と言われてしまう。」と、友達付き合いに悩んでおられたそうです。
聴力が良くても、発音が良くても、普通校に通っていても、人それぞれに悩みはあるのだなぁと感じたそうです。
長くなってしまいました
続きはまた後日。