以前「有馬温泉」系統のバスの話題で旧い神戸電鉄バスの方向幕をチラ出ししたが ↓

 今回お約束通りこの幕の全内容と、当時の神鉄バスの写真を僅かながらであるが、趣味の先輩方からご提供頂いたので併せてお目に掛けたい。先ずはバスから。

兵2あ22-00

 正確な年式、型式は調査不足で不明であるが、T・T様撮影の写真でナンバーから1964(S39)まで登録の車。正面エンブレムの「FUSO」と窓割りからMR(エアサスならMAR)470?と推測している。なかなかインパクトのある写真がトップを飾るが、1975年撮影とのことで前に神戸市バスの西工カマボコが見える近代的な風景ながら1975年でもまだこんなバスが走っていたのだ(当初1977年と記述していたが、正しくは1975年だったので、お詫びの上、修正させて頂きたい)・・。手前のパブリカバンもシングル4ナンバー・・。

 撮影地は下写真左上の信号機銘板でお分かりの通り神戸市灘区の「将軍通」交差点。そう、今もある市バス92系統路線上でかつての市電石屋川線延伸前の終点「将軍通」である。

 カマボコの市バスは「板宿ー石屋川」で歴史ある急行1系統。この当時この将軍通りは停車停留所と行先の違いで「急1・91~94」系統が走っていたが、総称して石屋川線とも呼べるべき系統群で賑やかであった。現在では当時の系統の血筋を引く92系統のみが残っている。

 さて本題のこの神鉄バス、当時神戸市と共用で有馬方面から三宮で走っていたのは既に拙ブログでも述べているが、その頃の貴重な写真。方向幕には「六甲トンネル経由」と表記、経路載せ替え後のものであるが、兵庫ナンバーもさることながら、呉羽車体でもこのヘッドライトベゼルがいたのかと思った。この頃、日野系の金沢車体や帝国車体でも同様のデザインのベゼルが見られるが昔の写真でも呉羽ではあまり見たことが無いものの神姫バスでも三菱車体で写真を見ているのでオプションで設定があったのであろう。

 キリ番の「22-00」は割り当てナンバーであるが「21-90」番台後半から神鉄枠だったような記憶もありこの「22-00」がトップでは無かったと思う・・。この頃の割り当てナンバー事業者毎の区切りが必ずしも「××-01」では無いので研究が大変である。

兵2あ22-12

 再掲であるが、上の「22-00」以降、連番でコンスタントに新車?が入っており少なくとも「22-12」までは出ている模様である。写真は1961年式いすゞBC161Pで西工。近隣バスファンの間では有名な廃車体だったのも既に述べているが、晩年はシルバー系の上塗りも剥げて神鉄カラーが顔を出していた。訪問当時、リアは家屋などで撮影に当たっての障害物が多くリアスタイルは未撮影であるが、あの「羽?の生えたいすゞエンブレム」は付いたままであった。このバスの銘板や方向幕は所有者さんのご厚意で譲渡して頂けたが、このエンブレムはその場で外すのが簡単では無かったために断念している。全体は撮れなくてもせめてエンブレムやリアの一部は撮っておくべきであったがフィルム時代では忖度の結果未撮影で少々後悔している。現存せず。

兵2あ27-06

 これも廃車体であるが、R・T様から1964年式いすゞBU10P-帝国とご教示頂いた。型式からお分かりの通りエアサス車で、メトロ窓ということと方向幕窓に「神鉄観光」とあることから貸切車だった模様。「2200」番台と「2700」番台の区分けは今となっては不詳であるが、この頃の割り当てナンバーはこういった事象が多々あり、間に別の事業者が噛んでいることもしばしばで、増車すると別の事業者の割り当て枠に当たるため、番台を飛ばした事例と推測している。いすゞー帝国と言えばかつての国鉄バスが有名であるが、この廃車体で地元でも僅かながらいたことが分かった。この年式では既にあのバス協テールライトで、1990年代まで連綿と続き、見慣れたデザインだけに旧いバスに付いていてもテールライトだけは「旧く感じることは無かった」

 なお、この時も何故か前は撮っていない・・。現存せず。

兵2あ27-09

 こちらもお世話になっている浅野氏からご提供頂いた物。バックは懐かしいそごう百貨店。件の震災で被災し、数年前に阪急百貨店に変わり「そごう」は記憶の彼方に消えつつある・・。さてバスはふそうで西工。この個体もベゼルが特注?タイプで神鉄の指定パーツだったのかも知れない。この個体も年式・型式は特定出来ていないがMR470?か。またこの車が神鉄で最後まで残った兵庫ナンバーだった模様である。また退役後、綺麗な状態で工事現場の休憩所?で鎮座しており、趣味の先輩がその写真を撮られており、かなり昔にその写真を頂いたのだが今般その写真を探し出すことが出来なかった。行先の「カラト団地」も当時市バスと共同運行であった。

◇神戸22か13-20

 これは私が積極的にバスを撮影するようになってからのモノで1980年代撮影で上の各車に比べ、それほど旧くは無いが、S51年式で一見、呉羽の路線バスであるがふそうB806Lである。社番201~203の三台在籍しており、ワン・ツーマンカー仕様で専ら「神戸駅南口ー鈴蘭台」の路線で使用、この路線も神戸市バスと共用で当時は双方車掌乗務のツーマンカーであった。ワンマン灯が「路線バス」表示であるのも珍しいのではないだろうか。ハーバーランド方面の計画~工事開始まで神戸駅南口は北口の立派なバスターミナルとは打って変わって未だ昭和30~40年代のままで、寂しい雰囲気であった。下の写真では懐かしい神戸駅駅舎と西口になるのであろうか、階段が見えるが確か中層階があって改札は中層階だった記憶があり、タイトルは忘れたが1960年代の神戸が舞台の映画でもこの辺りのコンコースがロケに使われている。高架では103系がパンタを降ろして留置中で当時、ここで緩行線普通電車はお昼寝をしていたこともあった。この103系は非冷房車で、京阪神緩行線は明石電車区の配置車両は非冷房車が大半であった。

 神鉄バスの塗装は長年このデザインであったが、1982年導入車から赤帯が強調されたデザインに変わり、次第にこのカラーは無くなっていったが、旧カラーの車は塗り替えられることなくそのまま廃車となっている。

 

◇昔の方向幕

 ではお約束の旧い方向幕全容である。

 先の「兵2あ22-12」に入っていたもの。

ヘルスセンター」は拙ブログ有馬温泉の回でも述べたが、送迎バスの様な用途で使用されていた模様。「神鉄観光」表示も見えるが、この当時各事業者では貸切兼用車も多く「観光」や「事業者名」で貸切運用に充てていたことも多い。

その下「国鉄道場」は神戸市内の駅ながら「市内駅扱い」にならない旨が当時の国鉄の切符やお知らせ?に表示されていたことが記憶に残っている。続いて「三田(さんだ)駅前」神戸電鉄三田線の終点でこれは今も変わらないが、乗り入れるバスは神鉄も阪急もなくなり神姫バスのみ。但し神姫バスは神戸方面の営業エリアでは神鉄沿線に路線を張っているので昔から繋がりは薄くない。「三宮駅」は廃車体になってからずっとここが出ていた為に紫外線でボロボロとなり文字以外の処は朽ちてしまった結果でコレクションとしては文字だけ残っている・・次の「有馬=三宮」が今回の一番上の写真「兵あ22-00」が走っている路線の経路変更前表示となる。次の「神戸駅」「鈴蘭台」は今回の一番下「神戸22か13-20」の表示している系統で、この幕の時代は起終点表示では無かった。「平野」はその路線の途中にある停留所で、当時は実際の運用であったかどうかは定かではないが「平野」止まりも設定されていたのかも知れない。

「箕谷」も山間部の集落に存在する神鉄の駅で早くから神戸市バスと共に箕谷駅から路線が張られていた。「電鉄小野」「西脇駅前」は中距離路線で、西脇は今でいう日本のへそ「西脇市内」でかなりのロングラン路線であった模様。今は神姫バスの中・長距離や地元ローカル系統がひっそりと残るが当時は明石方面から山陽電鉄バス、小野方面から神鉄バスも乗り入れており、決して便の良くなかった鉄道と張り合っていたことが窺い知れる・・しかし、後年どちらも収支悪化で撤退しており中・長距離系統を持っていた各事業者共通の流れでもあった・・。

 なお、前回もお伝えしているがこの方向幕、「職人の手書き」なのであった。

 

 私は昔の方向幕と当時の地図で昔の路線研究を進める傍ら、この頃の路線に思いを馳せ、色々想像するのも楽しいと感じている・・。