久しぶりの神戸市バスアーカイブスシリーズ・・。お休みしている間にネタを溜めていたので、少しずつドレンコックを引いてみたい。

 元々、神戸市バスの路線史も研究対象であったが、市バスから委譲され神姫バス路線となっていた旧明石系統でも委譲後10年を経過した辺りからダイヤ・路線縮小が続き、この春の改正で旧12系統の終点「五百蔵(いおろい)」や旧13系統「寺谷」「友清」行が廃止され消えたことから、記憶の記録化でまとめたもの。明石系統初回は触りをお伝えしたい。

※旧13系統の神姫バス寺谷行は廃止されたが、経路・系統自体は別の系統が運行しており、寺谷停留所が廃止ではない。

 上は40歳代以上の方には懐かしい光景。国鉄明石駅北側のバスロータリー。今は駐輪場と店舗になっている辺りである。遠くに天文科学館が建っているので今の場所は把握しやすいと思う。この当時、地元明石市営とお隣神戸市営、それに神姫バスが乗り入れていた。明石駅の高架下にバス待合室があり、運営は神姫バスだったと記憶するが、ウグイス嬢も健在でバスが乗り場に着くと行先などをアナウンスしていた。その隣に喫茶店があり、当時の同級生がバイトしていたこともあり、そこでお茶をしながらバスウォッチングをしていたのも懐かしい思い出である。

 上の写真は約40年前1983年4月の撮影であるが、情報量の多い写真にも思える。この頃、神姫バスは業務用車で神姫カラーを纏ったバン型自家用車が各営業所にあった模様で、手前のバンがそれ。これはB310系サニーで他に610ブルーバードもいた。左端、公道上を行くベージュのアコードは機動捜査隊の覆面パトカーっぽい・・。ロータリー内の神戸市バスは707号、S55(1980)年式K-RE101で同期の706号は1982年だったかに不慮の事故で前部大破となり廃車、短い生涯を閉じており私も撮影出来ていない。事故後長い間、長田工場の隅でエンジンや部品を取られた状態で留置されていたが、さすがに写真を撮ることは出来なかった。恐らく事故の裁判の関係で留め置かれていたと推測する。

 

 隣の明石市バスは794号でS52年式U20L(-3)。兵庫県下では極めて珍しい、日産ディーゼル=富士重工である。

 再び左端公道上に移ろう。アコードの後ろはマツダのポーターキャブ、その後方の神姫バスは向こう向き反対車線は西工カマボコのふそうMR470、こちらに向かってくるのは三菱標準車体のMR470である。この当時まだ冷房車は半々くらいであるが、この画面上で冷房車は神戸市バスと神姫のカマボコのみである(→後に写真の明石市バスは冷房改造されている)。これで国鉄線に153系新快速ブルーライナーが写っておれば涙モノであるが、当時新快速は外側線(列車線)運用で無かったので走っていてもパンタしか見えてなかったであろう・・。

 

 前置きが長くなったが、神戸市バスも当初は市の西端である大久保から岩岡を経由、広野(三木市)まで1947年から路線を張り、その後1949年に大久保から国道経由で明石駅に延長乗り入れしている。 なお、2005年の明石系統神姫バス委譲後に「明石市に神戸市バスの乗り入れはなくなった」と一部文献やネットで記載があるが、それは誤りで明石駅のお隣朝霧駅は所在地が「明石市」であり、さらに北へ延びる県道は途中までセンターライン上が市境なので、神戸市バスの朝霧駅発着系統は今でも明石市に乗り入れているのだ。

 上は12系統明石駅行で明石駅に到着、乗客を降ろした後であるが神戸市バスの「明石駅」表示は東部方面の方から見ると異国情緒たっぷりに写るらしい。車はS49年式RE100-金産。帝国顔であるが、日野車体合併直前の車で帝国の図面で作られた金産コーチである。神戸市の場合、金産と帝國では正面の弧を描くグリーンの塗り分け方が異なるので帝国顔でもそこで判別出来る。金産は写真の様に柔らかい弧を描くが帝国はキツイ弧であった。また正面に系統幕が無かったのも一頃の明石系統の特徴で受け持つ玉津車庫の車は全てこの方向幕内に系統番号を刷り込む様式であった。なお、この910号は元松原車庫所属で転属の際に系統幕を撤去し一体化工事が施工されている。

 その明石系統を受け持つ担当車庫が「玉津車庫」正式には発足時は玉津運輸事務所であったが、一時期松原車庫の傘下に入っていた。1976年に垂水運輸事務所が開設されると垂水の傘下に入り「玉津操車場」と名を変えている。垂水開設前から舞子線用ワンマン専用車も所属していたが、大半は明石系統用のツーマン(ワンツーマン)がメインであった。

 私が市バスの撮影を本格的に始めた頃は既に初期の前後ドアワンマン専用車すら廃車になっていた頃であり、ツーマンは記録に残せていないが、何度が乗車経験はしているので記憶には残っている。この「玉津車庫」が今の「西神車庫」の前身である。なお、この敷地は車庫廃止後、建機のレンタル会社になって、今は「しまむら」グループの「アベイル神戸西店」である。

 神戸市バスで「車庫前」幕が存在しているのは東部方面の「魚崎車庫前(止り)」「石屋川車庫前」そしてこの「玉津車庫前」であった(1983年12月までは「灘車庫(止り)」もあった)。余談だが、市営地下鉄学園都市延伸時に垂水受け持ちの舞子線も学園都市まで延伸され、その際に54系統が垂水車庫の前を通ることになり「垂水車庫前」のバス停を新設、実際の運用は無かったが方向幕にも「垂水車庫(止り)」が刷り込まれたものの、程なく垂水警察署が近くに移設されてきたので早い段階でバス停名は「垂水警察署前」に変更されたが、方向幕は最後まで「垂水車庫(止り)」のままだった。

 これは1971年当時の系統図と路線案内で明石・舞子線関係を抜粋。何れも後に地下鉄開業路線大規模再編されるまでの個人的に面白い頃と思える最後の頃である。この当時は14系統も神戸駅まで路線が延びていた。  

 舞子線関係も準備を進めているのでその内にお目に掛ける予定。

 プロローグ最後は1960年代の明石系統が刷り込まれたワラジヤの地図。このように⑫~⑮系統が張り巡らされていた。

 地図上では少し分かりにくいので下に文章化しておくと・・

明石駅/大久保~広野ゴルフ場(三木市)/六十丁(稲美町)

明石駅~高津橋(こうづばし)~寺谷

明石駅~伊川谷~大山寺正門前

大山寺小学校前~友清~神出田井(かんでたい)

となっている。

 このシリーズ、次回以降、少ない資料や写真と足で稼いだ記録を綴っていきたい・・。

※参考文献

  ○神戸市交通局60/80年史

  ○神戸市交通局過去の系統図、案内パンフ

  ○和楽路屋、年度不明の地図

*情報提供

        ○odori-ko氏