台風が通り過ぎてから、少し涼しくなりました。
冷房をつける時間がぐっと減ったし、朝玄関ドアを開けた瞬間の空気に、きりっとした秋の気配を感じます。

この夏は猛暑で引きこもりがちでしたが、これから冬になるまでの間、また外遊びがしやすくなると思うとありがたいですもみじ

今日は、ちょっと車で走って、海のそばの公園に行ってきました。

大きなすべり台があるのですが、はしごを登らないといけないので、息子は怖がってなかなかチャレンジできずあせる

それでも、他の遊具で遊ぶうちに自信がついてきたのか、最後にはひとりで登り切ることができましたアップ

降りられるかなと心配しましたが、
(息子は小さい頃からすべり台苦手で…公園に行っても最初から最後まで砂場に座り込んでるような子だったんです汗

ちゃんとひとりで座って降りてきたので、気持ちも成長してるんだなと嬉しく思いました照れ


その後、少し歩いて海へ。

補聴器落とさないかなとドキドキしましたが、そのままで。

「ふね、あるかな?」
「ぅね」
「ふね、あるといいね。」

なんて言いながら到着。

海岸には誰もおらず、貸し切り状態。

ちゃぽんちゃぽんとやさしい波が打ち寄せていました。

息子は砂を触っていましたが、少しずつ海に近寄って行って、そのうち海に向かって砂をえいっと投げ始めました。

はじめは届かずに落ちていましたが、だんだん上手になって、遠くまで、一度にたくさん投げることができるようになりました。

ぱちゃん
ぽちゃん
ちゃぷん

楽しそうだなぁと微笑ましく見ていたのですが、ふと、

「この波の音や砂の落ちる音、息子には聴こえてるのかな?」

と思いました。

息子が楽しんでいるのは、映像や感触だけかも?
音は聴き取れていないかも?

そう思ったら、ちょっと切なくなりました。

穏やかな波の音、風の音、遠くで鳴く鳥の声、、、

聴こえなかったらダメというわけではありません。

生きていけないわけでもありません。

でも、波の音、と言われて、私は様々な音を思い浮かべることができるけれど、この子は「ざっぱーん!!」だけなのかもしれない。

しとしと降る雨の音や木の葉の音など、私が癒しを感じる音に、癒しを感じることができないのかもしれない。

同じ景色を見ていて、同じことをしていても、何を思い何を得るかは違うんだなぁ、、、


そして、また別のことを思いました。


あ、でもそれって結局、みんなに言えることか。

「お酒が飲めないなんて人生半分損してる!!」

と言われて

「そんなことない!!」

と思うのと、大差ないのかな?

悲しい、可哀想と思うのは、聴こえない息子への気持ちじゃなくて、聴こえてほしい自分への気持ちなのかも…

私が私と同じ音を聴いて欲しい、というか、同じことを感じて欲しい、共有したいって思ってるってことよね、きっと。

結局、息子のことを認めているようで、どこかでは同じ、一緒、を求めてしまってるのかな。

いつか本人がそう言うならまだしも、先に私が聴こえないことを悲しいと言ってしまうのはナシよね、たぶん、、、


息子は楽しそうだし、息子の脳?が音を認識してなくても、身体は音を感じてるはず。

同じ音をあびてるはず。

海は大きい!

海は平等!

受け取り方が違うだけ。

それは聴こえる聴こえない関係なく、みんな違うし、みんな自由でいい。

だから、気にしなくていいんだよね。

そうだよね。


…と、なんだかまとまったようなまとまらないようなことを思ったのでした。

海のせいかな。笑


何をしたわけでもないけど、のどかで、いい時間でした!

また行こうね、海。