先日、このタイトルで記事↓

を書いてから、昔のネガやらデータを探していると、車両写真中心であるが、そこそこ有馬温泉系統のものが出てきたので、これを機会に一挙にお届けしたい。

今回は阪急バスから・・。

◇阪急バス

 前回のタイトル写真を飾った78-1574号の同期で78-1573号。型式などは前回の記事をご参照頂きたい(と誘導・・笑)。略番(社番)的にはこちらが正真正銘の阪急バス路線車の冷房付き第1号車となる。逆サイド写真ながら前回と違いブレていない写真を撮っていた記憶があったので、探していたもの。場所は現在のミント神戸下で当時は「神戸新聞会館ビル」後の震災で被災し解体撤去された惜しい建物。北向き、国鉄高架沿いの面には富士山を描いたデジタル時計付きの大きな山一證券の壁面広告があったがそれも記憶の彼方の話・・。

 さて写真のバスは当時の冷房車特有の外観で側面窓にダクトが通りピラーが太くなっているのが分かる。またこの頃の阪急バスは阪急ブレーブスという球団のシンボルマークも貼り付けられており、ライト横の赤いステッカーがそれである。このブレーブスは今のオリックスバファローズであり、もし阪急も近鉄もそのまま球団を持っておれば、今日本シリーズは鉄道ファンにも嬉しい「阪神ー阪急」戦若しくは「阪神ー近鉄」戦となっていたところである。

 余談はさておき、上の車の所属はやはり山口(営)で間違いは無かった。方向幕も「有馬温泉」で撮れており、個人的には見つかって良かった~的な写真である。

 続いて時代が少し進み、90-500号。H2年式いすゞP-LV318Mで西工58MC。以前も記述したがLVであるが西工製ゆえにキュービックとは呼ばない。同期は90-499号でこの2両は山口(営)所属。先の78-1573・1574号の詳しい引退時期を失念したので、この499・500号は想像であるが年式と台数からして先のMSの代替だったかも知れない。当時いすゞで西工を積むと角目4灯がデフォであったがこの2台はオリジナルの丸目であった。

 続いて(99-)636号。H11年式いすゞKC-LV380N-西工96MC。同期では637がおり、こちらも山口所属で年式的に上の499・500号の代替であれば3世代揃って撮れていたことになる・・。あくまでもそれぞれの代替名目導入であれば・・だが。

 今回の記事でいすゞの新し目から7031号。H23年式LKG-LV234L3-JBUS。若いファンの方はこの辺の車の方が馴染みあり好みでもあろう。既に行先表示器も個人的には味気なく感じるLED式に変わっており、撮影のときはシャッタースピードを落とさなければ文字が切れてしまう、まことに悩ましい行先表示で、系統を記録する時は難儀する代物である。撮影場所は谷上駅ロータリー。

 若いファンの方のため(笑)に新し目のいすゞ以外の車両も並べてみたい。これは272号で日野PJ-KV234N1-西工96MC。西工96MCは阪急特注仕様も多く産まれており、ネットでもその詳細が色々記載されている。日野のこの型式でJBUS製ならブルーリボン(Ⅱ)の名称が冠されるが先のいすゞ同様、こちらも型式的にはただの「KV」となる。後ろに西工車が写っているが、撮影当日は神戸電鉄の事故代替輸送バスが走っておりその待機車である。この車も山口所属。

 日野のJBUS製から1098号。H24年式QKG-KV234N3。

LEDが切れており「二宮駅前」行に見えるが系統番号6が示す通り「三宮駅前」行。有馬温泉からの復路である。この頃のブルーリボン(Ⅱ)は角目2灯でエルガとの差別化が図られておりマニア的にもよく分かり、まだ面白味があったが、LV290系列以降は再び同じ顔になってしまい、エンジンメーカーを社番で分けていない事業者だと私は外観から判別不可である・・。

 阪急の最後はふそうエアロスターでH22年式PKG-MP35UM-MBM。この新型エアロスターも登場当時から斬新なスタイルと顔で未だに陳腐化したとは思えないが、登場から既に大きく年数が経っており、当たり前だが他の事業者では経年車は廃車も進んでいる。阪急バスでも経年車は貸切や教習車となった仲間が何台も出ている。

 

◇神戸電鉄

 続いて神戸電鉄。前回、同期の写真を挙げているが「有馬温泉」表示の写真が出てきたので車種的には再掲となるが、前回とは社番違いの502号。型式などは前回記事をご参照頂きたい(笑)。

 一時期いすゞ-西工だった神鉄もその後再びふそう導入となり、これはH3年式U-MP618M。型式が示す通りエアサス車である。またふそうながら角目4灯が面白い。なお、神戸電鉄バスの社番、以前は特に意味が無い様で同期でまとめて連番で付番していただけであるが、昭和の終わり頃に入った車からは西暦下2桁+追番という形になり、この車は912号で1991年導入の2号車という位置づけ。

 

◇神姫バス

 ピンボケで申し訳ないが、前回登場の同期車で2256号。前回とは方向幕の表記文字が異なり、こちらは起終点一括表示で一頃の神姫バスで見られたもの。当時神姫バスの三宮表示はご覧の様に「三の宮」と「の」が平仮名で入っていた車もあった。

 続いては2454号でS53年式MS512NA-三菱。昔の神姫バス三宮ターミナルは奥の乗り場案内所の位置は変わらないが、手前は乗り場兼車庫であり、従業員の自家用車も置いていた

写真でも懐かしいスターレットが写りこんでいる。

 このバスも今でいう特高車であり、社番が路線車の50番台であるが、観光車ベースのシャーシでさらに型式が示す通りフルエアブレーキ車である。なお、上の2256号車とともに神戸エリアで「姫路ナンバー」であるが、これも拙ブログの過去記事をご参照頂きたい。↓

 

 続いてスケルトンタイプ。5151号でS61年式P-HT233BA-日野。日野車なのでこれも前回記事で記述通り、三田(さんだ)所属。神姫バスの日野車は当時ふそうの標準尺に比べ長い期間、公営向けともいわれた短尺車の導入であった。また1983年頃から日野車は台数があまり入らず、この初期HT系は神姫バスでは少数で貴重であった。上は三宮交差点を北進する同車であるが、懐かしいカリーナや切れているが、上面には大阪空港交通の西工車、神姫バスの左側には当時のセドリックタクシーが並ぶがグレード違いでスタンダードとカスタムの意匠違いがよく分かる様子で結構情報量の多い写真と思う。

 下は同社の後部の様子。神姫バスの定番広告「ヤマサかまぼこ」が見られるが、同社では一頃観光バスにもこの広告枠がついて同じヤマサかまぼこを宣伝していた個体もあった。

 

◇少し昔の有馬温泉バス乗り場界隈

 ここからは1980年後半~90年代初頭辺りに撮影していたバス乗り場を並べてみた。

 阪急バスの有馬乗り場周辺。上は旧、芦有(ろゆう)バスの路線を引き継いだ芦屋-有馬線の車でS55年式K-CPM470-西工。山仕様でバンパー上に外向きフォグランプ、エンジンも型式が示すように高出力を積んでいる。芦有バスについても過去記事をご参照頂ければ幸いである(笑)。↓

 

 続いての初代エアロは大阪梅田からの有馬特急バスでかなりの人気路線だったと記憶する。車はS60年式で85-1974号。この頃は観光カラーの路線車であるがまだ表記は「阪急観光」ではなく「阪急バス」である。観光バススタイルながら折り戸が路線車を主張している。

 最後は宝塚方面からの路線車で85-455号。S60年式P-LV318M-西工。このようにいすゞであればヘッドライトは角目4灯が大半であった。

 有馬温泉と言えば神戸電鉄の駅も載せておきたい。残念ながら特徴ある駅舎外観の全体を撮っておらず、僅かにこのカットだけであるが、ネオンサインの駅名看板が情緒を醸し出している。上は当時の新鋭車3000系で後に新塗装化されたがこの「ウルトラマン」とも呼ばれていた旧塗装がつい最近ラッピングながら復刻塗装として登場した。下は狭い駅前に並ぶ神鉄系列の神鉄運輸サービス(→現:神鉄バス)のローザと神鉄タクシー。神鉄タクシー、この頃は屋根の行灯(防犯灯)は非設置で趣があった。写る車は120系クラウンスタンドードの前期型であるが、右後方には一世代前の110系クラウンスタンダードも映り込んでいる。またローザの窓内行先表示板には「ヘルスセンター」とあるが歴史古い有馬ヘルスセンターで現代風でいえば「スーパー銭湯」のはしりみたいな娯楽施設で有馬=ヘルスセンターという印象をお持ちのご年配の方も多い。

 見るからに昭和の風情であった、神戸電鉄バスの乗り場兼案内所。バスの後ろの建物の雰囲気と看板、麦わら帽子を被る案内人のオヤジさんの姿がたまらない・・。写る車は152号、S53年式MP517K-呉羽。神戸ではこの旧呉羽車体のMPシャーシは少なくうろ覚えながら自家用除けば神鉄くらいでは無かったであろうか。後方の「・・神戸銀行」は今の三井住友銀行でこの頃は「太陽神戸銀行」であった。

 

◇古い神戸電鉄バスの方向幕

 最後はお宝1960年代の神鉄バスの有馬関連部分の方向幕をお目に掛けたい。

 先のローザで記述した「ヘルスセンター」がしっかり納まり歴史が長いことを物語る。一番下の「有馬三宮」今回話題にしている経路の方向幕で廃車体になってからかなりの長期間この上の順序である「三宮駅」が表示されていたので紫外線でボロボロになっており、入手時は余白の白い幕部分は欠落してしまい、文字の一部しか採取できなかったがそれでも置いておいて正解である。もっとすごく感じるのはこの方向幕、職人の手書きなのであった・・。

 この幕は神戸市内に存在していた1961年式いすBC161P-西工にセットされていたもので「兵2あ22-12」号であった。地元民にはそこそこ有名な廃車体で1980年代後半に所有者の方に許可を頂き、車内見学をさせて頂き、更には部品譲渡も快諾頂けコレクションに加わったものである。残念ながら2000年代に入って撤去されており、現存しない。今ならこれもサルベージ案件であろう。

 この車の幕の全容は次の機会に・・という余韻を残して今回は結びとしたい。