このシリーズ、引き続いて12系統の枝系統をお届けしたい。上は再掲であるが、1971年当時の系統図。近年まで市バス系統図では「明石線」「東灘末端線」は扱い悪くこのような簡易図のみで、起終点バス停名しか表示なく、研究材料としては乏しかった・・。そんな中、上図左端の緑のラインで描かれている12系統で「上岩岡」から左へ延びている「六十丁(母里)」母里は「もり」と読むが、ここも先の広野と同じく神戸市外で稲美町との市境となる場所で、ずっと気になっている場所であった。

 数年前から市バス系統や路線が載っている古地図を研究材料として買いあさっていたが、その中に「初めて六十丁バス路線が載っていた地図を発見」した。

 以前お伝えしている1960年代中頃発行と思われる地図で詳しい経路がこの地図によってわかった。

 それからほどなくして、この区間を2度に分けて走破したのが今からアップしていく六十丁線である。

 これがその地図の当該部分のアップ。当時はまだ「秋田回り」がなく上村(現:上岩岡)から北西に延びていた。

 上は写真②、秋田回りの道路から見た写真で緑の矢印は明石方面からの六十丁方面の進行方向。下は写真③でその道路を明石方面に向いた様子。手前が六十丁方面、奥が明石方面となる。

 例によって地図内に対応する撮影番号と撮影方向を載せているので少し小さいが参照して頂きたい。

 写真④・⑤、そのまま六十丁方面に進むが道幅は決して広いとは言えず、当時ツーマン運行だった理由が分かる。下は最初の停留所「宮池下」付近。今となっては停留所の位置は不明だが、大きな池の名称看板があったので「この辺りだった・・」というのは分かる。なお、地図では誤植で「宮池下」ではなく「宮地下」と記載されていた・・。

 続いて写真⑥・⑦は次の停留所「岡十七丁」付近。この付近はそれを知らせる旧字名の看板も見つけられず、地図上の距離判断で恐らくこの辺りであろう・・という場所。

 この近くには懐かしいポーターが鎮座している。道沿いなので、有名な個体であろう。

 写真⑧、さらに進む。六十丁界隈と思われるが、1回目の調査では終点付近が全く分からず、これより先に足を延ばした神姫バスの「母里(もり)」かも?と踏んで車を走らせたが、距離が遠すぎて違うと判断した。なお、この集落一帯が母里地域とのことで、範囲が広く地元民では無い私は分からず、一回目はここで調査を打ち切ったのであった。

 その後、年史に記載のある距離程と実走で検証してみたのが二回目。

 写真⑨、年史の距離程と愛車の積算計をにらめっこしながら到達したのが、⑧の写真より少し入った辺りであった。しかし、やはり前回同様見当もつかなかったので、丁度近くで農作業をしておられた長老の男性の方にお話を伺った・・。

私:「すみません、昔のこの付近を趣味で調べています。六十丁というのはどのあたりになりますか?」

男性:「この付近やけれども・・」

私:「それでは大昔神戸市バスがこの辺に乗り入れていたと思うのですが、覚えておられますか?終点を探しています」

男性:「あぁ、そこや、目の前の家のところ・・」

 なんとアッサリヒットしてしまい、詳しくお聞きすると前掲⑨の場所が終点/元回転地であった・・。

 その方の敷地内から撮影させて頂いた元六十丁(母里)終点回転地跡。宅地化されており、さすがに分からなかったハズである。この宅地の奥が旧道だったことや、母里村が出来て市バスが乗り入れてきたこと、そして明石駅方面に利用していたこと・・など様々なお話を伺えた。

 年史のキロ程を信じて散策して正解だった・・。そして40年来モヤモヤしていた終点が分かり、ホッとしたのであった。

 これは地理院の1975年の同地区の航空写真を加工して引用させて頂いた物。地図の様子と航空写真の様子を照らし合わせ、恐らく・・というところであるが赤の線がバス路線。丸印が回転地と思われる場所。

 神姫バスの「母里」とはやはり違っていたことが分かったが、神姫バスの方も回転地があり、距離が近ければ私は間違っていた可能性が十分に考えられた案件でそれだけに地元の方に話が伺えたのが良かった。上の写真は明石からの母里行ではないが、行先のイメージで掲載。1987年西神中央にて。

 最後は神戸市営バスのイメージイラスト。所持する昔の玉津幕にも既に「六十丁」はなく、表示内容は全くの想像である。単に「六十丁」だけだったのかも知れないが、系統図にも年史にも「六十丁(母里)」とあるので、それでイメージしてみた。車は晩年玉津に集結していた、S41・42年式の日野RB10-富士重である。実車はワン・ツーマン車なので、もしかしたら六十丁便には入っていなかったかも知れないが、車の居た年代的にギリギリ経験している仲間である。

 

 この「明石ー六十丁」は1953(S28)年5月1日に開設され、後1976年の同じ5月1日に開設された秋田回りの経路に変わってひっそりと廃止されている。このイラストのバスたちも同年に廃車除籍となっている・・。

12系統は色々と奥が深く、まだネタは続く・・。


参考文献

*神戸市交通局60/80年史

*神戸市交通局路線関係パンフレット

*発行年不明の和楽路屋の地図