今日2024年1月8日は阪神バス、土休日1本のみであった「野田ー天六線」「野田ー阪神杭瀬駅北線」の最終日であった。私は告知の「1月13日より休止」の文言で最終日が1/13と思い込んでおり、たまたま公休日だったので出動可能と踏んでいたところ、よくよく考えてみれば「1/13より実施」ということは当日はもう無い・・ということに気が付いたのが先日。最終日は生憎勤務の日だったので、物理的に無理だった・・。

 ネットで拝見していると、普段ガラガラの系統がやはり最終日ということで乗りおさめ、撮りおさめの方多数だった模様。それにしても昔はバス路線の最終日なんてのは超地元の好き物位しか見当たらなかった(自分もその一人で他都市までは赴いたことは無い)ものだが、ネット環境普及以降は鉄道並みとまでは言わないが、ある程度の人数の趣味人が記録される時代になっており、バス趣味も随分メジャーになったものである。

 30年以上前はバス趣味なんぞ理解されることも少なく、説明も難しかった。逆に趣味人口が少ないのでかなりやり易かったのも事実。この当時バス趣味自体が珍しがられたのでドライバーさんも撮影に好意的だったし、何よりご自身から運転中を「撮ってくれ!」などという事例も多く、時代の流れとはいえ所謂「晒し案件」系と混同されて、今の様に「街中で撮影に気を遣う」ことはほぼ無かった。ネット環境とカメラ付き携帯電話の大普及の弊害と思っているのは私だけではあるまい・・。

 

 そんな戯言はさておき、前回に続いて阪神バス「大阪ローカル系統」2回目は冷房車以降に採用された新塗装の車たちで纏めてみた。今回も車両写真中心であるがご了承頂き、再び野田ターミナルからスタートしたい。

 阪神電車野田駅下りホームでの赤胴車と青胴車。この当時、青胴(普通)は野田でも赤胴の特急を退避していた。写る車両は、かの大震災で被災してそのまま廃車された5151形5151号他、1960年代の丸っこいデザインが残るジェットカーであった。最晩年は相方の5152号が神戸寄り先頭車となっていたので、このように5151号が先頭に出ることはほぼ無かった・・。通過する赤胴特急はブレているが、3000系トップナンバー3101~3201号の6連。この編成も晩年は大阪寄りと神戸寄りのユニットが入れ替わり、この3101号は中間封じ込めのまま廃車を迎えている。この野田駅高架下の山側が野田阪神バスターミナルである。

 前回の再掲であるが、近年のターミナルの様子。阪神バスの新塗装が並ぶが普段は大阪市バス(現大阪シティバス)もやって来る。他、空港リムジンの車庫でもあるので、リムジンが休む姿も見られる。

 そのターミナルで待機中の(2-)616号。S56年式ふそうK-MP118K-西工。この頃は短尺車が混じり始めているのも時代の流れであろう。新車時は神戸ナンバーで経年の転属で大阪所属となり、なにわナンバーに再登録された。ヘッドライトベゼルも車体同色で纏められている。前回の銀バスもそうであったが、ベースが銀なのでメッキ調では無いながらも違和感はそれほど覚えなかったが、アイボリーだと少しメリハリに掛ける様に感じる。

 同じ年式、車体であるが(2-)126号ということで、シャーシはいすゞ。型式はK-CJM500である。当時阪神バスのいすゞは標準車体の川重架装が大半、さらにサイズもWBがワンサイズ長いCJM520であり、126号は1両だけの珍車であった。なんでも何処かの注文流れの可能性が高い、と当時言われていた車で車内仕様をつぶさに見たわけでは無いので分からないが、もしかすれば元の注文仕様が垣間見れていた車なのかも知れない。この車も元は神戸ナンバー。というかこの同期である先の615・616号、この126号、日野では316・317号は晩年全て大阪転属でなにわナンバーに再登録され、余生をこの野田系統中心に過ごしている。

 少し車が新しくなった気がするが撮影時は大阪転属後のものでやはり神戸ナンバー→なにわナンバーの再登録。161号、S62年式P-LV314M-IKコーチである。キュービックと呼ばれたLVシリーズ標準車体の川重車体/IKコーチのスタイルはわが国では斬新に写り当時話題になったが、テールランプだけは従来からのバス協タイプが標準で何となく間の抜けた顔が憎めなかったものである。

 日野347号でS60年式、P-HT235BA-西工58MC。正面の大型方向幕が最大寸法ながら、左側に「ワンマン」表示を付けている当時の阪神仕様でこの部分は幕ではなく、ガラスにペイントだったと思う。バックの方向幕の白部分で白抜き文字となる仕掛け。このグループの同期も後に全てなにわナンバーに再登録されていたが、更に最晩年再び神戸ナンバーに戻り、追っかけが忙しかった思い出がある。

 もっとすごい再登録バケモノナンバーがこれである。S58年式日野K-RC301-日野車体。同期13両全て神戸登録ながら、後に約半数が大阪転属、なにわナンバーになった。しかし、その後うち半数が件の大震災の影響で廃車が延びて鉄道代替バスに抜擢、再度当時のバケモノ神戸ナンバーに変わり、鉄道開通後その年の夏以降に順次退役した。しかし残りの半数が突如?またしても写真のナンバーに再登録され度肝を抜かれたのであった。社番325~327がその3両でここではうち2両の写真をあげている。登録が1998年夏でその約二か月後には退役したので、このナンバーで記録しているファンはそう多く無いと思う。この3両が阪神最後のモノコック車だったと思う。

 続いて近代的な車となり、若いファンの方もこの顔なら馴染みあろう。いすゞエルガミオ、209号でH11年式KK-LR333J1-いすゞバスである。エルガミオの前後ドアも全国的に珍しい部類で阪神ではバリアフリー法施工前の駆け込み仕様として他にブルーリボンシティの前後ドア車がいたことも有名だ。この頃になると、天六線も便数も減り日中は中型でも十分だったようで写真でもガラガラの様子が分かる。この前後ドアのエルガミオは208・209号の2両が在籍していた。

 ここからは野田系統の行先方向幕バリエーション。上は「阪神杭瀬駅北」表示のS63年式、日野P-HT235BA-西工。同期には標準の日野車体を架装した仲間もいた。

下は区間系統「中津」表示の199号でH9年式、いすゞKC-LV380N-西工96MC。私は阪神バスの系統には詳しくないのであるが、日々の最終バスや夜間時間帯の短絡系統の表示だかったのではないか?と思っている。この199号は後に電鉄から初期の阪神バスに転籍している。

 区間系統の表示ということでおまけ写真。尼崎ー税関線の途中停留所である「甲南学園前」

 車両データは前述の325号と同様。同じ区間表示として「西灘」もあったが私は撮影出来ないまま幕時代は終わっている。

 その阪神西灘駅。震災で全壊、建て替えられているのでいささか手前味噌な写真であるが貴重な被災前の駅舎の様子。写る電車は5001形先頭車時代の5011号他。後の4両固定化の際に中間車改造され、現在は廃車解体済。またこの西灘駅はかつて阪神軌道線(国道電車)の晩年の神戸側の終点でもあり、件の大震災の折にはこの駅以東が崩れたために代替バスとして乗り換え始端駅でもあった。建て替え後姿の定点撮影もしているがそれはまた別の機会にでもあげたい・・。

 

 ここまでの表示をコレクションの方向幕から。先ずは後面幕。上から大阪ローカル、天六系統で基点側表示が二箇所あり(例:野田阪神前が行先ごとに収録)、系統毎にそれぞれ基点・終点が収録されている様子が分かる。一番下は税関線系統で西灘の文字も見える。

 続いて側面幕。掲載順序は上の後面幕と同順にしているので対応の比較が出来よう。天六線のみ経路表示でこれはこれで面白い。なお、2005年にLED表示器を初採用した阪神バスはその後急ピッチで幕からLED表示器に取り換えが進み、同年中には路線車の取り換えが終わっていることがバスラマ誌100号に記載されている。

 LED表示になってからは撮影しても、写真では文字の切れることの多いLED表示は「記録する行先表示」としての魅力が半減したと感じる私は以降、この天六線は撮影に赴いていなかったので本日の最終便を撮れなかったことでLED表示での「野田阪神前」「天神橋筋六丁目が記録出来ないまま終わってしまい、少々後ろ髪を引かれる思いであった。

このシリーズ、次回は標柱や少しだけ歴史をかじってみたい・・。