毎年1月18日~20日は多井畑厄神大祭の参拝客輸送の臨時バスが走る。もう40年近く臨時バスを見て来たが、例年古参予備車を使う事も多い催事バスも近年は比較的新し目の車を使う事も増えて、特に最後の前後ドア車が消えて以降は面白味は欠けてしまった。反面、他車庫からの借り入れが毎年のように行われるので、個人的にはそれらの記録に傾注している。

 厄神祭の始まる前日は1・17・・でそう、阪神淡路大震災の発生日である。1995年はその震災で趣味どころではなかったためにこの年だけは厄神へ出動していないが、聞くところによると現地は被災もほぼなく、ひっそりと開催、臨時バスも走っていたそうである・・。勿論、参拝客もかなり減少していたそうだ・・。

 

 今年はうまい具合に初日が公休日だったのでかなり久しぶりに朝から出動した。以下午前中に押さえた車たち。

◇2024年

 本年の第1便は今や貴重な古参車でお膝元落合車庫の車でH14年式、ふそうKL-MP35JK-MBMの233号、同期も半数以上が昨年秋の代替で消えながら、落合ではまだまだ見ることが出来る。今回、厄神には午後から?で232号の投入も確認している。ワンステップ車がここ何年も新車として入っていないので、かつての主流であるグリーンも年々減少している・・。

 西神車庫担当分の第1便は同じく古参のH15年式、ふそうKL-MP37JK改ーMBMの850号。この車は西神生え抜きである。なお、近年は垂水車庫担当が無くなり、その分西神が持つようになっている。落合も西神も神姫バス委託なので、そこは色々と融通が利きそうな感じである。

 続いて借入車と思われる落合マークを付けて登場した中央車庫の516号。H21年式、日産ディーゼルPKG-RA274KAN-西工。500番台の局番が落合管内を走るのはやはり「アレッ?」となる。

 ということで沢山コマを消費してしまう・・。

 続いて西神担当の第2便は067号(H22年式、PDG-KV234L2-J-BUS)であったが、西神に067おったかいな・・?と暫し頭の中を回転させるも確か垂水に転属していたハズ・・という答えが浮かんできた。今回西神マークが付いていることから、西神貸出の上の厄神登板なのかも?

 この2枚は夕方に出動した際のモノで550号(H20年式、PDG-RA273MAN-西工)は毎年中央からやって来ての登板。下は落合生え抜き263号でH16年式KL-UA452KAN改ー西工。同年式でワンステップもたくさんいたが、いずれも昨年秋までに全滅している・・。

 また本日は雨天だったために、シャッタースピードを落とさなくてもLEDの文字が読める状態の写真が多かった。

 こちらは多井畑厄神の乗り場で出発を待つ、松原車庫担当の須磨便でH18年式、PKG-RA274KAN-西工。松原車庫にも借入車は来ているそうだが、私はまだ目撃できていない・・。なお、地下鉄開通前は厄神臨時バスはこの須磨便のみで、かつてはかなりの数の臨時バスが投入されていたそうだ。今では名谷便の方がメインで利用客も多く、須磨便は本数も減って少なくなっている・・。

 

◇1984年

 さて、丁度40年前の厄神臨時バスの写真が少しだけあるので以下載せてみた。

 須磨便で当時の古参車S49年式いすゞBU04ー川崎である。この頃、正規の臨時増発用「多井畑厄神」幕は須磨車庫/松原車庫とも持っておらず、正当72系統用の経由地「(下畑回り)」(下畑=しもはた)表記の幕(写真:臨時バスは下畑は通らない・・)を出している車も多かった。また少し拘るドライバー氏ではこの経由地が見えないように幕の文字表示部分を少し下にずらして表示している方もおられた(当時の市バスは方向幕は電動制御ながら、正面幕のみ単独スナップスイッチ操作で自由な位置で止めることが出来た。また系統幕のみ手巻きハンドルであった)。

 後年の新車から方向幕も用意されているが、正面だけで側面/後面は相変わらず「臨時」の時代が長く続いていた。写真は上がS56年式、下がS57年式のどちらもいすゞK-CJM470-川重である。

 

 厄神臨時バスもたくさん追っ掛けて来たのでまたの機会に少しづつ昔の写真もお届けしたい。