「子供って、ただただ、

かわいがってやりさえすれば、よかとねえ」

 

下村湖人の名作

『次郎物語』劇場版(1987年版)で

死を前にした次郎の母親がつぶやく言葉です。

 

 

「かわいがってやりさえすれば、よかとねえ」

この言葉、私はいまも思い出します。

 

同時に、この言葉も思い出します。

 

「僕にも悪い所はたくさんあります。

でも悪い所だけではなく、

良い所を見つめていただければ」

 

羽生結弦の言葉です。

 

そうした「人というものに対する畏敬」の

欠けた心ない言葉が、羽生結弦にも

投げかけられています。

 

たとえば

「苦手だ」とか。

 

人それぞれ、それは構わないのですが、

それがインターネットを介して、

ましてや商業媒体で世界中に広まることに

「無頓着」な

人がいることを、

今回の連載で改めて書きました。

 

 

有料なのでこれ以上は私も書けないのですが、

それでも大切なことなので、

主旨のみ、ここにも記します。

 

なぜそこまで羽生結弦が言われなければ

ならないのか理解に苦しみますが、

それについては以前、こちらでも書きました。

 

 

 

宮沢賢治はそうした人たちに

痛烈な詩を残しています。

 

けれどもまもなく
さういふやつらは
ひとりで腐って
ひとりで雨に流される
あとはしんとした青い羊歯ばかり

 

※1920 Public Domain Wikimedia Commons

 

それでも書かなければ、

端緒に声を上げなければならない。

賢治はそれを知っていました。

 

そういえば、賢治は羽生結弦の、

東北の大先輩でもありますね。

 

個人攻撃にならないように、

書いたつもりです。

 

日野百草

 

※羽生結弦論、連載中