きのうの「透明マスク」のときに感じたことともつながるのですが、学校に行って、先生方の話し方を見たり研修を受けたりする度に、
「とてもていねいだなぁ」
と思います。

そして同時に

「そう感じるってことは、ていねいにしてないんだなぁ」 

とも思います。

「話したり聞いたりするときは顔を見る」
「声が届きやすい距離で話す」
「なるべく静かな場所で話す」
「ゆっくり はっきり話す」

こうして書いてみると、どれも特別なことではありません。
むしろ、我が子が産まれたり、好きな人と話したり、大切な話をするときには、わざわざ言われなくても、自然と心がけていそうなことだと思います。

でも、意外とできていないんです。
(少なくとも私は)

いつからでしょう…

夫と話すとき、顔を見もせずに、ザブザブ洗い物をしながら話すようになったのは…
(それを聞く夫もスマホを見ている)

娘の話を聞くとき、頭では次のことを考えながら、「へ〜」と適当に相手をするようになったのは…

そうです。

思えば、最初は「ていねいが当たり前」だったんです。

それなのに、ていねいが抜け落ちていったんです。

しかも、そのことに気付いていないんです。

顔を見ない(目も口も見せない)
距離をつめない
手をとめない
発音やスピードを気にしない
こころをこめない

そんなコミュニケーションが普通になってしまっていたんです。

どうして、手を抜くようになってしまったのか…

きっと、家族になって、安心してしまったんだと思います。

がんばらなくてもいい。

でも、もともと、話すことも、聞くことも、「ていねい」でなければ伝わらない、満たされないものだったはず。

難聴の息子と、お互いにわかりあえずに途方に暮れたり傷付いたりする日々を過ごして、こんなに辛いものかと打ちのめされることもしょっちゅうです。
でもこれがコミュニケーションのはじまりだよね、ことばって本当に難しくて大切なものだよね、と改めて感じるようになりました。

難聴児向けのコミュニケーション

それは

だれにでも嬉しいコミュニケーション

といえそうです。

初心に返って。
だれもがことばをていねいに扱う、やさしい世界になればいいなと思います。

まずは、私から。